旅とは本を開いた瞬間から始まる【ルワンダ中央銀行総裁日記】服部正也著

日本銀行がゼロ金利を解除し、金利のある世界になって3年が過ぎた。

日本は「失われた30年」と揶揄されるほど、慢性的なデフレにより、金利がほとんどない、あるいはマイナス金利という異常な状態が長きにわたって続いた。

だから昨今の10年債利回りが2.8%程度まで復活し、各金融機関が金利を上乗せして預金獲得競争に走る光景は、ある意味新鮮なのではないだろうか。

金利というのは、一般的にいえば景気のバロメーターで、景気が加熱している時は、中央銀行は金利を上げて過熱感を冷やす。

景気が悪い時は、企業の投資意欲などを上昇させるため、金利を下げてお金を借りやすくする。

こういった、経済の番人的な働きを受け持っているのが、各国の中央銀行、日本でいえば日銀である。

この本は、その日銀に勤めていながら、請われてアフリカのルワンダに飛び、ルワンダの中銀総裁を務め、小国の経済を立て直した実話である。

5年ぶりに読み返した「ルワンダ中央銀行総裁日記」

この本を購入したきっかけは、日経新聞の記事下広告に掲載されていたのを見たからだ。

時期は5年前の2021年。

コロナ真っ只中で、外国へ行くなどとんでもない時期。

いつ明けるのかわからぬ夜の中、「ルワンダ」という文字を見つけて衝動買いした。

結論を先に言うと、私はこの本を読んで、アフリカのルワンダという国へ行きたいと思った。

それからというもの、ルワンダに関する情報には敏感になり、先人の旅ブログなどを通じて、ルワンダという国について学んだ。

そして、2026年8月、ようやくルワンダにアプローチの準備というところで、5年ぶりに読み返してみた。

旅の準備というものは、ビザの準備や予防接種だけでなく、気持ちを目的地へ近づける作業でもある。

服部正也氏という日本人への驚き

アフリカで活躍された日本人というと、黄熱病の野口英世氏を思い浮かべるが、本書を読んで、一国の経済支援に尽力された服部正也氏という日本人の存在にまず驚いた。

日本銀行に勤めていた服部正也氏は、46歳にしてルワンダの中央銀行総裁として請われていったのである。

ルワンダという国をおさらいすると、1965年当時のルワンダは人口が約330万人。面積は四国と同じくらいの大きさ。

GDPが1億4,800万ドル(1ドル360円換算で532億)。

つまり、日本の都道府県でGDPが最も少ないのは鳥取県で約2兆円なので、たとえるならば、四国ぐらいの大きさの国で経済力は鳥取県の40分の1、というのが1965年のルワンダの姿。

実際、服部氏が赴任した当初、国家は貿易赤字がふくらみ破綻寸前だったという。

しかし、服部氏は「人間が住んでいるところなら自分が生きてゆけないわけがない」との意思のもと、ルワンダの中銀総裁に赴任する。

赴任直後の服部氏の職務は、中央銀行職員の服務態度を律すること、伝票処理など通常業務の指示、日計帳の誤記の訂正など。

つまり、経済再建どころか、ルワンダ中銀内部の綱紀粛正から始めざるを得なかった。

通貨改革支援のためのIMF訪問のかたわらで、「帳簿まで自分でつけている中銀の総裁はミスター・ハットリぐらいのものだろう」と高官が語っていたというくだりがある。

当時の国際機関(IMFや世界銀行)や元宗主国(ベルギーなど)の専門家たちは、上から目線で「先進国の高度な経済理論」をアフリカにそのまま持ち込もうとして失敗を繰り返していた経緯がある。

服部氏はこれに強い違和感を抱いており、「人種的な偏見や蔑視を絶対に排し、現地の実情をこの目で見るまでは何も決めない」という固い決意を持って現地に降りている。

赴任早々からの職員教育への着手に、日本人らしい地道さに感銘を受けるとともに、ルワンダの今があるのは現代経済学を根付かせた服部氏の努力も影響しているのだ、と同じ日本人として嬉しく思えたシーンである。

私がルワンダに行きたいと思った理由

出典:財務省海外安全ホームページより

ここで、あらためてルワンダという国場所について述べると、サハラ砂漠から南に下がった赤道より少し南、ウガンダやタンザニア、コンゴ民主共和国などに囲まれた内陸国である。

内陸国であるが故に、生産物であるコーヒーの出荷、米や生活雑貨などの輸入は、経由地が増え、コストも増える。

ここで登場するのが、本書の中で、私が特に印象に残った「平価切下げ」を巡る議論だった。

当時、国際機関は「通貨を切り下げれば輸出が増え、経済は立ち直る」と考えていた。

しかし服部氏は、それによって輸入品の価格が上がり、最初に苦しむのはルワンダの人々だと考えた。

数字だけを見れば正しい政策でも、現場では生活がある。

服部氏はIMFとの交渉により、先に外貨の支援を受け、その後に経済を立て直し、その時間を作ってから通貨の切り下げにのぞんだのである。

理論だけで政策を実施せず、自らの目で見たルワンダの実情を最後まで大切にした服部氏の情熱が伝わってくるとともに、ルワンダという国に、強烈に興味が湧いた瞬間でもあった。

地図を見ればわかるように、内戦や政情不安が多いアフリカ諸国において、実はルワンダは比較的治安の良い国とされ、「Numbeo」の2026年最新の安全指数ランキングによると、ルワンダの安全指数は73.7でアフリカのトップクラス。

もちろん、その背景には1994年の悲劇を乗り越えたルワンダ国民自身の努力があり、現在のルワンダが安全な国になった理由は一つではない。

しかしながら、服部氏が苦労した「役人の教育」、そして徹底した「不正の排除」。

服部氏の根幹にあった「真面目に働く者が報われる行政文化づくり」が、少なからず影響を与えたように私には思えてならない。

 

現在のルワンダとはどういう国なのだろうか。

多様な民族や文化が交差するアフリカの一角に、その礎を築いた日本人がいたかもしれないルワンダ。

旅とは、本を開き、その土地の歴史や人々に思いを巡らせた瞬間から始まっている。

『ルワンダ中央銀行総裁日記』は、私にとってそんな一冊だった。