ウランバートルの中心 チンギスハーン広場&チョイジンラマ寺院博物館【モンゴル旅行記 #3】

さて、ウランバートルに着いて翌朝。

本日は、2024年5月4日、すなわちGWの2日目。

ホテルの窓からチンギスハーン広場をうごめく人々を眺めています。

場所はここになります。

動画での様子はこちらです。

ウランバートルの中心的存在「チンギスハーン広場」

5月でも、ウランバートルはまだ春が訪れたばかり。

朝の気温は氷点下でしたが、ようやく5度くらいまで上昇しました。

そして、昨夜に続いて、あまりにも多いプリウスに驚いています。

ホテルから徒歩2分のチンギスハーン広場を訪れると、なにかのイベントか、みなさんエクササイズに励んでました。

さて、私は一介の旅人ですが、やはりモンゴルを語る上で、この広場は外せないでしょう。

巨大なモンゴル帝国を立ち上げたチンギスハーンが政府系建物(国会議事堂かな)を背に、ドーンと鎮座しています。

建国は1,206年。

日本は鎌倉時代、まもなく承久の乱が起こるという頃。

チンギスハーンは、遊牧民族の各部族を統一し、世界へ大遠征をしかけ、1,279年には世界史上最大の帝国をつくりあげたのは周知の事実。

たしかに地図を見れば、これはすごすぎる。

出典:Wikipedia

そして日本は、1274年と1281年、2度にわたって元寇の襲来を受けている。

神風が吹いたとはいえ、よく追い返したもんだ・・・

その間、モンゴル帝国は、チンギス・ハン以後、オゴタイ・ハン、フビライ・ハンと、引き継がれ、中国目線で言うと、大都(現・北京)を明に占領され、中国は明の時代に移行した。

ちなみに、ハンとは遊牧民族の長をさす言葉です。

その英雄3名は、スタチューとなって広場を見つめています。

このモンゴルの英雄3名の顔を見分けられる人いるかな?

この中央に座っているのがチンギス・ハン。

そして、たぶんこれがフビライ・ハン。

チンギスハンほど目がつり上がってないし、あごひげが特徴かな(自信がありませんw)。

で、一番きつい顔をしているのがオゴタイ・ハン。これも自信がない^ ^

でも、オゴタイは顔に似合わず、温厚な性格だったらしい。

実は、これ、撮り直し。

つまり街歩き初日は、太陽光線が強過ぎて、白飛びしすぎてまともに撮れなかった。

こんなことも、立地のいいホテルに拠点を構えると、リカバリーできます。

チンギスハーン広場のまわりは、いかにも共産圏といわんばかりの建物が並んでます。

そして、広場中央には、こちらの像。

モンゴルは、中国が清の時代になると、逆に支配される立場になる。

その清から独立するべく尽力したのが、ダムディン・スフバートル。

モンゴルの今を作り上げた近代では、こちらの方が英雄。

この広場も、スフバートル広場とも呼ばれています。

それにしても、どこまでも青い空。

ユーラシア大陸の真ん中にいるのを実感です。

ちなみに、観光客用か、市民用かわかりませんが、広場にはトイレがありました。

そして、広場の出口というか、南の門には、突然、東洋の寺院が。

ユーラシア大陸の中央なだけに、たどってきた歴史は相当に複雑であるみたいですね。

広場を出て南へ。こちらの風景は、明らかに旧ロシア圏。

そして、あいかわらず、プリウスだらけです。

日本よりもプリウスが多い感じがします。

チベット仏教寺院「チョイジンラマ寺院博物館」

さて、チンギスハーン広場のすぐ南にあるのが「チョイジンラマ寺院博物館」。

ビル群に囲まれてポツンとたつ姿が印象的。

なんか、ほんとに不思議な世界。

よほどの旅通の方でないと、この写真を見せられて、ここがモンゴルと言い当てられる人は少ないんじゃないかな。

 

その、今は寺院というより博物館となっている「チョイジンラマ寺院博物館」に入ります。

入場料は、5,000トゥグルグのお釣りを持っているところをみると、15,000トゥグルグ(約650円)だったかな。

チンギスハーン広場から、地理的順序にしたがって立ち寄った寺院。

しかし、ここはウランバートルにおいて、最も美しいチベット寺院のひとつ。

いまは博物館を兼ねていて、中にはモンゴルの仏師ザナバザルの仏教美術が満載でした。

ただし、内部の写真撮影は認められていません。

ここは、入り口に近い、撮影が許可されている場所。

建立は1908年というから、110年以上たっています。

モンゴルは宗教フリーに近く、無宗教が4割。

信者の6割のうち、8割以上が仏教で、またチベット仏教が多数派のようです。

地域的に数千キロも離れているチベットが、モンゴルになぜ伝播したのか。

これは、やはりモンゴル帝国時代の中国大陸征服によるものだそうで、フビライハンなどが軍によって制圧はするものの、チベット仏教は保護したというきっかけがあったようです。

モンゴルに来て、はじめて漢字を見かけました。

モンゴルは、もっと文化的に中国よりかな、などと思ってましたが、少なくとも街を埋め尽くす文字の並びはロシアです。

では、軽いウオーミングアップが終わったところで、本格的にウランバートルの街を歩くとします。

ザイサン・トルゴイという丘にも登りたいし、ナラントール市場というマーケットにも行きたい。

足で歩きたいし、バスにも乗りたい。

楽しみがつきませんね^ ^