コロンビアの首都ボゴタのエルドラド国際空港に到着。
政情的に、「旅人が行きたくても行けない」時期があった国への渡航はとても感慨深い。
内戦を乗り越えてきた国コロンビア
感慨深いといっておきながら、わずか2日の滞在でコロンビアを去ることになるのは、ほんと申し訳ない話であるが、感慨深さの根底にある、この国が乗り越えてきた数々の内戦を整理してみる。
コロンビアでは、実に半世紀に渡って内戦が続いていた。
文字通りの武力による内戦であり、政府軍、左翼ゲリラ、民兵組織、そして麻薬カルテルが絡み合った複雑な内戦だった。
もちろんその背景には、政治的対立、貧富の格差、農地問題など、いくつもの要因が関係している。
きっかけは、1948年4月9日、コロンビアのポピュリズム政治家「ホルヘ・エリエセル・ガイタン」が暗殺された事件である。
ガイタンは革新派のリーダーであり、貧困層や労働者、農民に支持され、社会的不平等の是正や土地改革を主張、保守派エリート層が支配する政治体制に強く反発していた。
そんな人物であるガイタンが、(おそらくは保守派勢力に)暗殺されたのである。
この事件をきっかけに、「ボゴタ暴動(ボゴタソ)」と呼ばれる大規模な暴動が勃発した。
首都ボゴタは焼き討ちされ、さらに自由党と保守党の対立が激化し、1950年代には「ラ・ビオレンシア(暴力の時代)」と呼ばれる内戦へと発展。
この混乱が、1964年に結成されたFARC(コロンビア革命軍) やELN(民族解放軍) などのゲリラ組織誕生につながっている。
このゲリラ組織は、麻薬ビジネスを資金源に成長し、1980〜90年代、世界最大の麻薬王パブロ・エスコバルが暗躍した時代は、コロンビア史上最も暴力が支配した時期だった。
誘拐、爆破、暗殺など、国中が恐怖にさらされた時代。
労働者や貧困層を支持する側が麻薬に手を染める、なんとも皮肉ななりゆきである。
ところが、2000年代に入ると、コロンビアにも春が訪れた。
長年の戦闘で革命軍FARC側も政府側も疲弊し、互いに組織力が弱まったことで和平交渉が進んだ。
さらに、ノルウェーやキューバが仲介するなど、国際社会の支援も和平を後押しした。
そして、2016年革命軍FARCと政府の歴史的な和平合意が成立。
50年以上におよんだ内戦は事実上終結した。
地方ではいまだに麻薬組織や武装勢力の影響が色濃く残るも、首都ボゴタやメデジンでは治安が改善し、観光地としての魅力も取り戻しつつある。
ここまで、コロンビアが第二次世界大戦後の約半世紀、内戦を乗り越えてきたことを記してきた。
今回の旅で、もっとも興味深かった国はコロンビアだ。
もちろん、コスタリカもパナマも憧れていた国。
しかし、政情が安定せず、ふたたび渡航に懸念が生まれるかもしれないコロンビアに対しては、私にとってみれば、大袈裟な表現だけど、今しかないという気持ちで、無理やり日程に組み込んだ。
イミグレの手前には外国人観光客を迎え入れるスローガン。
その中に日本があったのは嬉しい。
チェックミグのチェックなし&コロンビアペソの取得
コロンビアの内戦に、私のような一介の旅人が言及するなど、厚かましく、身分不相応であるが、ともかくコロンビアに入国できた。
フライト前に、あれほど苦労したチェックミグの登録完了画面など、まったく確認されなかった。
ただ、渡航目的については、詳しくヒヤリングされた。
泊まるホテル、滞在日数、帰りのフライトチケットは言わずもがな、この2日間、どこをどう歩くのか、など。
たとえ私がテロリストだったとしても、たった2日では偵察すらできないとは思うけど。
コロンビア入国が、私の渡航歴において51カ国目となった。
そして、ATMでコロンビアペソの取得。
1000ペソが35円ということは、1ペソが0.035円。
デノミが実施されそうな掛け目であるが、コロンビアペソは、アルゼンチンなどとは違い、まだデノミを実施したことはない。
ただ、紙幣をつぶさにみていくと、ゼロが3桁ほど省略されている。
デノミの準備という意味合いもあるのだろうか。
Uberでボゴタ旧市街ラ・カンデラリア地区へ
空港を一歩出ると、冷房が冷えすぎていた機内やコンコースとは違う冷気を感じる。
ただいまの気温は14度。さすがに標高2,600メートルの高地だ。
さて、さっそくボゴタ旧市街のラ・カンデラリア地区へ向かう。
ホテルもそこにとってあるし、何よりボゴタの中心街である。
バスターミナルは市街から離れてるし、タクシーは違法な白タクも多いとのことで、Uberを呼んでみた。
空港前の渋滞に揉まれながらもUberは待つこともなく到着。
空港から街へ至るロードサイドの風景は、とても記憶に残る。
思っていた以上に渋滞がひどい。
クラクションがけたたましく響き、バスやバイクが道を奪いあうように走る。
信号で止まると、すかさず物売りが窓の外に現れた。
何を売ってるのか興味はあるけど、目を合わすと売り付けられそうだ。
ところで、渋滞はいっこうに緩まない。
そのうちドライバーが進路を変えたな、と思ったら、何やら坂道を登りはじめた。
ボゴタ旧市街の背後にあるモンセラーテの丘沿いにクルマを進めているらしい。
私としては、ホテルに着いてくれさえすればいいが、いきなり標高3,000mを越えるこの丘を登ることになるとは驚きだ。
ここも、いちおうアンデス山脈なのだろうか。
このようにコロンビアのボゴタは、高い丘や山々に囲まれた大きな盆地に広がる街である。
私の旅経験で、標高2,600mの盆地というのは記憶にない。
街を歩きはじめたら、どんな光景を目にすることができるのだろうか。
あらためて、ボゴタを旅程に加えたことの喜びが心に湧き上がり、Uberのなかで勝手にひとりほくそ笑んでいる自分がいた。