さて、タイトル通りなんですが、比叡山延暦寺です。
古都京都における世界遺産登録は17か所ありますが、その一つが比叡山延暦寺。
比叡山延暦寺といえば、織田信長の焼き討ちが有名でしょうか。
私もその一人ですが、「延暦寺」の延暦って創建時の元号ということを、今になって知った愚か者です(^^)
日本仏教の密教の草分けともいえる、最澄が開いた天台宗と空海が開いた真言宗。
そして最澄がこもって修行していたのが比叡山です。
そんな仏教のルーツともいえる比叡山延暦寺の名前の由来すら知らなかったことに愕然としてしまいましたが、とにかく、ロープウェイで比叡山山頂到着です。
シャトルバスで比叡山延暦寺 東塔へ
比叡山延暦寺と一口に言っても、実は広範囲に仏塔が分かれています。
大きく「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の3エリアですが、この3つをすべて回るのは、クルマでもない限り半日がかり。
本日は天気も悪く、琵琶湖の眺望もいまいちだと思われ、早めに先斗町の旅館にチェックインしたいこともあって、一番手軽な「東塔」に絞ることにしました。
ロープウェイで着いた私は、いま「比叡山頂駅」にいます。
下の地図のように、約10分でバス停まで歩けば、「東塔」行きのシャトルバスを拾えます。
では、道を間違えないように山道を歩きます。
あれは、北海道でよくみかける「ルピナス」かな?
バス停が見えました。そしてバスが停まってます。ラッキーです。
「西塔」行きでしたが、「東塔」を通ることを確認して乗り込みます。
運転手さんに「ひがしとうへ行きますか?」と聞いてしまった。恥ずかしい・・
地名や史跡の名称は、正確に覚えましょう。
一瞬、琵琶湖が見えましたが、本日の天気ではくすんで見えます。
シャトルバスは6分ほどで、私を「東塔」入り口まで運んでくれました。
やっぱり、クルマで来る方のほうが大多数のようです。
万人がすべて仏になれる天台宗のはじまり「比叡山延暦寺」
仏教は、それを日本に取り入れるかどうかで蘇我氏と物部氏で争われたのが、飛鳥時代までさかのぼる話です。
最終的に、蘇我氏が物部氏を滅ぼし、仏教は日本に認められ、聖徳太子の十七条の憲法でも神道から仏教へと民を導いています。
ところが、仏教と政治が強く結びつき過ぎて、天皇は政教分離をしようと考えます。
そこで、平安時代になると、時の桓武天皇は最澄に唐に渡らせ、最澄は天台宗という新しい仏教を日本に広めました。
ちなみに天台宗は、中国の霊山・天台山(上海の南約240㎞)からきており、遣唐使とともに唐に渡った最澄は、この霊山を登り、写経(お経を書き写すこと)したといわれます。
そして、無事帰国したのちの806年(延暦25年)天台宗として日本に広め、823年には比叡山の草庵が「比叡山延暦寺」と名付けられました。
比叡山延暦寺のルーツは前述の通りですが、そもそも天台宗というのは、万人向けのもの。
つまり大乗仏教であり、「信仰する心があれば、すべての人が救われる」といったもの。
ここから先は、私のようなしろうとが論ずべきではないと考えますが、そもそもの仏教のはじまりであるブッダの教えは大乗仏教に近いもの。
となると、紀元前に菩提樹の下で悟りを開いたブッダの教えが日本に伝わった起源が比叡山延暦寺ということもできるのか。
そんな頭の体操をしながら、比叡山延暦寺「東塔」の建物を回ってみます。
10年に渡る大改修中の根本中堂
さて、「東塔」の総本堂である「根本中堂」ですが、どうも改修中。
2026年までかかる大改修とのこと。
改修の状況も調べずに訪れるのは、私の悪いクセです(#^^#)
ところで、もとの建物は、1642年に徳川家光の命で竣工したものとのこと。
織田信長の焼き討ちにあったからでしょうか。
延暦寺の山門「文珠楼」
根本中堂の対面にある文珠楼に行ってみます。
楼と呼ばれるように、根本中堂からは、きつい石段を登ってようやく出会えます。
しかし、これは延暦寺の山門。
つまり滋賀県坂本側から来ると、一番最初に目に入る門になります。
そう考えると、立派な門に見えてきました。
中国五台山の文殊菩薩堂にならって建てられたそうですが、焼失した後の再建です。
「大講堂」&「阿弥陀堂」
根本中堂から少し歩くと、「大講堂」がある広場に。
大講堂とは、僧侶が法華経を勉強する場。
日蓮や法然など、宗派を超えて木像が安置されているそうです。
「西塔」や「横川」にも行ってみようかな、と気まぐれましたが、所要時間を見て却下です。
「大講堂」から少し登ると「阿弥陀堂」へ。
朱色の柱がよく映えます。東塔で、もっとも高い位置にあります。
阿弥陀堂の横に並ぶのが「法華総持院東塔」。
平安時代、最澄は日本全国の6カ所に宝塔を建立しましたが、信長の焼き討ちで焼失。
400年ぶりに再建された、東塔でもっとも新しい建物です。
根本中堂と同じように信仰道場でもあります。
想像を絶する「十二年籠山行」とは
ところで、比叡山延暦寺では、現在でも厳しい修業が行われています。
なかでも、「十二年籠山行」という修行は、密教として最澄が比叡山にこもり、悟りを得た伝統的な修行。
要するに、12年間、山にこもるのです。
ただ、こもるだけでなく、「人とは会わず」「毎日3,000回お経を唱える」。
なぜかというと、「仏の姿を見る」ため。
はっきり言って、凡人には信じられません。
12年間他人と会わないこともすごいですが、仏の姿を見るためにお経を唱えるということは、いうなれば「終わりのない修業」ですからね。
ちなみに、この修行を完遂された方は、戦後7人しかいないそうです。
私には、そんな修行とても無理だし、お腹空いた(笑)
梅雨空の比叡山ですが、標高があるため、意外に涼しいんです。
温かいそばといきますか。
うん、美味しいけど、味が薄い?
塩分に気をつけないといけないのに、こんなに七味を掛けちゃって・・・
こりゃ、私には、一生修行なんてできそうもないですね(^^)