蔵前仁一さんは、私の好きな紀行作家のひとり。
氏の著作はほぼ読破し、長編紀行「旅で眠りたい」は毎回旅立ちの際に携行している。
蔵前氏は、筋金入りのバックパッカー。
私もいずれは、氏のような旅をしたいと胸に志を抱いている。
そんな蔵前氏の新作が発刊された。
「失われた旅を求めて」である。
氏の著作の特徴は、旅行記にイラストや写真がふんだんに挿入されているところにある。
今作も、どんな写真が挿入されているのだろうと、本が届き、期待を込めて見開いて、思わず私も目を見開いてしまった。
そのまま、目を大きくしたまま、一気に読み込んでしまった。
この写真集が1,800円?
はっきり言って、超格安である。
氏は、格安のドミトリーや、格安の航空券などの発掘に長けていらっしゃるが、刊行した本まで格安にすることもないだろうと老婆心ながら思う。
蔵前仁一氏の写真の主役は人である
本書は、氏が初めて長期旅行をした1980年台初頭の写真がふんだんに並べられ、近年の旅行者には絶対に目にすることのできない当時を忍ぶことができる、タイムスリップ写真集である。
私は蔵前氏の写す写真の構図が大好きである。
氏はこれまでも「ゴーゴーアフリカ」など、写真を交えた旅行記を多く刊行しているが、被写体に共通しているトーンは、現地で暮らす人びとだ。
ただの風景写真ではなく、私は、「風景」は関係のある人物が映り込んで、「情景」となるという考え方を抱いている。
私に言わせれば、これこそが「絶景」で、眺めているだけで、臨場感あふれる風の匂いや雑踏のざわめきまでが聞こえてくる。
蔵前氏の写真は、そういう意味において、「旅情」をかきたてるものばかりだ。
旅の写真は、人間が人間を撮ったという生々しさが、いつまでも旅の情景を廃れないものとするのだと思う。
ところで、旅先で「人を主役」として写すのはけっこう難しい。
ブログに掲載する以上、登場人物の肖像権などに最大限配慮した構図にする必要があるからだ。
私などのような素人は、デジタルカメラという「数撃ちゃあたる」サポートがあるので、本当にありがたい。
30年以上前の中国の情景に驚き
蔵前氏は、本書で「世界で最も変わってしまった場所」のひとつとして「中国」を挙げている。
中国については、私も近年の訪問回数が多いせいか、30年以上も前の写真に食い入るように見入ってしまった。
特に「新疆ウイグル自治区」。
私も1年前に旅してきたので、その違いをつかもうとした。
しかし、本当に変わってしまったのは、上海や北京など、漢族のエリアだった。
実は、新疆ウイグル自治区で暮らすウイグル人たちの生活ぶりや人の表情は、本来変わっていないのかもしれない。
むしろ、漢族によって、カタチを変えられようとしてるのだと感じる数々の写真であった。
それにしても、当時の中国は、同じ時代のインドより物価が安いというのも衝撃である。
私も、氏ほど古くはないが、1997年に上海に行っている。
一人旅ではなく、会社の研修旅行であったが、そこでの貧富の格差の惨状には驚いた。
氏が述べているように、路上生活者や物乞いが数え切れないほどいた。
そして、上海の大通りは、自転車であふれんばかり。
いっぽうで、テレビ塔が煌びやかに建つ。そんな時代の過渡期であった。
氏の写真が、当時の上海を思い出させてくれた。
「世界から失われてしまった場所」シリア・イエメン
これらは、私が死ぬまでに、どうしても行きたい国である。
さらには、イラク、アフガニスタンなど。
氏は、これらの国の内戦が悪化する前に足を運んでいて、当時の国民の豊かな表情や貴重な遺跡の姿まで、余すところなく紹介してくれている。
私からすれば、これらは、よだれの出るような土地ばかりだ。
これらの国を氏は「世界から失われてしまった場所」と表現している。
当時の姿が残っていないまでも、すんでのところで廃墟にならずにすんだサヌアやアレッポの街を歩ける日は来るのだろうか。
もう、絶対に見ることはできない情景。
本書によると、氏のフィルムカメラで撮影したフォト枚数は数千枚を超えるらしい。
是が非とも、残りのラインアップも続編で紹介してほしい。
一旅人の思いである。