西安の街は、城壁で囲まれています。駅のすぐそばにも城壁が連なっていて、城壁をくぐるかたちで市街に入ります。
西安鐘樓飯店にチェックイン
城壁は長方形の形をしていて、西安駅は上辺の東よりにあたります。
なので、地図で見れば、長方形の右上にいることになります。
予約してある「西安鐘樓飯店」は、城壁の中心、鐘楼の位置にあります。
いきなり駅前にマックがあるのは愛嬌でしょうか。
とりあえず、タクシーに乗って、予約してあるホテルに向かいましょう。
西安鐘樓飯店というホテルです。約6,400円ですが、広い部屋でした。
はっきり言って、広すぎます。広さ半分で、値段も半分の方がいいんだけどな。
これで6,400円とは、中国のホテルは安いです。
窓の下には、鐘楼が見える好ロケーションです。この場所に建てられたのは、明の時代の1582年とのことです。
荷物を部屋に置いて、街を散策に行きます。
とはいっても、歩いて回れるところは限られるので、今日のところは、大雁塔に行きましょう。
タクシーで15分位です。「大雁塔」と言っても通じないので、地図を差して、ようやく理解してもらえました。
それにしても、タクシーは飛ばす飛ばす。
普通、先行車のブレーキランプが点いたら減速しますが、こちらは減速せずに車線を変更して追い抜きにかかります。はっきり言って、すごい運転技術です
三蔵法師が経典の翻訳に生涯を捧げた大雁塔
大雁塔に着きました。霧が出てきましたが、そんなに寒くはないです。
奥に見えるのが大雁塔です。
ここも、警察の警備はすごい。自動小銃まで持ち出してきました。
まあ、やましいところのない身にとっては安心ですが。
そんな物々しさの背後には、談笑する人々。
三蔵法師の像ですね。玄奘三蔵は、経典657部、仏像8体、などをインドからここ長安に持ち帰り、大雁塔にこもって、経典の翻訳に生涯を捧げました。
仏教徒?も記念撮影です。
あの三蔵法師ですからね。仏教徒でない私も、なんだかすごいところに来たんだ、そんな気がしてきました。
三蔵法師がインドから持ち帰った経典を保管するために、652年に建てられた大雁塔です。
今から、1400年近くも前の話ですか。いやはや、スケールがでかい。日本からの遣唐使の面々も、この塔を拝み見たのでしょうか。
入場料50元を払って、中に入ります。ちなみに、塔の上に登るには、別途20元かかります。
大雁塔の周りには、数々の寺院が並びます。
さて、いよいよ大雁塔に登りますよ。
大雁塔への登頂
高さは64mとのこと。さすがに高く、フレームに入りきりません。入場料は50元ですが、20元追加して塔に登ります。
せっかく西安まで来たんです。480円くらい追加して登りましょう。
かなり急な階段です。休み休みでないと、息切れします。
しかし、登っていて、足元がいかにも頼りない。なんか、地震がきたら壊れそうです(笑)
一応世界遺産ですけどね。
マンションなら15階くらいに相当する高さ。
なんとか気合で登りきりましたが、キリが深く、市街を見渡せません。
こちらは北側(だったと思います)。
北京のような青空だったら、大パノラマだったのに、と思うとちょっぴり残念。
下に降りて、周りの展示品などを眺めます。
玄奘三蔵は、西暦629年、唐の国に仏教を広めるべく、天竺(インド)に旅立ちました。
ところが、それは唐政府の許可がおりていない状態、いわば国禁を犯した旅路でした。
玄奘三蔵が27歳のとき。まさに仏教にかけた執念ですね。
中国人観光客も、そんなことを考えながら観光してるのかな。
「西遊記」を通じて、子供の頃から知っていた長安の都「西安」を訪れ、そして三蔵法師ゆかりの大雁塔をこの目で見るだけでなく、登ることができて感無量です。
玄奘三蔵の足跡については、以下の記事もご参考にどうぞ。
さて、大雁塔を出ると、周囲は観光エリアになっています。
縁日のようになっていました。
高い大雁塔は、どこからでも見えます。
日も翳ってきて、寒くなってきました。そろそろホテルに戻りますか。
北側の広場から臨む大雁塔。
バスに乗って、城壁の中まで戻って来ました。城壁の中に入ってしまえば、ホテルまでは徒歩圏内です。
これが西安の街なんですね。
時刻は18時。西安は北京よりもかなり西に位置するので、日は翳っても、日暮れが遅いです。
ライトアップされた鐘楼
ホテルに戻って、部屋からライトアップされた鐘楼を眺めます。
鐘楼は、まさに西安の中心。唐代からシルクロードの出発点として、非常に重要な役割を持ってましたが、今見ている鐘楼は、明代の1582年に移されたものです。
なんと、本能寺の変の年でしたか。
さすが、シルクロードの起点。幻想的です。しかし、よく事故が起きないものです(^-^)
さて、日も暮れました。
明日は、早起きして、始皇帝の兵馬俑にでも、行ってみるつもりです。