ウランバートルの街の中心とされるチンギスハーン広場の周りを散策して、なんとなくモンゴル都市部の雰囲気を学習。
いまのところ、「だだっ広い土地」「抜けるような青空」「乾いた空気」、そして「アジア人が歩いてない」。
空港に着いて以来、日本人はおろか、韓国、台湾といった顔も見かけない。
みんな、ツアーに参加してるのだろうか。
歩いたルートはこんな感じです。
ウランバートル街歩きの動画での様子はこちらです。
ウランバートルの街歩き
さて、街歩き再開。
建築中のビルも多く、数年後にはもっと立体的な街になっていそうだ。
韓国系のコンビニが随所にあるので、買い物には困らなさそう。
バスも縦横無尽に走ってる。
渋滞が激しいことを除けば、路線は充実し、市民の足になっていそうな雰囲気。
ATMもそこらじゅうにあります。
そして、とにかく空気が乾いている。
なのに、なんで路面が濡れてるのかな、と思ってたら、定期的に散水車が放水しているからだった。
そのまま、水をかけられた、容赦ない・・・
気を取り直して、市街の南に向けて歩いてます。
南のほうには、街全体を見下ろすことのできるザイサントルゴイの丘があるはず。
それにしても、ほんとに渋滞がひどい。
こんなに土地があるのに、バイパス的な道路が少ないのか、クルマをうまく分散させる道路の形状が悪いのか。
線路をまたぎました。
これは、いわゆる近郊列車の線路ではなく、大陸横断鉄道。
眺めているのは中国方面。
Googleマップをみれば、次の駅まで30キロ以上あります。
建設中のビルがあり、渋滞する道路を眺めていると、大陸のど真ん中にいるという気分がしないけど、線路を見つめて、自分にそう言い聞かせれば、実は欧亜連絡の中間にいるという観念は浮かんできます。
散歩しているうちに、太陽が高く上がり、暑くなってきました。
気温は20度くらい?
早朝は氷点下だったのに、あっというまに20度も上昇。
あの歩道橋を渡って、向こう側に渡りますか。
歩道橋はむき出しでなく、しっかりと覆われています。
冬の寒さ対策かな。
キリル文字はまったくわからず、何屋さんかもわからない。
丘が近づいてくると、騎兵隊の一団が。
レンタル用の電動カートがありました。
こんなものが、無造作に交差点に備えられているということは、それほど治安は悪くない?
公園に出くわしました。目指している丘ももうすぐ。
誰かの像。
ときおり現れる古い建物が、大陸の歴史を感じさせてくれます。
そして、街歩きにおけるトイレ事情はというと、
とても清潔な公衆トイレが、随所にありました。
さて、街歩きはまだまだ続きますが、暑い・・・
さすが大陸性気候。
暑さを感じると、なかなか丘も近づいてこない。
やむなくバスに乗ることにしました。
ウランバートルにおいて、バスの乗り方なんて、まったく予習してない。
とりあえず来たバスに飛び乗ると、みんなはICカードをかざして決済してましたが、私は現金。
1,000トゥグルグ紙幣を出すと500のお釣りをくれたので、料金は500トゥグルグ(約22円)。
どこまで乗っても市内バスは500トゥグルグのようです。
安く頼りになるウランバートル市民の足ですね。
降りたところは、ちょうどザイサンの丘のふもと。
さて、あそこまで、どうやって登ればいいのかな。
ザイサン・トルゴイから眺めるウランバートルの街
あの丘に登れば、ウランバートルの街が一望できるはずなんですが、さてどうやっていけばいいのか。
迷っているうちに出会ったウランバートルの高校生(だと思う)
親切に英語で行き先を教えてもらいました。
この旅で、モンゴル人から受けた親切2度目。
それにしても、ハイスクールの校舎を背に、すごいお釈迦さまの像だ。
ザイサン・トルゴイは、ウランバートル市民の憩いの場でもあるので、入り口はデパートなど多目的なモールになっています。
その広場に飾ってあった戦車。
1945年は、やっぱり日本は悪者なのかな・・・
はい、気を取り直して、モールの中へ。
日本語があって、ちょっとホッとします。
サインに沿って、どんどん進むと、
このブリッジを渡ると、丘への入り口ですね。
ブリッジを渡り切って振り返るとこんな感じ。
そして、この階段で登ります。
ちなみに、ブリッジまでエレベータで来てますから、登頂の半分以上を文明の利器ですっ飛ばしました。
つまり、ふもとから歩いて登ることもできるわけです。
崇高な寺院の石段ならふもとから登る意義もあるでしょうが、ただの展望台なので割愛。
登るにつれ、下界が開けるようになり、
頂上に到着です。
モンゴルとロシアのの民族衣装によるモザイク壁画が出迎えてくれました。
それにしても、なんと幾何学的な風景なんだろう。
箱庭というには大きすぎるけど、あまりにも空気が澄んで、ウランバートルの周囲の山々の稜線がくっきり浮かぶので、まさしく模型のような街です。
先入観がそうさせるんだろうけど、共産主義的な工場。
100年前の風景と重ね合わせてみたい。
そして、真冬の姿も見てみたい。
ほんと、冬はスキー場にでも様変わりしそうなリゾート地に見えます。
15年前発刊の「地球の歩き方」によると、
ここには「ソ連戦士の記憶は空の太陽のように永遠であり〜」
と、記されているらしい。
その場所はわからなかったけど、たしかに、ソ連とモンゴルの絆を描いている箇所ということはわかります。
モンゴルがプーチンを迎え入れる理由もわかるな・・・
数年後に来たら、この大平原をもっとビル群が埋め尽くしてるのだろうか。
ウランバートルの家族連れも多かったザイサントルゴイでした。
ちなみに、観光客は中国系が少々のみ。
日本人は皆無、ていうか、ツアーで来るんでしょうね。
ふもとのカフェで休憩。
アイスクリームもあったけど、まずはコーヒーが飲みたい。
どの国で飲んでもコーヒーは旨い^ ^
口に含むだけで、疲れがふきとぶ気分になるのはなぜだろうね(^ ^)
ウランバートル街歩きは、まだまだ続きます。