カタールひとり旅 再訪・夜のドーハ&スークワキーフの賑わい

旅していて楽しいことのひとつは、同じ場所を何年かぶりに再訪すること。

姿形が変わってない場合、年月のはかなさを感じるし、季節や時間帯が異なれば、そのさまは変身する女性のようだ。

前回の訪問は2019年(上の写真)。

カタール航空のトランジット市内観光ツアーの一環として、ほんの45分だけ立ち寄ったにすぎなかった。

しかも午前中。広場には人影もまばらで、わずかに開いている露天も、商品より先に静けさが目に入るような時間帯だった。

展示された品々をじっくり眺めるには都合がよかったが、「市場」としての息づかいを感じるには、あまりに短い滞在だった(下の写真)。

今回は滞在時間を気にする必要がない。しかも夜だ。

コーニッシュを歩き、ドーハ湾越しに摩天楼を眺めたあと、ライトアップされたミナレットが美しい、アブドゥッラー・ビン・ザイド・アル・マフムード・イスラム文化センターを目印に、スーク・ワキーフへ向かっています。

再訪 夜のスークワキーフ

スークワキーフに足を踏み入れる前から、雰囲気でわかってました。

日曜日の夜というのに、賑わってます。

6年前の面影を探すところで意味がないけど、

中東の夜というのは、こんな感じに姿を変えるんだな、とあらためて思う。

そもそもスークワキーフは、その名の通り「立って商う市場」として、かつてベドウィンや真珠漁師、内陸と海岸を行き交う商人たちが集った場所だ。

現在見られる石造りの街並みは、2000年代に入ってから意図的に修復・再生されたものだが、単なる観光用のセットではない。

近代化で失われかけた「日常の市場」を、あえて取り戻そうとした痕跡が、路地の幅や照明の低さ、店の距離感に残っている。

滞在時間を気にする必要がない、スークの散策。

灯りがともり、さきほどまで見上げていた摩天楼とはまるで別の時間だ。

石畳の上を、観光客だけでなく、地元の人々が白と黒の衣装をまとって行き交っている。

それだけで絵になる中東の日常。

スークを漂うお香のかおりがなんともいえない。

香水の値段を交渉しているであろう、観光客の女性。

スークワキーフは広い。

データがなかったので、Googleマップで単純に測ってみると、400m×400mくらい。

すると、160,000m2となって、東京ドーム3個分よりも大きい。

まあ、実感として、そんな感じだ。

ところで、こういった光景自体は、この旅でバーレーンでもクウェートでも見てきた。

だが、同じ湾岸でも、国が違えば空気が微妙に違う。

イスラム純度の色濃かったクウェートでは、スークを歩いていてもほとんど声をかけられることはなかった。

一方ドーハは、どこか柔らかく、さりげない商売っ気がある。

つまり、歩いていると、声をかけられる。

しかし、声を張り上げるでもなく、それでいて目が合えば自然に言葉が生まれる距離感が楽しい。

そんな店の一つに入り、旅の記念にキーホルダーを物色。

飛行機の模型に、日本のキャリアがなかったのが残念・・・

しかし、中央には、誇らしげにカタール航空のモデルが飾ってある。

キーホルダーを買い求めると、店主はにやりと笑い、店内の照明を落としてくれた。

暗闇の中に浮かび上がる、緑色の光を放つアラビア模様のディッシュ。

そして、私のカメラを指して「撮っていいよ」。

その一言と、この一瞬の演出に、スークという場所が“売買”以上の空間であることを感じる。

I love DOHAのキーホルダー。こういうのは、いつまでも記念になる小物。

お香の香りとともに漂ってくるのが、色とりどりの香辛料。

自宅で回鍋肉でもつくって、毎日ちがう味つけにしていったら面白いだろうな・・・

ひとまわりグルリとスーク内を一周してみると、まだあの観光客女性が香水の値段を交渉していた^ ^

閉館は22時と意外に早いスークワキーフ&ケバブのディナー

ところで、スークワキーフの幕営は22時と意外と早い。

このあたりは、夜更けまで営業していたクウェートのアル・ムバラキヤ・スークとは違うところ。

なにか、条例でもあるのだろうか。

この賑わいようは、とても、あと1時間で閉館とは思えないが・・・

時間を意識したら、夕飯がまだだったことを思い出した。

ケバブでも食べようと、通りに面したお店に入ります。

こちらはジュースの材料かな。

注文したケバブにパイナップルジュース。

「玉晶」とは、どういう意味だろう?

中国文化の勢力が入りつつある証?

ケバブも食べ納め。

物価が高くても、ケバブだけは手頃。

味は濃いし、腹に溜まるし、1ヶ月くらい中東を旅すると、自分の身体はどんなふうに変化するのかな、と思う。

私はテレビも映画もほとんど見ない人間。

しかし、異国の夜、市場の片隅で座り、道ゆく人々の営みをただ眺めている時間に勝るエンタメはないと勝手に思っている。

さて、名残惜しいけど、22時が近づいてきた。

広場に出ると、かすかに人の気配がうすくなった感覚。

明日は月曜日。中東の人たちにも「灰色の月曜日」なんてあるのだろうか。

遠い日本では、明日2025年10月13日月曜日は祝日。

だから私は、まだこんなところを歩いていられる。

明朝の帰国フライトまで、残された時間は7時間ほど。

あまりに名残惜しく、スークの先にそびえるインフィニティビルのルーフトップで、中東最後のワインでも飲んでから帰ろうか。