パナマの歴史は古く、先コロンブス時代の遥か昔に遡る。
地図をよく見れば、南北のアメリカ大陸が陸続きであることを確認できるパナマ地峡は、古代から先住民たちの交易路の中心だった。
アステカ文明が栄えたメソアメリカと、黄金の国と称えられインカ文明が築かれたアンデス山脈。
両大文明の間を細くつなぐパナマは、時に文化と交易の橋渡し役を担った。
先住民たちは、この地で翡翠や貝殻、織物といった工芸品を交換し、文明のつながりを深めていったという。
そして、この地の歴史を大きく変えたのは言うまでもなく、1492年のコロンブスによる新大陸発見である。
スペイン人、コンキスタドールの進出により、インカ帝国の黄金が略奪され、この地を通じてヨーロッパへ運ばれた。
サン・ロレンソ要塞は、こうしたスペイン帝国の膨大な富を守るため、1671年に築かれた防衛の要である。
ガトゥン閘門からサン・ロレンソ要塞へ
プライベートでチャーターされたヒュンダイは、ガトゥン閘門からパナマ運河の入り口まで戻り、そこを巨大なアトランティコ橋で反対側へ渡る。
この橋が、パナマ運河の大西洋側をまたぐ唯一の橋なので、巨額の建設費も頷けるが、この橋の向こう側には、今向かっているサン・ロレンソ要塞のほかには観光スポットも人家もほとんどないので、交通量はあまりないらしい。
橋を渡り切ったところで、猛然としたスコールにあう。
スコールがあがると、建設中のような別荘地帯へ。
リゾート化しようとしているみたい。
運転手がスピードを落としたので、窓の下を見るとアライグマより少し顔が細い。
運転手に聞いてもわからない。
Googleで調べると「アカハナグマ」らしい。
せっかく中米に来たのだから、「ナマケモノ」くらいは見たかった^ ^
カリブ海沿岸にたたずむサン・ロレンソ要塞
サンロレンソ要塞に到着。平日なので、観光客も少ない。
入場料は8ドルのようです。
世界遺産にも登録された石造りの城壁が、まず出迎えてくれます。
潮騒と潮の香りに満ちた城壁の中を歩いていきます。
地図がないので、さほど広くもないのに、ガイドさんがいなかったら迷子になるかも。
静かに潮の香りに包まれている外壁。
でもよく見れば、数世紀にわたる激動の歴史を物語るように、修復を繰り返しています。
先住民にとって、スペイン人の来襲は、その後の運命を大きく変えてしまった。
しかし、この要塞は、そのスペイン帝国が、他国や海賊からの攻撃を防御するために造られたもの。
弱肉強食の世界に、なんとなく儚さを感じてしまう。
博物館になっている防空壕
元は防空壕なのかどうかはわかりませんが、トーチカのようなほら穴の中は、博物館になってました。
海賊や敵対勢力からの襲撃が相次いで、幾度も再建された要塞の歴史が描かれています。
その襲来ルートも。
1779年は、イギリス海軍から凄惨な攻撃を受けたことで、重要な転機を迎えた年。
1779年といえば、アメリカ独立戦争の最中。
イギリスはスペイン領土に対しても積極的に攻撃を仕掛け、特にスペインの交易路を断つために様々な拠点を狙っていました。
サンロレンソ要塞はその戦略的な位置から、イギリス軍にとって重要な標的だったらしい。
城壁の上から眺めるカリブ海
ところで、この運転手兼ガイドさん。
パナマ人だと思うけど、英語で解説してくれるから助かる。
ネイティヴのような発音でなく、英語教師のような言い回しなので、かえって私のような英語力のない人間にはわかりやすい。
要塞の脇には、ガトゥン湖から流れるチャグレス川。
川にはなにが棲んでいるんだろう。森には、なにが棲んでいるんだろう・・・
そんなふうに思わせる神秘な風景。
そして、カリブ海。大西洋岸の海を見るのは久しぶりだ。
城壁の上にも上がってみよう。
城壁の上に立って海を眺めれば、なんとなくだけど、アステカやイン力、そしてスペイン人たちの思惑が交差した歴史の重みを感じる。
発見当時から、運河の構想はあったという。
そもそも、70km向こうにもうひとつの大洋が横たわっていることを、よく察知したものだと思う。
なぜ、陸の方に向いているのか、わからなかった。
こちらは、幾度も修復を繰り返したであろう正門。
のろしのような仕組みはなかったのかな。
要塞と海との関係を見るのに、ドローンでも飛ばしたら面白かったかも。
約1時間にわたる見学が終わりました。