旅行記ブログを10年間続けた日〜累計1,818記事&平均5万PV/月

「ブログ 継続率」で検索すると、3年以上継続できる人は3%未満という。

では10年ならどうだろうか。

私の旅ブログは開設日が2016年6月6日だから、今年で10年になる。

最初は無料のライブドアブログではじめたけど、自分のドメインが欲しくなって、3年目にワードプレスに乗り換えた。

書いた記事数は1,818記事で、単純平均で2日に1記事書いてきたことになる。

10年間トータルのPV数は250万で、ここ数年の平均PVは月間5万PVほど。

私のブログをスペックで表すとこんな感じになる。

ひと月に250万PVくらいいくプロのブログがひしめく中で、わがブログが零細であることは承知しているが、旅の記録とともに、写真をふんだんに貼り付けているので、見返してみるとやはり感慨深い。

1,818記事の内訳を見てみると、海外旅行記が1,218記事(67.0%)、国内旅行記が357記事(19.6%)、あとは日常の他愛もない雑談で、雑記ブログと言えなくもない。

でも、日常のつぶやきも、だいたい旅に関するものだから、私の人生の足跡の樹立にふさわしいと、勝手に悦に入っている。

ところで、わがブログは一般的なブログと異なる点がひとつある。

それは広告の類をいっさい掲載していないこと。

つまり、正真正銘ただの旅日記である。

だから、冒頭の「3年以上継続が3%・・・」というくだりは、収益化を狙うブログは、という但し書きがつくのだろう。

純粋な自分のプライベートな日記であれば、10年どころか生涯続いてる人もいっぱいいるのではないだろうか。

 

ところで、以前にも述べたけど、アドセンス広告を出していた時代もあった。

しかし、勝手に広告を踏んでいく意味不明のスパムに襲われ、しかもそのことをグーグルに怒られ、バカらしくなってやめた。

私は会社員なので、ブログを書くことはできても、四六時中モニタリングすることなど無理。

それに、そもそも広告なんて、見たいと思う人なんて1%もいないはず。

そして、自分の足跡とも言える大事なブログに、勝手に広告が載るなんて考えてみれば気持ち悪いこと。

だから、これからもよほどのことがない限り、収益を狙うようなスタンスをとることはない。

そんなふうに考えると、ますます筆が軽くなっていく。

10年も続いたのは、ほんとうに、ただ異国の街を歩いただけの日記だからこそだと思う。

週末弾丸旅との出会い

10年ひと昔というけど、ブログをはじめた2016年という年の前後は、私にとって人生の転換期といえた時代かもしれない。

仕事では、会社内において一定の身分を治めることができ、収入も地位も身についた。

私生活では、娘2人を中高一貫の私学に入れ、自分自身で大人への階段を登り始めていた頃。

つまり、2016年前後は、私生活における気持ちの余裕と少しばかりのお金を手に入れ、そして週末の自由時間が空いた時代。

それまでも日記は書いていたが、長年温めてきた夢である外国への旅を開始したのがきっかけで、ブログをはじめたのである。

最初はおっかなびっくりだった。

現役のサラリーマンが、こんな頻度で、海外に旅立っていいものなのだろうか。

理論的には、深夜便のLCC就航数が増えた現代、週末プラスアルファで十分行って来れるが、その机上の論理は会社員としての倫理観を超えたものにはならないだろうか。

いちおう私は、愛社精神たっぷりの真面目な会社員なのである。

週末弾丸というコンセプトで旅立った最初の旅は、イスタンブールだったように思う。

就寝前のベッドでiPadで航空券を検索してると、8万円そこそこのチケットでイスタンブールを往復できることを知った。

しかも、成田を深夜に出れば、翌朝早朝にイスタンブールに着く。

9,000kmも離れたアジアの果ての街に、まるで夜行バスでアプローチするかのような旅。

会社を定時で退社し、成田空港に向かった時、足が地につかず震えていたのを今でも覚えている。

そして飛行機で、無造作に当たり前のように9,000キロも運ばれ、生まれて初めて見たボスポラス海峡を見たときは、「深夜特急のような旅はできなくても、深夜特急に登場する街を訪れることができる」といった現実感が、私の気持ちの中に確立された。

