古くから大陸との文化交流が盛んであった九州という土地。
漢の皇帝から卑弥呼に贈られた金印が、博多湾に浮かぶ志賀島で発見されているほか、中世以降も、元寇あり、朝鮮出兵ありと、異国との戦いの最前線でもありました。
そして、最近興味を持ちはじめた「古事記」を読み解いていくと、九州は神話に包まれた土地であることもうかがえます。
たとえば、先ほどの志賀島は、人類の起源神イザナキが、黄泉の国から帰ってきて禊をしたときに産まれた海の神を祀っている「志賀海神社」がある場所でもあります。
なんといっても北九州は、邪馬台国のあった場所で、近畿説と論争を二分するほどの土地ですから。
対馬に渡る途中で立ち寄った博多の街。
私は、フェリーが出向する夜の時間まで、福岡県内の、古事記にゆかりのある神社を見て回ることにしました。
当初は、前述の志賀島をサイクリングする計画でしたが、あいにく、博多は春雷に襲われてました。
風も強い。
なので、一計を案じ「宗像大社」を訪れることに。
「宗像大社」は「宗像三女伸」を祀る、文字通り「古事記」ゆかりの社。
博多から1時間くらいで行けるというのも手ごろです。
宗像三女神を祀る宗像大社
宗像大社には、「宗像三女神」が祀られています。
この「宗像三女神」を簡単に説明すると、
イザナキによって産み落とされた三貴子「アマテラス」「ツクヨミ」「スサノウ」。
そして、海を治めろと命ぜられたのに治めなかった荒神が「スサノウ」。
スサノウはイザナキに追放され、お姉さんであるアマテラスのもとに逃げ込んだ時、アマテラスはスサノウに邪心がないかどうか誓約をたてる。
この誓約とは、「女神が生まれたほうが勝ち」というもので、スサノウの剣から生まれたのがみごと女神だったので、スサノウの勝ち。
一説によると、スサノウはズルをしたそうですが、このとき生まれた三姉妹が「タキリビメ」「イチキシマヒメ」「タキツヒメ」と呼ばれる「宗像三女神」です。
この宗像三女神は、それぞれ宗像大社の三宮に祀られています。
- 沖津宮(おきつみや):タキリビメ
- 中津宮(なかつみや):タキツヒメ
- 辺津宮(へつみや):イチキシマヒメ
つまり、宗像大社は、三宮に分かれています。
このうち、九州本土にあるのは辺津宮。
今回の旅では、とりあえずこの辺津宮を訪れてみようと、JR九州鹿児島本線の東郷駅からバスに乗りました。
私を運んでくれたバス。東郷駅から15分ほど。
SUICAも使える便利なバスです。
辺津宮の入り口。
ちなみに、沖津宮と中津宮は、玄界灘に浮かぶ島にあります。
沖津宮のある「沖ノ島」は一般人の立ち入りはできませんが、中津宮のある大島には、ここから港へ行き、フェリーに乗れば訪れることができます。
今回は時間制約もあり辺津宮のみ。あとの2つは宿題ということにしておきます。
しかし、「神の宿る島」との異名をもつ「沖ノ島」。かっこいいな。
世界遺産構成資産 辺津宮の境内を歩く
激しく雨の降る中、鳥居をくぐって境内に入ります。
世界遺産、そして今日は土曜日。
でも、この天候の悪さで、人はまばらです。
でも、どんよりした天候ほど神社にはふさわしいと思うのは、私だけであろうか。
たきつける雨の音が、社の柱に吸い込まれていくようです。
2017年に「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として世界遺産に登録された宗像大社。
世界遺産に登録された理由が、「宗像三女神」に対する信仰や祭祀が、古代から現代まで続いていることが評価された、とされます。
神話の時代からの祭事が評価されるなんて、日本を神国と認めてくれたことの証でしょうか。
であるならば、「古事記」や「日本書紀」など、もっと学校授業に取り入れ、積極的に日本の成り立ちを次の世代に教えこむべきでしょう。
そういう動きは、すでにあるようですが。
宗像三女神は、海の神スサノウの娘。
三女神が、福岡の地に祀られたのは、海を治めきれなかったスサノウの悔恨ではないか。
そんなことを考えながら、水たまりの浮かぶ境内を歩きます。
古代から、九州福岡は国際都市。
異国との交流に必要な航海。海の平定、そして道しるべとなる島の存在は、まさに神頼みであったと想像します。
そのような「神頼み」が長らく伝承し、それが世界遺産になったというのは、神国日本として、とても誇らしいこと。
第二宮と第三宮は伊勢神宮の「唯一神明造」
本殿からわきにそれて、高宮参道を歩き、第二宮と第三宮へ向かいます。
「第二宮」「第三宮」以外にも、辺津宮の周辺には大小の社が24社、そして121の神が祀られています。
そのすべてに付き合っていたら、今夜の対馬へのフェリーに乗れなくなるので、「第二宮」「第三宮」だけにしておきます。
参道を歩いて現れた「第二宮(ていにぐう)」と「第三宮(ていさんぐう)」。
こちらが、沖津宮のタキリビメが祀られている「第二宮」。
そしてこちらが、中津宮のタキツヒメが祀られている「第三宮」。
したがって、辺津宮の参拝者は、「宗像三女神」すべてにお参りしたことになるという、便利な解釈があります。
沖ノ島も大島も離れ小島。古代、いや中世においても、なかなか訪れることが難しい場所。
その離島にいる神様が、本土に祀られていれば、庶民にとってはありがたい。
東国三社のような考え方ですね。
ところで、この「第二宮」「第三宮」の建築様式は少しく異なっています。
どこがどうという説明はできないのですが、屋根が切妻造りになっているあたりが特徴のよう。
それよりも、この社は古くなった伊勢神宮の別宮を譲り受けたもの。
だから、伊勢神宮にも行ったことになるのかな。
伊勢神宮の神はアマテラス。
ですから、宗像三女神はアマテラスのめいにあたるわけです。
これからも、お姉さんのお古が宗像大社を潤していくのでしょう。
宗像三女神が降臨した場所「高宮祭場」
雨の中歩き回った辺津宮ですが、最後に、もっとも奥にある「高宮祭場」を訪れます。
お決まりの石段を登りますが、参道をかこむ木々が神々しい。
宗像三女神が降臨した場所とも伝えられ、辺津宮において最も神聖な場所の一つとされています。
女神の降臨はさておき、実際に古代祭祀の香りを残す場所であり、下高宮祭祀遺跡という遺跡の一部です。
案内板によると、現在でも毎月1日と15日に月次祭が行われているようです。
沖ノ島と大島の位置関係も記されてました。
降り注ぐ雨で、足元の悪い境内の散策になりましたが、雨水が木の葉や社の屋根をたたく音はなんともいえません。
「古事記」ゆかりの宗像大社。神々しい雰囲気たっぷりの世界遺産構成資産「辺津宮」でした。