イスラム圏の世界では、人々の生活は「市場と信仰の調和」によって成り立つ。
つまり、商業行為も神の加護のもとにあるべきという宗教観が根底にあるので、バザールの隣にはたいていモスクがたっている。
このモスクが、もちろん単純に、そんな考えのもと建てられたわけではないだろうが、ショブバザールの南側に、背の高いミナレットとともに、巨大で厳かなゲートを構えているのが「ビビハニム・モスク」である。
中央アジア最大級の大きさ「ビビハニム・モスク」
このビビハニム・モスク、中央アジア最大級の大きさというけど、ほんとにタシケント通りをまたいで反対側までいかないと全容が入らない。
モンゴルの来襲から復興させたティムールが建てたこのモスク。
創建は1404年。そんな時代に、よくもこんな大きな建物を建てられたのだと思う。
こちらは、正面左側の側壁。
さて入りましょう。
10万スム払って2.5万スムのおつり。7.5万スム(約900円)と、少々高めですね。
中に入ってみると、中庭に面して、いくつかの建物があるのがわかります。
そして、よく見れば、壁が崩れかかっているところも。
とにかく、ティムール帝国の威信をかけて作り上げたモスク。
巨大すぎる構造ゆえに、建設当初から亀裂が入り、崩落の危険もはらんでいたらしい。
インドの遠征から帰ったティムールは、サマルカンドを世界の首都にしようと決意したというから、その情熱は並大抵のものではありません。
伝説によれば、ティムールは毎日のように建設現場を視察していました。
これは単なる監督ではなく、「神に捧げる建築」に対するティムールの宗教的情熱と政治的誇示の現れ。
まさに、自らの覇権を示す政治的・宗教的な大プロジェクト。
創建は1399年~1404年というから、日本の室町時代。
金閣寺や銀閣寺が建てられた頃に重なります。
日本では、まだ南蛮人が来日してなく、世界の中の日本という立ち位置がまだはっきりしてなかったのに、ティムールはサマルカンドを世界の首都に・・・すごいよね
ところで、建設には、サマルカンド中の石工や芸術家だけでなく、ティムールの遠征先から連れてこられたペルシア、アゼルバイジャン、インド、シリアの職人たちも動員されました。
そこから、ティムール朝宮廷のロマンを象徴する物語が生まれています。
モスク建築を請け負う有能な建築家の中に、ひそかにティムールの妃サライ・ムルク・ハニムに恋焦がれていた男がいた。
そもそも、ビビハニム・モスクの名は、妃のサライ・ムルク・ハニムからきています。
ティムールが遠征から凱旋帰国する前に、第一妃ビビハニムはモスクを完成させたい。
しかし、それは工期的になかなか難しい。
妃はその美男建築家に頼んで、完成を急がせた。
すると、見事に期日までに完成させた建築家は、完成の見返りに「妃のキス」を求めた。
抵抗しつつも妃はこれを受け入れたが、ほおにはキスのあとが残る・・・
それがきっかけでティムールにバレてしまい、建築家は処刑されたという話。
おそらくは、後世の創作だと思われるが、建築家はミナレットから投げ捨てられました・・・
さて、モスクの中に入ってみると、「金曜モスク」、つまり集団礼拝の中心施設として構想されただけあって、内部も広い。
巨大に作ったのが理由かはわからないけど、天井など、部分的に朽ち落ちています。
側壁も。
でも、金箔で煌めくモスク内部もいいけど、オリジナルを感じさせる昔のままのモスクの方が、温かみがあって私は好きだ。
モスク内部には、ガイドさんが何人かいました。
たぶん、さっきの逸話などを聞かせてくれるのでしょう。
でも、私は、ここに来る前にチャットGPTに細かく教えてもらっていたのでノーサンキュー。
生成AIの普及は、いろんな職業を奪っていくような気がするね・・・
私もAIにできないような職を身につけないと・・・急に現実に引き戻されました(^ ^)
外に出て、もう一度、青いドームを見上げます。
装飾もされず、おそらくはライトアップもない。
この素のままの巨大モスクに、儚さと威厳が同居する時の流れを感じました。