上海⇒成都西のK1156列車の旅。進行方向が反対になって、蚌埠駅を発車。
時刻は18時過ぎで、上海を出てから7時間を経過し、最初の夜を迎える。

次の停車駅は、安徽省の省都である合肥。
到着は20:34なので、2時間半もノンストップで突っ走るわけだ。

軟臥コンパートメントでの日中国際親善

私の乗っているK1156列車の9号車は軟臥寝台。
かつての日本で言えば、カルテットと呼ばれたB寝台個室が感覚的には近く、扉が閉まる4人用のコンパートメントである。

この寝台車が日本で現役だった当時、個人旅行者にバラ売りしていたのかどうか。
利用したこともないので定かではないが、この手の4人用コンパートメントは諸外国ではよくあるパターン。
私の経験では、中国はもとより、ロシア、フィンランド、ベトナム、ブルガリア、ウズベキスタンなど。
4人用個室の一角を占める旅は、ひとり旅が身の上の私にとって珍しいことではない。
下の写真は、2025年8月、ウズベキスタン旅での寝台車。

なぜこんなことを解説しているのかというと、一人旅でコンパートメントを利用すると、当たり前だけど、他の客とはち合わせになるからだ。
そして国によって多少の違いはあろうが、基本的に男女の別もない。
さらにベッドにカーテンなどないので、就寝時のプライバシーなどまったくない状態となる。
ジェンダーレスなどと言えば聞こえはいいが、いちおう2等寝台なので、おそらく日本人女性からしたらありえない寝台構造だろう。
今回の寝台列車の旅で、同室となったのは、若い中国人女性だった。

数時間前、私が夕陽を眺めていた時、なんとなくポテトチップとチョコレートを差し出した。
目の前のテーブルが共用スペースなので、ほんの気まぐれである。
すると彼女は少し驚いたような顔をして、笑って受け取ってくれ、そこから会話のきっかけが生まれた。
どこまで行くのかと思えば、なんと終点の成都である。
彼女は蘇州から乗ってきたから、つまり24時間以上の長旅だ。
翻訳アプリを使って「なぜ飛行機を使わないのか」と聞くと、「列車のほうが便利だから」みたいな返事が返ってきた。
たしかに、優等車輌である軟臥寝台でも飛行機より少し安い。
蘇州のように近くに空港がない地域に住む人にとって、こうした長距離列車の需要はまだまだ根強いのかもしれない。

私の行き先も成都だと知ると、彼女は逆に聞き返してきた。
――なぜ飛行機でいかない?
少し面食らった。
私の趣味は旅で、こうして休暇をとっては旅に出ているが、私の旅の嗜好を言葉で説明するのは難しい。
列車の旅を選んでいるのは、移動の途中で「空と大地」「街並みに生活風景」が見えるからだ。
そんな意味のことを翻訳してみせると、なんとか大意は伝わったらしい。
彼女は私の旅歴に興味を示したので、パスポートを見せると、感心したようにページをめくっている。

何度もページをひらき、押されたスタンプを見ては、何か言いたげに頷く。
コンパートメントの中でのこんな雰囲気がどこか懐かしく、デジャブにも通じる旅の距離感が心地よかった。
会話の中で「成都」は「セイト」ではなく、「チェンドゥ」が正しい、ということも知った。
私は“Sei旅”を名乗っておきながら、「成都」を自分の名のように読んでいたのだと思うと、思わず笑いが出てしまう。
彼女は成都出身らしい。
そして、私が成都の滞在がわずか1日だと告げると、目を丸くして驚いていた。
――1日だけ? 本当に?
諸外国どこでも聞かれるが、休暇の短さに対する上手い答え方が見つからない。
これは、夜が明けて翌日の昼頃のことだが、彼女は、スマホに何かを打ち込み始め、そして画面を私に見せてくれた。
そこには、成都で1日で回れる名所、ぜひ食べてほしい名物料理が並んでいた。

そんなやりとりの中、私は出発前の出来事を思い出していた。
高市さんの台湾有事発言により、中国共産党が強硬な態度を示し、日中の空気が少し悪くなった。
中国政府が国民に日本への渡航自粛を促し、航空会社が運航を取りやめるという話も聞いた。
日本側でも、SNSを中心にヘイト投稿が増えている。
ただ、私の旅は昔から「政教分離主義」だ。
政教分離をこういう局面でつかうのかどうかわからないが、
とにかく政治は政治。人は人。旅は旅。
こういう「空気」が騒がしくなるほど、私はむしろ「現地を歩いて、自分の目で確かめたい」と思ってしまう。
自分の旅が、いつも弾丸になるのは、時間の制約だけではない。
時代の空気が本当にそうなのか、現地の生活は本当に変わってしまったのか。
わずかな時間でも、旅を通じてそれを実地見聞する――そんな目的も、私の旅にはある。
そんな思いで、出発前に私は「政治問題はさておき、私は中国が好きで、これからも中国を旅し続けると思います」と投稿した。
すると、多くの中国の方から「いいね」をいただき驚いた。

