武器をもたない女性を武器で殴るタリバン アフガニスタンの統治は可能なのか

ふたたびアフガニスタン情勢。

週末、自宅でくつろいでいたら、また信じられないニュースが飛び込んできた。

そして、その結果は、またまた信じられないものだった。

女性の抗議集団がタリバンと衝突、流血も アフガン首都
アフガニスタンの首都カブールで4日、男女平等や政治参加を求める女性たちの集団が抗議デモを展開し、同国の実権を握ったイスラム主義勢力タリバンの部隊と衝突した。

タリバンに対して、アフガニスタンの女性がデモ。

勇気のある女性たちだとかたずをのんで見ていたら、案の定、衝突し武器で殴られた女性もいるという。

長い地球上の歴史において、武装もしていない女性を、武器で殴る人類なんて、存在していたのだろうか。

 

表面上、異常なほどに残忍にみえるタリバンが、なぜ生まれ、なぜそうしたいのか、を自分なりに簡単に整理してみたい。

前の記事でも書いたが、話は、1979年までさかのぼる。

隣接国に共産党よりの政権を求めていたソ連が、共産政権が弱体化するアフガニスタンに業を煮やし侵攻する。

これに対抗したのが、イスラム教徒で構成された「ムジャヒディン」。

この「ムジャヒディン」はイスラム聖戦士と呼ばれ、中東各国からも有志が参加しての聖戦。

その中には、サウジアラビアから参加した「オサマ・ビンラディン」もいたのが、なんとも皮肉なことである。

というのも、アフガニスタンが共産色に染まらないように「ムジャヒディン」を支援したのは米国だからだ。

そしてソ連が撤退し、米国も撤退した後、アフガニスタンに残された「ムジャヒディン」に、パキスタンに逃れた難民「パシュトゥン人」が加わって、構成された組織が「タリバン」である。

「タリバン」とは、神学生の意味。

「タリバン」は、パキスタンのイスラム原理主義者から、神学校において、イスラム原理主義的な教えを徹底して教育されていた。

 

ところで、なぜイスラム原理主義者が、女性蔑視ともとれる思想を掲げるのか。

「コーラン」にはじまるイスラム教における女性に対する理念は、実は多様であり一言で律することはできないのだが、あえて端的に言ってしまえば、イスラム教が生まれた7世紀の時代、世は混沌としていて、女性は護られる立場とすることが安定した社会を営める方法だったことに他ならない。

その考え方を、部分部分を切り出して厳格化したのが現在のイスラム法であり、イスラム原理主義の考え方である。

女性の単独での外出を禁じたり、外出時もブルカの着用が求められたり、家族以外の者に肌を見せてはいけないため、病院に行くこともままならないらしい。

※下の写真は、エジプト コムオンボの町で見かけた女性たちです。

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「タリバン」が生まれた90年代のアフガニスタンも、内戦状態で治安も悪く、女性の外出には誘拐や強姦などの危険がつねに付きまとっていたのだろう。

実際、女性の一人歩きなんてとんでもない、という地域は、現代でも世界のいたるところに存在するので、イスラム法の考え方にも一部の合理的根拠があることは認めたい。

しかしながら、厳格なイスラム法で有名なサウジアラビアでさえ、2018年に女性の車の運転が解禁されるなど、理念や価値観は、時と多様性とともに、変えていくことが正しいのだとも思う。

 

「タリバン」の構成員は、ほとんど男なのだろうか。

「タリバン」の連中に、「あしたのジョー」の「美しき狼たち」を翻訳して聞かせてみたいと、ふと思った。

 

目的を「アフガニスタンの統治」とするならば、手段は「イスラム法の厳格な遵守」でなくても可能なはず。

「タリバン」がアフガニスタンを国際社会の一つとして国家運営したいのならば、一定の国際基準に同調する柔軟さがないと、国家の運営にはあらず、いつまでも部族の延長ということになるだろう。

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