【稚内 北防波堤ドーム】大日本帝国時代をしのぶ威圧感に満ちた北海道遺産

北緯45.4度に位置する北海道稚内は、夏至の時期、日の出は異常なほど早い。

ゲストハウスモシリパでの一夜。午前3時に目を覚ました時、空がうっすらと明るくなってたのには驚いた。

気象上の夜明けは3時50分だから、午前3時に明るくなっていたっておかしくない。

昨夜、宗谷本線で稚内に着いた時も、20時で空がうっすらと薄暮がかっていた。

日本にいながら、白夜の疑似体験ができる北海道。

訪れるなら、その地の特色がもっとも現れる時期というから、極寒の冬、あるいは準白夜の夏至の季節といったとこだろうか。

早朝の港町の散歩

一晩お世話になった「ゲストハウス モシリパ」を出る。

気温は18度。熱帯夜が続いていた東京からすると、信じられないような涼しさである。

私は、これから船で礼文島へ渡るが、霧の漂う稚内の街を海岸まで歩いてみた。

そして、ノシャップ岬の方角を見やる。

霧でノシャップ岬が見えない。

これで、礼文島行きのフェリーは出航するのだろうか。

ハートランドフェリーは、毎朝5時半の時点で運航を決めるらしいが、若干心配だ。

大日本帝国時代の遺跡「稚内港北防波堤ドーム」

涼しい風が吹き抜ける港町稚内。

早朝の散歩が気持ちのいいかぎりだが、船に乗る前に、稚内において、ぜひとも訪れておきたい場所があった。

それが、「稚内港北防波堤ドーム」である。

日本国としての歴史が浅い北海道には、歴史的建造物や史跡は少ない。

しかし、稚内の港にあるドームは大日本帝国時代の建造であるが、往時の繁栄を思わせる威圧感がある。

このドームは1981年に全面改修されたものだが、まだ樺太が日本領だったころ、稚内港を強風と高潮から護るために1936年に造られたもの。

1905年から1945年までの40年間。北海道の北に浮かぶ樺太の南半分(北緯50度より南)は日本の領土であった。

そして、1922年に宗谷本線が稚内まで通じると、樺太の大泊(現在のコルサコフ)まで稚泊航路という鉄道連絡船が就航された。

さらに、1938年には、稚内駅に到着した列車から、そのまま連絡船に乗船できるように、レールが桟橋まで伸ばされ、そこに稚内桟橋という乗降場が設けられていた。

その乗船客が、船に乗るために歩いたのが、このドームである。

1938年といえば、忌まわしい国家総動員法が制定された年であるが、当時の稚内桟橋の賑わいは幾何であったろうか。

国境という考え方が形成される近代において、稚泊航路の重要さははかり知れなかったと想像する。

樺太の北緯50度ラインが国境であり、国境に接する町は敷香。

1940年当時の時刻表によると、東京(上野)を出て、最短時間で敷香に到達する連絡ダイヤは次の通りであった。

日付

午前

午後
1日目   上野19:00発(急行201列車)
2日目

青森7:45着

青森8:20発(青函連絡船)

函館12:50着

函館13:25発(急行1列車)

3日目

稚内桟橋6:42着

稚内8:50発(稚泊連絡船)

大泊16:50着

大泊18:00発(急行1列車)

4日目

落合9:19着

落合10:35発(急行3列車)

敷香19:53着

このルートには、国境警備の軍人や要人たちが使命をもって乗り込んでいたのだろう。

稚泊連絡船は、日本の敗戦によって廃止されたが、1995年にロシア側によって復活。

その後、利尻礼文航路のハートランドフェリーが就航させたりした時期もあったが、乗船客の低迷で定期船は2019年をもって廃止。

ウクライナ問題などを、あえて直視しなければ、乗ってみたかった航路であり、樺太も訪れたい土地であったが、さすがにもう無理であろう。

なぜ、乗っておかなかったのか、とほぞをかんでも後の祭りである。

 

鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏は「敷香は北の果ての象徴だった。」と表現し、著作「時刻表昭和史」では、上記ルートで上野から札幌まで乗っている。

また、写真家で紀行作家の大木茂氏は、「ぶらりユーラシア」で樺太を訪れているが、稚内からコルサコフまでの航路がなくなってしまったことを残念がっている。

当時の稚内桟橋駅は、どのあたりにあったのだろうか。

ドームの目の前に立ってみれば、この巨大なドームの必要性に言葉がいらないほどの強風である。

風にあおられないように気をつけながら岸壁の上に立ってみると、北の方角は分厚い雲と霧で閉ざされていた。

ロシアが国際社会からも霧の彼方に閉ざされてしまったことを暗示しているようだ。

 

そして、ドームの中に入れば、ウソのように風がおさまる。冬ならば、人心地つくとこだろう。

このドームは、北海道遺産の一つとして指定されている。

目をこらすと、早朝の体操にはげんでいる地元民がいる。

歴史的建造物には、造られた時代背景があり、時の移り変わりとともに、役割も変わっていく。

稚内を訪れた際は、ドームの前に立ち、威圧感を感じながら、戦前の日本を想像するのもいいかもしれない。

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