そんな旅をはじめて間もない頃だったと思う。

同僚に、雑談の中でこんな問いかけをしてみた。

「現役のうちに旅するのと、老後の楽しみにとっておくのどっちがいいと思う?」

同僚は即座に、

「若いうちのほうがいいに決まってる。老後なんてどうなるのかわからないし、身体だって元気かどうかもわからない。若いうちのほうが、感性も豊かだし、食べ物飲み物ともにおいしく感じる。とにかく、やりたいことがあるなら、先にやったほうがいい。」

と答えてくれた。

自分の感性を正当化してくれたような同僚の言葉に嬉しくなり、それから私は、憑かれたように週末弾丸旅のとりこになる。

もちろん、厳密には、純粋な週末弾丸になることはまれで、そこに休暇を加えて、さらに有意義な旅とする。

長年の夢であった、イスラエルやイラン、シルクロードなども旅することができた。

そして気がつけば、この10年で、65回も異国に向けて一人旅をしていた。

実は、会社員という時間的にかなり制約を受ける人種にとって、弾丸旅を実現するにはいくつか条件がある。

  • 家庭において、自由に時間を使える環境を得た。
  • 優秀な同僚や部下に恵まれ、休暇がとりやすい境遇に恵まれた。
  • 私の自宅や会社が、羽田や成田に近く、週末弾丸旅をしやすい立地環境だった。
  • 2016年にトランプ政権が誕生したとはいえ、全世界的に地政学が安定していた。

こういった幸運がすべて重なったことが、私が65回も海外一人旅を可能にした要因であり、私は旅の神様に認められた幸せ者だと思う。

旅に明け暮れたこの10年を振り返って

10年前には、こんな未来は想像していなかった。

世界は大きく変わった。

コロナ禍あり、戦争も発生し、為替も大きく動いた。

それでも私は、こうして旅を続けることができた。

旅ができる時代に生まれ、旅ができる環境に恵まれ、そしてその記録を残せることにあらためて感謝したい。

この10年、旅の道中では、本当にいろいろなことがあった。

忘れられないのが、現地の人々から受けた純粋な優しさ。

深夜バスで寝過ごした私のために、ハイウエイのゲート一つ一つに「イスファハーン行きのバスが通ったらこの日本人を乗せてやってくれ」と声をかけてくれたイラン人のバス運転手。

氷河の街エルカラファテで、飛行機の時間を読み違え、私を優先的にホテルに送り届けてくれたツアーガイドさん。

上海の古鎮で最終バスをつかまえそこね、テクテク歩いていた私を何も言わずにヒッチハイクしてくれたお爺さん。

まだまだあるけど、まるで昨日のことのようだ。

 

いっぽうで、ケチャップ強盗に襲われたり、警官から脅迫を受けたり、新疆ウイグルでは写真を撮ったという理由で拘束されかかったこともある。

イスタンブールに出かけた時の震えとは真逆の、恐怖に怯え震えたことが幾度もあった。

これも考え方次第だけど、有頂天になっている自分の横っ面を、ときどき引っ叩いてもらうことで、初心に戻れる、という考え方もある。

日本にいるだけではわからない、世界の怖さというのも、もしかすると旅の魅力を引き立てる要素なのかもしれない。

こうして、旅の記憶を振り返っていると、ふと自分はまだ旅の途中にいるような気がしてくる。

まさに、旅とは記憶との対話だ。

世界には、まだ歩いてみたい街がある。

見てみたい景色がある。

そして、世界には優しさも怖さもある。だから私は、これからも旅を続けたい。