さて、次の目標は和多都美神社(わたつみじんじゃ)。
いま通ってきた道を引き返し、厳原の町も通り過ぎ、ここから60㎞ほど。
そんなところまで、なぜ行くのかというと、この和多都美神社は、まさに神国日本を思わせる、海中に鳥居が立つ対馬随一の神秘スポットだから。
比田勝からバスで厳原に入ったのだから、そのとき寄ればよかったのでは、と考えますが、バス便が限定されていて、なかなかふらっと立ち寄るにはハードルが高い。
このような神々しい神社には、できるだけ公共交通機関で行きたいんですが、せっかくレンタカーを借りてるので、とにかく、北に向かってアクセルを踏みます。
海中に鳥居が立つ和多都美神社
さて、豆酘崎から車を運転すること1時間半。
浅茅湾に面した和多都美神社にやってきました。
対馬に観光スポットは多くあれど、ガイドブックには必ず取り上げられている人気スポット。
それが、この海中にたつ鳥居です。
本日の対馬はすいているのか、クルマから降り立つと、風の音しかしません。
対馬が神々によって、言い伝えられている島。
古事記において、別名を天之狭手依比売(あまのさでよりひめ)とする、イザナキとイザナミの国生みによって、6番目に生まれた子どもが対馬です。
神国日本の初代天皇である神武天皇。
神武天皇の祖母にあたる女神が豊玉姫(とよたまひめ)。
創建時期は不明ですが、豊玉姫がこの地に海宮(わたつみのみや)と名付けた宮殿をつくったのが始まりとされています。
潮が引くと、反対側から眺められるそうですが、本日はちょっと無理。
竜宮城への入り口だ、と言われれば信じてしまいそうな光景。
日本も、もっと神国であることを内外にアピールしたほうがいい、そう思います。
では、本殿のほうにまいりましょう。
止まっているクルマ二台のうち、一台は私のレンタカー。
もう一台は、社の方の所有でしょうか。すなわち、参拝客が一人もいません。
うろこ状の御神体石「磯良恵比須」
この、珍しい三本柱の鳥居の下には、「磯良恵比須」という、うろこの模様の入った岩が祀られています。
本日は満潮に近かったため拝むことはできませんでしたが、「磯良恵比須」は、「阿曇磯良(海神)」の御神体と伝わる石と記されています。
ちなみに大潮のときに満潮になると、本殿の近くまで海水が押し寄せることもあるとか。
彦火火出見尊と豊玉姫命が祀られる本殿
さて、四の鳥居をくぐって境内へ。
日の丸が誇らしげに揺れてます。
四の鳥居をくぐって、振り返ると、五つの鳥居のうち四つまでが並びます。
土俵でしょうか。
背の低い鳥居。
しかし、どれも両サイドが反り返っています。大陸の影響を受けている鳥居です。
本殿目の前の五の鳥居からは年季を感じさせます。
本殿の前に立ちます。
こじんまりとこぎれいな本殿。社というのは、本当にカッコいい。
竜宮伝説が言い伝えられる古社ですが、創建は不明というのがなんとも神秘的。
対馬は、神代から宗氏の時代まで、ほんとに奥の深い島です。
今年って、寅年だっけ?
年賀状を出さなくなって久しい。干支が忘却の彼方にかすみます。
森と海に囲まれた社。短い期間でいいから、こういうところに住んでみたい。
本殿の両隣に、ミニサイズの社があります。
こちらは右側。いずれも、彦火火出見尊と豊玉姫命が祀られてました。
ほかに参拝客もなく、時が止まったような和多都美神社でした。
クルマに戻ってアクセルを踏み込むと、こんな看板が目に入り、いったんストップ。
玉の井という泉があるそうなんですが、うかつにも見落とし。
それは、この美しい豊玉姫の像が先に目に入ったから。
豊玉姫は、航海安全・安産・豊漁などのご利益があります。
対馬は、日本の国境の島としてながらく君臨してきました。
すると、日本のいまがあるのは、豊玉姫のおかげともいえます。
なんといっても「古事記」では、対馬は本州よりも先に生まれているんですから。
対馬の旅も、いよいよ最終コースです。
大きな鳥居をくぐって、「小茂田浜神社」に向かいます。