クウェートシティで迎えた静かな夜明け ジュース&サモサの朝食

望みがかなったとき、人はどんな気持ちになるのだろう。

達成感、夢心地、あるいは感慨・・・人それぞれだと思うが、私の場合はいつも決まって「幽体離脱」のような感覚に陥る。

旅先でバケットリストを一つ静かに消し込んだ瞬間にだけ起こる、私特有の現象^ ^

たかがクウェートでおおげさな・・・と言われるかもしれないけど、人それぞれの思い入れなど、当人にしかわからない。

スークで感じた余韻を楽しむ朝

昨夜のスークで感じた余韻を楽しみながら、ホテルのベッドで目を覚ました。

10月11日のクウェートの夜明けは朝6時ごろ。

スークの賑わいを演じていたクウェート市民は、当然まだ眠っていることだろう。

しばらく、窓のそばに立って、刻々と変わりゆく空の色を楽しんだ。

地図を眺め、平面上の距離を想像し、「本当にそんな場所があるのだろうか」と思い描き続けてきた土地。

そこに実際に降り立つと、肉体と視覚と記憶のつながりがいったん断ち切られるような、不思議な浮遊感が訪れる。

昨日のクウェートでの“幽体離脱”は、そんな今までの経験の中でも群を抜いていた。

なぜ、クウェートごときにそんな思いを、と問われると理路整然と答えるのは本当に難しい。

前にも書いたが、戦火を重ねたうえで、勝手に引かれた直線の国境。

にもかかわらず、実は日本とも経済上の結びつきは強く、しかし実態はベールに包まれている。

そして、実際に立ち会えば、人々は日本人以上に堂々と生活を営んでいた。

白いトーブを着こなし、胸を張って歩く男たち。

黒いアバヤやニカーブをまとい、静かな気品を漂わせる女性たち。

宗教、歴史、そしてこの国の確かな豊かさが、歩き姿そのものに現れていた。

まるで白と黒の衣装がこの国の美意識を象徴する“動く芸術”のようで、私はただ呆然とその流れに見入った。

低い家並みがどこまでも続き、その奥に新しい高層ビル群が霞んでいる。

それがクウェートシティという街。

淡い朝焼けが建物の輪郭を溶かし、都市全体がゆっくりと目を覚ます。

その景色をただ眺めていると、昨夜スークで置き去りにしてきた私の魂が、少しずつ肉体へ戻ってくるような気配がした。

なんだか、実のない詩的な感じの朝になったが、これが当時の私の正直な気持ち。

ペルシャ湾岸の地というのは、かくも私の記憶になにかを与え続けてきたということなんだと思う。

サモサとジュースの朝食

「そうだ、サモサを食べよう」

昨夜、言葉も通じないまま、勢いだけで買い込んだ揚げ物たち。

コーヒーもいいが、喉も乾いている。

ジュースでも買ってきたいが、ホテル近くのコンビニは開いてるだろうか。

ホテルから徒歩2分の、名もなきコンビニ。

コンビニというより個人商店。

夜型のクウェートの街で、朝7時でよく営業してくれていたものだ。

何が報道されているのだろうか。

これを読みこなせる民族は、私にとって異次元世界。

幽体離脱を感じるのも、これも理由の一つだろう。

さて、店内には若い店主がひとり。

酒以外の商品は、なんでも揃ってる個人商店だった。

ほんとに豊かな国なんだと思う。

買い込んできたジュース。

1ディナール紙幣を渡して、くれたお釣り。

さて、今日はバスに乗ってみようと思うが、バス代はいくらだろうか。

パイナップルジュースに、ザクロジュース。

縦書きのアラビア文字もカッコいい。

さて、サモサの具はなんであるか。

野菜やイモ類。

熱い昨夜のうちに食べた方が美味しかったかもしれない。

でも、油は軽い。昨日のカブサもそうだったけど、油に何かコツでもあるのだろうか。

石油の国であるだけに(^ ^)

食べているうちに、自分の肉体に、ようやく少しづつ魂が戻ってきたようだ。

もう一度窓辺に立つと、バスが走りはじめている。

国立博物館の営業開始時間は8:30。

そしてグランドモスクは9:00。

実は、その2つとも、工事中で空振りに終わるのだけれども、このときは、そんなこと思いもよらず。

バスに乗って博物館に向かおうと、小銭をポケットに入れてホテルの部屋を出ました。