ルーマニア革命の舞台 ブカレスト革命広場を訪ねて歩く【ルーマニア旅行記 #9】

突然ですが、「ルーマニア」と聞いて何を思い出すだろうか。

日本の昭和から平成にかけての時代、学生だった私は、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊の映像を生で観た。

壁は政治思想を分断するものであったが、科学的電波までは防げないという情報遮断の限界。

SNSなどない時代でも、人間は知恵をしぼるものなのである。

その約1ヶ月後、1989年12月3日。

地中海に浮かぶマルタ共和国で、アメリカのブッシュ大統領(お父さんの方)と、ソ連のゴルバチョフが会談し、東西冷戦が終わりを告げた。

そのマルタ会談を経て、東欧でなお独裁主義をつらぬいていたのがルーマニアである。

1989年、東欧諸国を一気に飲み込んだ民主化という大津波。

その津波に抗う悪名高き独裁者「チャウシェスク」。

市民だけでなく軍まで動員され、独裁者夫妻は公開処刑。

マルタ会談から、わずか22日後の12月25日のことだった。

 

その日のことは、よく覚えている。

バイトで貯めた金をにぎりしめ、念願のクルマを買いに行った日だから(^ ^)

ブカレスト旧市街から革命広場へ

ブカレスト旧市街のホテルにチェックインしたのだから、旧市街の散策をしたくなります。

なんか、カタチが、エルサレム旧市街に似てるな。

 

でも、前述の通り、私はルーマニアと聞けばルーマニア革命を思い出す人間。

旧市街の北方の「革命広場」に向かいます。

旧市街から革命広場までは、2kmたらずです。

旧市街の石畳の上を、北に向かって歩きます。

ルーマニア革命の舞台を歩けるとなると、ちょっと緊張してきたw

ルーマニア革命の犠牲者を追悼する記念碑

革命広場までやってきて、まず目に入るのがこの大きな塔。

これが、ルーマニア革命で犠牲になった市民を弔う慰霊碑。

この広場では、当時(1989年12月21日)チャウシェスクを褒め称える集会が行われていました。

しかし、その途中で爆弾が爆発。

政権に不満を持つ民衆が起こしたデモにセクリターテ(秘密警察)が発砲する「ティミショアラ事件」が発生。

それを鎮めろという大統領の命令。

これに対し「市民を撃つことはできない」と、国防軍の「ワシーリ・ミリャ」大将は拒否。

ミリャは、その日のうちに、自室で死体で発見されます。

集会での爆発は、これらに抗議するものでした。

チャウシェスクを称賛する集会に、抗議する市民が合流し、集会は独裁政治に抗議するものへ。

セクリターテは市民に向けて発砲し、多くの犠牲者が出ました。

これが、ルーマニア革命の前夜。

それから、まだたったの33年しかたっていません。

年月というのは、おそるべき包容力をもっていると思います。

慰霊碑の奥の建物は、いまは行政改革省として使われている旧ルーマニア共産党本部。

ブカレスト大学図書館とカロル1世騎馬像

旧共産党本部の北に建っているのが、ブカレスト大学の図書館とカロル1世の騎馬像。

カロル1世は、ルーマニアがオスマン帝国から独立した際の初代ルーマニア国王。

しかし、1948年、共産党が政権を握ると、この像はレーニンのものとすり替えられました。

そしてルーマニア革命後、ふたたびカロル1世像に置き換わるという、歴史を経ています。

ルーマニア人で、いま80歳以上のご老人ならば、その歴史の全てを経験しているはず。

どの時代が本当に良かったか、ぜひ聞いてみたい。

かつてのルーマニア王室の宮殿「国立美術館」

革命広場を南北につらぬくビクトリア通り、その西側に建つのが国立美術館。

向かって右側が「国立美術館」ですが、左側は「ヨーロッパ美術館」とのこと。

せっかくなので、両方見学しちゃいましょう。24レウ(696円)でした。

革命広場に面しているこの美術館。

当時の銃撃戦で、多くの美術品を焼失してしまったとのこと。

美術品や絵画を、ひとつひとつ解説する学術を、私は持ち合わせていません。

それでも、こういうところを歩くのは大好きです。

ルーマニア正教や、王室時代の品が多いかな。

社会主義時代の調度品などもみたかったんですが、見つけられませんでした。

いったん建物を出て、ヨーロッパ美術館の方へ。

こちらの管理は厳重。荷物をすべて預けないと中には入れません。写真撮影はokでした。

こちらもキリスト教メイン。

これは何の絵だろう?

もともとが宮殿だったので、壁や階段の作りが美しい。

美術館を出て、あらためて眺める革命広場。

よくみると、石畳のレンガひとつひとつに模様が彫ってありました。

ほんの30年ほど前に、おびただしい血が流れたことなど、嘘のような平和な光景です。

セクリターテという秘密警察の存在はなんだったのか。

チャウシェスクの堕胎禁止などの政策からうまれたストリートチルドレン。

彼らが洗脳されてセクリターテに仕立て上げられたとも聞きます。

とにかく、街中を監視し、少しでも反政府的な発言をしようものなら、逮捕されるという恐怖政治。

この場所で、セクリターテと市民の間で、激しい銃撃戦がありました。

セクリターテは最後までチャウシェスクを守ろうとしていました。

正しいかどうかは別として、また洗脳されていたということもわきに置けば、崇高さを感じてしまいます。

新撰組のような。

人を斬るということは、斬り返される覚悟あっての秘密警察。

(どこかの国の秘密警察は、単なる承認欲求ですからね・・)

クレツレスク教会

革命広場に建つクレツレスク教会。

18世紀から建つ、革命が起きても無事だったルーマニア正教の教会。

教会の隣に、上半身だけの像がありました。

コルネリウ・コポスという人の像。

共産党批判で政治犯として収監されるも、革命後に議会に復活した政治家の鑑としての像だそうです。

教会の基礎部分は、ビクトリア通りからは一段低くなってます。

建立されたのがオスマン帝国時代というのもあるのでしょうか。

残念ながら、内部は撮影禁止。しかし、外の喧騒が一切聞こえてこない静けさ。

天井には見事なフレスコ画。

善と悪を裁く神だそうです。

教会の隣に本屋さんがありました。あの地図ほしいな・・・地図が大好きな私ですw

本屋さんに沿ってベンチがあったので、しばし休憩。

革命広場は、いまの景色からはとても当時をうかがえないほどの変貌ぶり。

道ゆく人々の顔にも、それを読みとれるものはなにもありませんでした。

だから観念だけで感動していたわけですが、それでも、たったの33年前ですからね。

景観は変わっていっても、余波を受けた方々の記憶には、いつまでも残り続けるものでしょう。

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