イスラエルという国

9月下旬に予定しているイスラエルへの旅。

「何故、イスラエルに行くのか。」については後述しますが、航空機もホテルも押さえて、旅への準備を着々と進めてます。

ちなみに、いつもは往復の航空券以外は予約せずに出発する私も、イスラエルという国情から、現地のホテル、現地の航空券など一通りゲットしました。

行く先が決まっていないと、入国を拒否されるかもしれない、そんな予感が頭をよぎりました。

イスラエルとは、「神の戦士」!

素直に、すごい国名だと思います。今、一番行ってみたい国です。

イスラエルの外務省危険度情報

ところで、外務省の海外安全ホームページによると、イスラエルは、一部のパレスチナ自治区などを除いては「レベル1:十分注意してください。」という危険度。

日本国民である以上、レベル2以上のエリアに踏み込むのはご法度と私は考えていますが、逆に言えば、黄色い場所のレベル1までであれば、お達しの通り十分注意すれば、自己責任において観光は可能。

例えば、南米各国はほとんどレベル1です。つまり、リオにオリンピックの応援に行ってるすべての観光客は、レベル1の危険度を認識する必要があります。それが、自己責任というものでしょう。

イスラエル 海外安全

出典:外務省海外安全ホームページ(2016年8月現在)

 

イスラエルに行きたいと思った理由

ところで周囲は、またまた、「なんで、そんなとこ行くの?」「危ないんじゃないの?」「イスラム国の連中に襲われない?」といった反応です。もう慣れましたが(笑)

イスラエルに行きたい、と思ったきっかけは、世界史や宗教に対する関心からでした。

私は、宗教論者ではありませんし、各宗教に対して偏見もありませんが、数年前から、一社会人の必要不可欠な知識として、世界史や宗教を学び始めています。

今まで、気にも留めたことのなかった宗教。日常生活においては、何かいいことがあれば、「神様ありがとう」ぐらいにしか考えていなかった神というものの存在を、極限にまで崇高させる世界とは、どのように理解すればよいのか。

宗教に関する書物を読み漁ったあげく、最終的に、なるほど、と思わせる記述を見つけました。

たしかに、肌の色や民族や言葉が違っても、人間は人間である。でも、人類という生物種としての肉体、つまりハードは同じでも、ソフトとしての精神が違っていれば、果たして同じ人間であると言い切れるだろうか。大事なのはソフトとしての精神ではないのか。そして、その精神に最も影響を与えるものこそ宗教に他ならないのだ。
もちろん、平和は大切である。世界から戦争を根絶しなければならない。人類の心も一つになることを私も痛切に望む。でも、そのためにも、いや、そのためにこそ宗教に対する理解というものが不可欠なのである。

はっきり言って、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の真の姿を知らずして、現代の世界情勢は絶対に理解できないと断言できる。「宗教が違えば、まったく違う人間になる」ことを知らなければならないのである。
(出典:一条真也 著作 「ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教」より)

個人個人が、どんな宗教を信じるか、無宗教なのかは自由。あるいは、神の存在を信じるか信じないか、聖書の記述を信じるか信じないかも自由。

しかし、世界の政治・経済を動かしている主要人物の多くが宗教と関わっており、それが、時には心の支えになり、時には戦争の原因になってきたということは、認識しないといけないということでしょう。

私のような、にわか宗教論者がこれ以上言及すると話が混乱するので、もうやめますが、にわか知識ゆえに浮かんだいくつかの素朴な疑問があります。

イスラエルの首都(認めていない国多数あり)であり、古代イスラエル・ユダ王国の首都エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教にとっての共通の聖地。イエス・キリストが処刑された地でもある。

まずは、これ。「共通の聖地」って考え方が成り立つのだろうか。凡人には理解できません。

「旧約聖書」はユダヤ教の聖典。「新約聖書」はキリスト教の聖典。しかし、ユダヤ教徒は「新約聖書」の存在は認めない。そして、イスラム教の聖典は「コーラン」であるが、「旧約聖書」「新約聖書」ともに、一応認められている。

そして、これ。三宗教ともに呼び名は違っても、同じ神を崇めることから、そういうことになるんだろうけど、三宗教とも一神教。これまた凡人には理解できません。

でも、ここに、イスラエルに行きたいと感じた動機があります。

考え方の違いから、これだけ対立する三宗教。でもって、同じ神を崇めるというのが理解に至りませんが、同じ神というのならば、私の感覚では「旧約聖書」が基準。

だって、これがなかったら、何も生まれなかったわけですよね。

そもそも、物事が新とか旧とか解釈されるということは、旧の側にとてつもなく大きいパワーがあったからこそ。

「旧約聖書」を創ったユダヤ人こそが、この世界を動かしていると、私にはそう見えるんです。

そして、当然ではあるがユダヤ人にとっては「新約聖書」は存在せず、聖書はただの聖書。

そう考えていくと、ますます、イスラエルに行きたくなりました。

イスラエル人は自分たちの国をよく「一瞬も退屈のない国」と形容する。実際、1948年に独立して以来、60余年のこの国の歴史は波乱に満ちている。周辺アラブ諸国との間では、四回の主要な戦争を勝ち抜いてきた。1973年の第四次中東戦争以来、国家間戦争はなくなったが、イスラエル側が「テロ」と呼び、パレスチナ側が「解放闘争」と呼ぶパレスチナ・ゲリラとの戦いは熾烈を極めた。さらにパレスチナのイスラム組織ハマスや、レバノンのシーア派組織ヒズボラとの大規模な武力衝突も繰り返し起こっている。
(出典:立山良司著作 「イスラエルを知るための60章」より)

シオニズム運動を起こし、イギリスの三枚舌外交に乗じて、命がけで建国した国。

前述の通り私は宗教論者ではありませんし、イスラエルという国の歴史観には賛否両論もあるでしょう。

だからこそ、行ってみたいんです。

「神の戦士」という国で、営んでいる人たちの表情や文化を見てみたい。

願わくば、それまで、中東情勢安定していてください(笑)。