ライトアップされたクウェートシティ&祈りを聞きながら頂くチャイ

クウェート最後の夜。

おそらくライトアップされているであろう街並みを眺めたくて、スーク・アル・ムバラキーヤまで、暮れゆく空の下をゆっくり歩いてみる。

ライトアップされたクウェートシティ

気温もいくばか下がり、ストリートではカフェも賑わいはじめてました。

薄暮の空ににじむ摩天楼とモスクのシルエット。

ほんの数日いただけなのに、どこか離れがたい感情が自分の内側に溜まっているのがわかる。

明日は、バーレーンを経てドーハへ。そしてその翌朝には日本行きのJAL便。

また次に、こんなアラビア文字だらけの街を歩くのは、いつになるだろうか。

空の色の変化に合わせて、激しくなる渋滞。

すごいなこのビルは。何羽の鳥がえじきになるだろうか。

振り返れば、昼間は無表情にそびえたっていた摩天楼に灯りが。

この光景だけ見て、ここが日本の四国程度の大きさの、ペルシャ湾奥地の小さな国とは思えないでしょう。

クウェートの人口は約500万人。

そのうち、3分の2が外国人労働者なので、純粋なクウェート市民は約150万人。

異教徒や他民族と一緒に社会を支えあえる人たちを、私は尊敬します。

ライトアップされたモスクと渋滞。

アル・シャムラン・モスク。

ロータリーの真ん中に立ってるので、お祈りするのにクルマがジャマと思われます^ ^

それにしても、ライトアップされたミナレットに、パームツリーがよく似合う。

では、スークに向かいましょう。

途中、路地の隙間から見えた解放塔。

実は高さ372mで、クウェートにおいては最も高い建造物。東京タワーよりも高いですね。

幾度通っても楽しいスーク・アル・ムバラキーヤ

昨夜に続いて訪れたスーク・アル・ムバラキーヤ。

アラビア文字に囲まれる快感。これはクセになる。

これは、飲み物? それともシロップ? お酒でないことは確実だけど。

ジュースも売ってるみたい。と、思ったら、急に喉が渇いてきた。

では、おやじさん、メニューをくださいな。

プライスも確認せずに、ストロベリージュースを・・・

はい、2ディナール(1,000円)なり・・・

このストロベリージュースが1,000円。日本円も弱くなったもんだ(^ ^)

ポケットの中を調べると、私の軍資金は残り2ディナール。

明日の空港アプローチはCareemを使うとして、現金を使う場面はもうないかな。

祈りの声を聞きながら味わうチャイ

1,000円のストロベリージュースは、間違いなく1,000円分美味しかった。

そして、スークの探訪再開。

昨夜、歩き尽くしたと思ったけど、見慣れない通り。

行き止まりの奥に、ふわりとした静寂な空間の気配。

そこにあったのは、祈りの姿。

ここは、観光客向けのモスクの壮麗さとは無縁の、街の人々の日常に溶け込んだ祈りの場所だった。

モスクとも違う・・・

壁際に並んだマットの上、数人の信者が東を向き、ただ一心に祈っている。

その所作は驚くほど静かで、しかし驚くほど力強い。

世界の喧騒が一瞬だけ遠くなり、そこだけが別の時間に包まれているようだ。

 

カメラを向ける場面ではない。

私は、向かいのチャイ屋の椅子に腰を下ろし、その神聖な光景を、そっと心に焼きつけることにした。

ふいに、目の前に無言でチャイを差し出すおじさんが現れる。

アジア人である私を、まったく意識しないそぶりが心地よい。

そして、私を包む、お香とタバコの煙が混ざり合う濃密な空気——日本では完全な嫌煙家の自分が、なぜか心地よさを感じているのが笑える(^ ^)

チャイの熱は、さっき見た祈りの静寂とともに、体の奥にゆっくり沁みていく。

スークの夜は賑やか。

たしかに賑やかなのに、静寂を感じるのはなぜだろう。

祈りの反対側にはバーバーショップ。

よく見れば、長髪の男性はいない。

いま、このスークで、もっとも髪の長い男は私だろう。

連日の街歩きで疲労蓄積、眠くなってきた。

名残惜しいけど、親父さんにカネを払って、祈りとチャイにお別れ。

さすがにチャイはポケットの奥底の硬貨で払える値段だったのでホッとした。

昨夜も心ゆくまで徘徊したスークだが、何度歩いても飽きることがない。

旅というものに「同じ光景」なんてひとつとして存在しない——そんな旅人の真理めいた感覚を、あらためて実感する。

同じ道を歩いても、店主の表情も、客の足取りも、香りも光も、ぜんぶ微妙に違う。

ましてや、自分の心だって日々変わる。

そんな旅の楽しさの原点に帰れたクウェートの街歩き。

これなら、明日の朝、心置きなくクウェートを飛び立てそうだ。