今この軟臥の小さな個室で、目の前の中国人女性は、普通に親切にしてくれている。
そこに“政治”の匂いはまったくない。
どんな国においても、政治と日常は離れ離れに淡々と続くものなのだと、あらためて思う。
夜の食堂車で小さな事件

夕食をとりに食堂車に出向く。
ひとつの列車で食堂車に2度足を運ぶのも、これまた久しぶり。

今度はメニューがあったので、青椒肉絲あたりをオーダーしていると、食堂車でプチ事件が。
私の背後が急に騒がしくなったかと思うと、前後の車両から鉄道公安官が何人もすっとんできた。
そして、ひとりのたぶん中国人をつかまえ、なにか尋問している。

尋問は厳しく、そして延々と続く・・・
身分証から、カバンの中、財布の中身などをテーブルにすべて広げ、とんでもないシーンに出くわしたものだ。
しかも、私の背後である。
せっかく運ばれてきた青椒肉絲の味がしない・・・

こんな出来事、そんなに珍しいことではないのだろうか。
中国の人たちは、他のテーブルでたんたんと食べている。
私も、最後のほうになって、ようやくピーマンだらけの青椒肉絲を味がわかってきた。

長距離列車が交錯する夜の合肥駅ホーム

人生で初めて、列車内での捕物帳を見学して、コンパートメントに戻ると列車が速度を落として、大きめの駅に停車。
20:34着の合肥駅。ここでは26分停車する。
向こうのホームに停車中の列車は、上海西発六安行き。

通路に出てみると、わが列車から降りた客と列車を待つ客でホームが活気に満ちている。

30分近く停車するので、ホームを歩いてみようとデッキへ向かうと、今度は女性車掌さんが扉の脇に立っていて、私を車外に出してくれた。

安徽省の省都である合肥。
北緯は31度で、鹿児島とほぼ同じ緯度であるが、11月下旬のホームは冷たい空気に包まれていた。

長距離列車に乗っていると、こういう停車駅でふいに「旅の輪郭」がはっきりすることがある。

ここが日常の駅でありながら、旅人にとっては一瞬の寄港地になる瞬間だ。

隣のホームに入ってくるのは上海虹橋行きの新幹線。

合肥は人口1,000万人を超える大都市だ。
かつての日本もそうだったであろう、ターミナル駅特有の怱忙さが感じられる中国の鉄道。

夜の駅の旅愁を感じていると、パーンと警笛が鳴ってさっそうと高速鉄道が入線。

わがK1156列車が、ここまで9時間半もかけてたどり着いたのに、なんと高速鉄道G7170列車はわずか2時間半ほどで駆け抜けてしまう。

上海虹橋到着は23:23、今日中に上海に着いてしまうのだから驚きだ。
新大阪からのぞみの最終便で東京へ向かう感覚だろうか。

慌ただしく新幹線が発車すると、続けて同じホームに、緑色のK1072列車、今度は北京行きが到着。

宿松から合肥を経由して北京豊台に向かう長距離列車。
北京着は11:06なのでここから14時間の長旅だ。

長距離列車が、寸分切れ目なく進入し、そして旅立っていく。
ホームに立って、何をするでもなく人々の動きを眺めているだけで、駅という空間が持つ独特の旅情が、じわじわと体に染み込んでくる。

私はこの旅で成都へ向かっている。三国志ゆかりの地だ。
だが、合肥もまた、曹操と孫権がぶつかり合った激戦地である。

歴史の中で軍勢が衝突した場所が、現代では列車が交差する場所になっている。
時代が変わっても、地理が生む「要衝」という性格だけは残り続けるのだろうか。

コンパートメントに戻ると、向こう側のホームでも列車の錯綜が。

杭州行きだった。

三国志の激戦地は、現代でも交通の要衝だった。
次々と現れては旅立っていく長距離列車。
高速鉄道が風のように通り過ぎ、K列車が大地を這うように進んでいく。
まるで、銀河鉄道999のトレーダー分岐点を眺めているようだった。
旅の行き先は無数にあって、速度と時間が混ざり合いながら、それぞれの場所へ向かっていく。

私は、こういう旅感覚を体験したいがために、意味もなく長距離列車に乗っている。
そしてその「意味のなさ」こそが、旅にとっていちばん大切な意味になる。

そんな、自分の知りたいことを教えてくれたような、夜の合肥駅だった。
