ミアットモンゴル航空直行便で行くGW2泊4日モンゴル弾丸ひとり旅出発前夜

旅人として、モンゴルとはどんな国なんだろうか、とずっと思ってた。

歴史的には、真っ先にチンギスハンの元の時代が目に浮かぶ。

現代史的には、中国とロシアに挟まれ、両国との関係はどんな状況なんだろうかと興味をひく。

そして、地理的には、ユーラシア大陸のど真ん中(もちろん、正確に真ん中ではないが)

地平線に囲まれた雄大な草原といった光景が思い出される。

これは、20年も前にシベリア鉄道に乗ったとき、それこそモンゴル国境近くの風景。

だから旅人としては、モンゴルを旅するなら、中国から陸路で入りロシアに抜けていくような旅路をイメージしていた。

たとえば、ネパールを旅するならチベットのラサからヒマラヤを越えて行くんだろうな、みたいな。

18万円で手に入れたミアットモンゴル航空ビジネスクラスチケット

話は変わって、2024年の5月のGW。

日並びがよいとは言えずカレンダーの連休は4日間。

この間でどこに行けるかな、と物色するも、インフレ、円安、そして旅行者の復帰でどの路線もとんでもなく高い。

香港エクスプレスで香港往復が18万円以上という始末。

最初は、ビジネスクラスの値段かと思った^ ^

 

それで、ぐるぐると検索しまくって、ヒットしたのがミアットモンゴル航空だった。

エコノミーで9万円。

そしてちらっとビジネスの値段を確かめると、18万円だった。

香港往復と同じ値段で、しかもビジネスクラス。

なんで、ビジネスでこんな安いんだ?と疑問に思いつつ、すぐにポチってしまった。

18万3千円というチケット代は、決して安くはない。

しかし、成田とウランバートルの距離は約3,050km。往復であれば6,100km。

1kmあたりの運賃は30円。

こう考えれば、割安に思えてくるし、エコだって9万円かかるのである。

フライトスケジュールはこの通り。

  航空会社 便名 フライト
往き(5/3金) ミアットモンゴル航空 OM502 成田14:40 ⇒ ウランバートル19:15
帰り(5/6月) ミアットモンゴル航空 OM501 ウランバートル7:45 ⇒ 成田13:40

当初の思いとは異なり、飛行機による、単純な首都ウランバートルの往復。

いずれにしろ、広大なモンゴルの大地を地べたをはって旅するには1週間ではどだい無理。

ということで、今回はモンゴル旅の予行演習ということで、自分に腹落ちさせた。

さて、初対面となるモンゴル国営のミアットモンゴル航空。

成田からウランバートルへの直行便運航は週3日の月水金のようだ。

どんな乗り心地だろうか。

モンゴルという国

モンゴルという国の属性を簡単に読み解くと、

  • 人口:330万人(人口密度2.1/㎢)
  • 建国:1911年(清から独立)
  • 政治:1992年に社会主義を放棄
  • 気候:ステップ気候(5月の気温は0度〜20度)
  • 治安:それほど良くはない。犯罪はウランバートルに集中。

とにかく、草原が広がる広大な国に、人口は首都ウランバートルに集まっているという第一印象は合っていたようだ。

そして、気温の寒暖差が非常に激しい大陸性気候。

真冬の最低気温は氷点下30度を下回り、春を迎えるのは事実上5月から。

実際、モンゴル観光のベストシーズンは6〜8月のようで、この時期に、草原が文字通り緑色に染まるらしい。

5月では、草原の色はまだ茶色で、少しづつ緑色になる頃。

観光客も少なく、だからフライトチケット代も安いのかもしれない。

気になる治安については、人口10万人あたりの殺人発生率が5.94人で世界49位(2022年)。

アメリカが6.38人、フィリピンが4.32人と書けばイメージが湧くだろうか。

ちなみに、日本は0.23人。

まあ、殺人は大げさとしても、強盗や窃盗などの犯罪は首都ウランバートルを中心に絶えず発生しているという情報もあり、特に夜などは用心が必要だ。

実際、草原の国モンゴルといえども、ウランバートルは大都会である。

ところで、ウランバートル滞在だけでは面白くない。

レンタカーを借りて、クルマで周囲の街に行ってみたいな、と思っていたところ、Webでレンタカーを借りれるスポットがなかなか見つからない。

それどころか、調べるうち、モンゴルでクルマを運転するには国際運転免許証ではダメで、モンゴルに一定期間居住したのち、モンゴル警察に申請してはじめて許可がおりるものらしい。

そして、さらに調べると、ウランバートル市内の渋滞は、相当に深刻のようだ。

と、いろいろ調べたけれど、直行便で滞在は正味2日間。

この旅程では、旅の目的はウランバートルの街歩き、だけということになってしまうだろう。

それでも、旧ソ連の影響を強く受けていた時代の建物も残されているというし、久しぶりに共産圏の旅の雰囲気を感じ取れるかもしれない。