今回の「青春18きっぷ」の旅は、降りてみたかった駅に降りてみる旅。
かつて「青春18きっぷ」を、移動手段ととらえていた頃は、先へ先へと急ぐばかり、情緒ある駅に降りてみる余裕がありませんでした。
もちろんそれは、夜行列車がいくらでも走っていたからこそできたわけですが、夜行列車のない今、私は夜行バスで新潟県にワープし、念願だった信越線「青海川駅」に降り立ちました。
次の目標は「親不知駅」です。
「青海川駅」から「えちごトキめき鉄道・親不知駅」へ
乗っているのは、青海川9:05発の直江津行き信越本線のワンマンカー。
日本海に沿う信越本線の各駅に停まってくれます。
かつては、関西や北陸と東北や北海道をむすぶ重要な鉄路。
でも私は、途中下車することなく、優等列車に乗って風のように走り去るばかりだった。
こういう列車ね(^^)
おだやかな夏の日本海。
うわ、芸術的な雑草。これで待避線使えるのだろうか。
直江津駅に到着です。
ここからは「青春18きっぷ」ではなく、「えちごトキめき鉄道」の客になります。
駅の序列はあってるけど、地図がさかさまな路線図。子供たちが間違えて覚えてしまわないか心配。
「えちごトキめき鉄道」は、本線上ではなく、ホーム先端に切り込まれたいわゆる「0番線」から出ます。
いくら北陸新幹線開業で第三セクター化されたといっても、旅人の目線では、かつての大動脈をそこまで切り刻むことはないのにと思ってしまう。
なぜ泊? 旅客需要もそこで分かれるのだろうか?
ワンマンカーは、旧北陸本線の駅をひとつひとつとまっていきます。
旧北陸本線と書きましたが、北陸本線としては新線です。
つまり、もともとの北陸本線は、今よりずっと海岸沿いに敷かれていました。
このあたりの各駅は、北陸本線の生まれ変わりと同時に、山側に引っ越してきたのです。
写真には撮りませんでしたが、筒石駅なんかは、トンネルの中に引っ越しました。
それだけ、フォッサマグナが海に落ち込むこのあたりの地形は険しく、地滑りなどの被害も絶えなかったと聞きます。
「えちごトキめき鉄道」の車内の様子
ほんとにその通りだ。はやく通常でもマスクをとりたい。
北陸本線が海から離れたとはいっても、海沿いを走る区間もあります。
その途中にあるのが「親不知駅」。ここで途中下車してみましょう。
「親不知駅」で途中下車
「親不知」という地名は、旅好きな方ならだれでも知っていることでしょう。
しかし、私は降りるのは初めてです。
私をここまで運んでくれたワンマンカーが発車していきます。
降りたのは私1人だけ。乗り込んだ乗客もいませんでした。
ホームには人気がありませんが、ここは間違いなく日本の大動脈。
狭い土地を奪い合うように、国道と高速道路がひしめき合い、トラックの轟音が絶えません。
大動脈ではあるが、地形が急峻なため住む人は少ない。
これは1978年当時の時刻表ですが、当時から普通列車よりも通過していく特急や急行のほうが多い。
親不知駅はそんな場所に設けられています。
次の電車まで約45分。どこも行けそうにない。
駅のまわりを散歩しますか。
親不知駅ができたのは北陸本線が開業した1912年。
しかし、1965年にこのあたりは長大トンネルと複線化工事により生まれ変わっている。
この駅舎は、築何年なのだろうか。
踏切を渡るのは久しぶりだ。
1日の乗車人員は10人だそうです。いずれなくなっちゃうかな・・
日本の物流の主要なルート上にいるのに、誰とも会わない不思議な気分。
年季の入った駅名票。釘にぶら下げてあるだけ。
大丈夫? マニアに盗まれない?
1日の乗車人員10人では、人に会わないのも当たり前ですか(^^)
親不知駅付近の散歩
名勝 親不知子不知をめぐる余裕は、今日はありません。
長い警笛を鳴らして走り去る貨物列車。
ひっぱってる貨車の数も長い長い。
日本海に流れ込む歌川。
そして、こちらが歌という集落。
複線電化で太いレールの上をたった1両の車両が走る可愛い風景。
国道8号線の上に覆いかぶさる北陸自動車道。
異様な光景ですね(^^)
人間は、よくこんなものをつくるよな、と思う。
国道8号線の駒返トンネル。
展望台がありました。
親不知のほうを見ています。
こちらは子不知。
今日の天気からは想像できませんが、荒れに荒れる日本海は、古代から多くの旅人の命を奪ってきました。
ここを歩かざるを得ないのだから、その苦行は計り知れません。
親不知の名は、1689年7月松尾芭蕉が市振の宿で旅装を解いているときに、同宿した遊女の身の上話を聞いて詠んだ詩が名の起こりといいます。
一般的には、この難所では、波が押し寄せるたびに洞窟に逃げ込むので、親は子をかえりみる暇もないことから親不知の名があります。
さて、そろそろ引き返しましょう。
北陸本線の子不知トンネルと、奥にあるのが新子不知トンネル。
トンネル採掘技術に乏しかった時代は、ぎりぎりの海岸線に線路を敷いてました。
しかし、これが災いし、雪崩が列車を直撃して多数の死傷者を出した悲惨な事故もあったそうです。
出典:長さんの鉄道写真館より
富士川から北上してきたフォッサマグナが海に落ちるこの地域。
電力も50ヘルツから60ヘルツに変わります。
その周波数を利用して、時計の進み具合を偽装したアリバイトリックがあったな・・(^^)
考えてみれば、富士川が太平洋に流れ込む由比海岸のあたりも、鉄道と国道と高速道路が調和したハーモニーをつくってる。
日本の境目にいるのだという気分がしてきました。
少し市振方面に向かうと旅館が。泊まってみたい・・
さて、駅に戻りましょう。
「親不知駅」と戯れてみる
待合室にあったノート。
青春18きっぷからはみ出す区間。直江津まで1,310円は高い。糸魚川までは340円だけど。
これじゃ、なかなか地元の人も乗ってくれないよな。高齢者割引とかあるのだろうか。
とうとう、一人の乗客も姿を現さなかった「親不知駅」。
北陸新幹線ができるまでは、トワイライトエクスプレスが。
そして、かつては「白鳥」「日本海」「きたぐに」という列車が毎日走っていた、関西と東北を結ぶ大動脈。
総勢、何人の人間がこの線路の上を運ばれたんだろうと思う。
そんなレールの上に、直江津方面行きワンマンカーが一両で寂しそうにやってきました。
では、「親不知駅」と、そこからみえる道路の橋脚にさようなら。
さびついたレールにもさようなら。