【京都一人旅 #25】数多い「東福寺」の塔頭(たっちゅう)のなかで迷子になる

「錦市場」「木屋町」「先斗町」の散歩は、日本の街歩きの楽しさを思い出させてくれました。

さすが、日本の観光都市代表の京都。

街歩きの感触も、京都ならではの際立ったもので、自分が旅人として、少し年季が入ったかな、と思わせるもの。

単純に、日本の町を歩いたことが少なかっただけのことですが(笑)

 

時刻は14時過ぎ。今私は三条駅にいます。

これから日没までの5時間は、ふたたび京都の寺院めぐり。

京阪電車沿いの著名な寺院「東福寺」と「伏見稲荷」に寄るつもりです。

「東福寺」までは、三条から駅で4つです。

迷いに迷う「東福寺駅」から「東福寺」までの道のり

関西の電車には、めったに乗る機会がないんですが、すごく清潔な印象をうけます。

三条から4つめなので、すぐに「東福寺」に到着。

京阪電車・東福寺駅を降りると、もう目の前には「東福寺」の看板が。

こりゃ、簡単に行けるな、とタカをくくりましたが、ここから迷いに迷いました。

というのも、このあたり、お寺がすごく多いんです。

後で知りましたが、この本寺の境内にある小寺のことを塔頭(たっちゅう)と言って、「わきでら」とも呼ぶそうです。

京阪電車「東福寺」駅から「東福寺」への道のりは、結果として、グーグルマップの推奨ルートではなく、以下のグレーのルートを歩くのがおすすめです。

次から次へと、小寺・塔頭が現れるので、少し戸惑いますが、とても楽しい散策です。

次々に現れる「東福寺」の塔頭に惑わされる

これがまさに、「退耕庵」という東福寺の塔頭寺院。

このあたりは塔頭寺院だらけです。それが、迷子の原因にもなるのですが。

せっかくですから、ちょっとのぞいてみますか。

ここも応仁の乱では焼失したそうですが、その後再建された「茶室作夢軒(さくむけん)」は、豊臣秀吉の没後、石田三成、宇喜多秀家らが、関が原の戦いの謀議を行った場所らしい。 

しかし、なんだか落ち着きますね。

ガイドブックにも載ってないようなお寺が、数多く点在する「東福寺」。

退耕庵のすぐ先にあるのが霊源院。これは、ただのお寺のよう。

参拝客が現れはじめたので、「東福寺」の方角はあっていると思います。

こんなところに「東福寺」の名勝のひとつ「通天橋」が現れるので、さらに旅人を迷わします。

これは、地図に載っていなかったお寺。

名前はカッコいいですが、善慧院と明暗寺、1箇所で2寺の看板を掲げているみたいです。

同聚院。藤原道長が建立した五大堂の遺跡と書かれています。

この霊雲院は、寄ってみてもよかったかもしれません。

見どころは、「九山八海(くせんはっかい)の庭と臥雲(がうん)の庭」。

昭和の名作庭家重森三玲(しげもりみれい)氏により修復された、昭和期を代表する日本庭園が遺されているそうです。

明治維新の際には、西郷隆盛がここで秘密の会議を行ったというミステリアスな一面も。

不定休のようですが、本日は残念ながら休館でした。

素晴らしき「臥雲橋」からの眺め

霊雲院のある角をまっすぐに進むと、次第に見えてくる木造の橋。

 

知識のない私のような人間は、これが「東福寺」の「通天橋」か、と早合点してしまいます。

が、これは「臥雲橋」。

一般公道の一部が木造100%なんて、さすが京都です。

この「臥雲橋」は、紅葉の季節には立ち止まりが禁止されるようですが・・・

おお・・これは見事。

あちらの橋が「東福寺」の名勝「通天橋」なんですね。

紅葉の時期に立ち止まり禁止って、わかる気がする。

 

加工してイタズラしてみました(^_^)

こんな景色が現れたら、そりゃ立ち止まりますよ。

「臥雲橋」を渡って、さあそれこそ「東福寺」にはどう向かうのかな。

「通天橋」が左に見えたから、左よりであることはたしかですが。

すると、道沿いに「東福寺山内案内図」が現れました。

境内が広く、そして塔頭の多い「東福寺」です。

こういうのがないと迷いますよね。入り口の日下門はすぐそこのようです。

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