バーレーンは車社会。
約780㎢という東京23区と同じくらいの小さな国に、34万台ものクルマがひしめき合っている。

人口は約150万人だから、34万台というのはそれなりにすごい数だ。

それも、トヨタ、ホンダ、ヒュンダイ、メルセデス、BMWと1台とてみすぼらしいクルマは存在せず、私も所有すら考えたことのないような高級車が走り回っている。
湾岸諸国でいち早く石油採掘に成功し、F1誘致も早かった。
そして近年は観光にも力を入れているお金持ちの国。
一人当たりGDPも3万ドルを超え、まもなく日本は抜かれることでしょう。

そういう国だから、ひとたびUberをクリックすると、あっという間に配車が行われる。
私のような弾丸旅行者にはとても便利な国。
アル・ファテ・グランド・モスクを見学した私は、Uberの高級車に乗って、次の目的地「バーレーン要塞」へ向かいます。

古代文明の交差点「バーレーン要塞」

さて、Uberを降りた場所は、ほんとにここが世界遺産?
と思わせる、ただの砂漠。
でも、マップと解説図があるから、やはりここが「バーレーン要塞」のようです。

半信半疑のまま進んでいくと、遺跡の外構のような跡が。

右手には、ペルシャ湾の干潟が広がります。
気温は30度を超え、蒸し暑いんですが、海からの風が吹くと涼しい。
いちおう秋のようです。

進んでいくんですが、入り口がわからない・・・

人影も見えない・・・

ようやく入り口を見つけました。

どうやら、私は反対側からアプローチしてたみたいです。

ようやく世界遺産の雰囲気になってきました。

「バーレーン要塞」は、バーレーン最初の世界遺産として2,005年に登録された古代遺跡。

歴史は古く、紀元前2,300年ごろまで遡ります。

世界遺産登録の決め手となったのは、チグリス・ユーフラテス川沿いのメソポタミア文明とインダス文明を繋ぐ交易の要衝であったこと、とされます。

言われてみれば、たしかにペルシャ湾の中央に位置する交易の関所ですね。
そこに栄えたのが、ディルムン文明と呼ばれるシュメール人が産んだ交易都市。

メソポタミア側からは、穀物、オリーブなどの食料のほか、銀、錫などの鉱物、そしてディルムンはインダス側の象牙やペルシャ湾で採れた真珠などを、それぞれ輸出していたみたいです。
今から4,000年以上も前の話。

外壁は珊瑚でも使っていたのだろうか。

けっこう立体的な遺跡。

まだまだ掘れば掘るほどに、新たな発見がありそうですね。

古代文明と摩天楼の対比の妙

私しか入場者がいない世界遺産。
海から吹く風に、バーレーンの国旗が、誇らしげに揺れます。
そして、陸の方を見やるとバーレーンの国力を示す摩天楼が。

要塞の向こうに見えるマナーマのガラスビル群。

かつては海と交易に支えられた中継都市。
現在は、石油と金融によって成長した国際的ビジネス都市。

人類の技術は400年で石からガラスに変わった。
しかし、そこに吹きつける 海風は変わっていない。

この国は小さいけど、過去と現在と祈りと暮らしが同じ地平に並んでいる。
この対比の妙は偶然ではなく、バーレーンという国の来歴そのものを物語っている気がしました。

そしてこの海の沖を、日本のタンカーも日々往来し、それで日本の国は成り立っている。

地理的な位置関係だけでなく、この場所は地球の過去から未来までを一望できる「歴史の地層」そのものという感じがします。

来た時とは反対の方に歩いて行くと、正門らしき場所に出ました。
やはり私は、反対側から入ってしまったようです。

ということは、私は無賃乗車ならぬ無賃で入場しちゃったかな・・・
でも、係の人、誰もいませんでした。
施設の人も見学者も誰もいない、不思議な世界遺産でした。
