アンデスのアートなスラム街エルパライソを歩いてみる【コロンビア旅行記 #7】

生涯で初めて、こんなにエモーショナルなケーブルカーに乗った。

日本から1万キロ以上離れている南米コロンビア。

その距離からしても、私を含めて日本人は、遠く離れた異国の地に対する漠然とした恐怖と、不安定な治安状況ばかりが強調されることが多い。

しかし、そうしたイメージの奥に、確かに生きる人々の日常が広がっていることに、私はどうしても目を向けてみたかった。

そして訪れた街が、アンデス山脈のふもとに広がるエルパライソ。

スペイン語で「楽園」を意味するこの街。

終盤を迎えている今回の中南米旅も、本日が最も楽しみにしていたクライマックスである。

アートな壁画に囲まれたストリート

スラム街なんて、興味本位だけで訪れる場所ではない。

でも、そこが、政府の支援があって観光地化され、オプショナルツアーが催行されようなら、旅人として足を踏み入れても許されるだろう。

しかし、まだ日本においても情報は少なく、外国人旅行者が単独で訪れるにはあまりにもリスクが高いと踏んだ。

私はボゴタ発の半日ツアーに申し込み、前を歩くのが女性のガイドさん。

本日は土曜日にも関わらず、エントリーは私だけで、事実上のプライベートガイドになる。

坂道だらけの路地を歩きはじめて、まず目に飛び込んできたのがアートな壁画。

ボゴタのラ・カンデラリア地区のアートも見事だったが、こちらもスプレー缶を何本消費したのか想像もつかない巨大な壁画である。

無機質なコンクリートの壁は、もはや単なる背景ではなく、そこに生きる人々の物語を語るキャンバスと化していた。

ひときわ目を引くのが、大きく目が見開かれた人の表情。

瞳にはどこか悲しげな光が宿るが、その周囲にはコロンビアの象徴ともいえる豊かな自然が描かれ、まるで未来を見つめるような表情をしていた。

これらの絵を眺めてると、この地に生きる人々の強さと、自由への強い願いが感じ伝わってくる。

グラフィティアートは、しばしば反社会的な落書きと見なされることもある。

しかし、ここエルパライソでは、それが街のアイデンティティ。

この壁画1枚1枚をじっくり眺めていくだけでも、ひとつのイベントになる。

丘の上につくられた街だから、本当に坂道が多い。

そしてそこには、かすかだけど、かつてはスラム街だった匂いをかぎとれないこともない。

次々とシャッターを切る私をガイドさんはにこやかに眺めているが、昼間であればガイドさんなしで行動できたように思う。

そのくらい、街をつつむ空気に、ゆとりが運んできたかのような和やかさを感じる。

エルパライソ(楽園)とは、よい命名をしたものだと思う。

かつてのスラム街エルパライソのメイン通りを歩いてみる

ガイドさんにうながされて坂を下り、路地からストリートに出た。

ここが、エルパライソの目抜通りなのだろう。

学校もあるらしい。

標高2,700mを超える高地で、8月というのに気温は10度。

しかし、坂道を歩けば、空気の薄さも相まってのどがかわく。

なんの果物かわからなかったけど、甘さひかえめの美味しいジュースだった。

メイン通りを中心に向かって歩きます。

目に飛び込む文字も、耳に入る言葉もまったくわからない。

南米の見知らぬ街を歩いているという旅心地が急速にわいてくる。

エルパライソは、内戦や貧困によって農村を追われた人々が都市部へ流入し、住む場所を求めて無秩序に形成された集落だったそうだ。

当初は、掘っ立て小屋がひしめく違法占拠地。

しかしそこに、簡素ながらもレンガ造りの家を並べ、電気や水道といったインフラも整えて育まれてきたエルパライソ。

これらの解説は、すべて女性ガイドさんから説明を受けたもの。

コロンビア人で、一生懸命英語を勉強したらしい。

街中にはスーパーこそないものの、商店はある。

衣料品店や家電製品店も。

どこに農園があるのかわからなかったけど、果物も豊富なようだ。

この風景を見たとき、なんとなく旅のデジャブのようなものを感じた。

町のストリートがあり、そこで生活を営む住民が映り込んでいる絵。

旅人として、もっとも眺めていたい風景だ。

ストリートアートに人々の生活空間。

わずか1週間の中南米の旅でも、こんな街に踏み込めたことが嬉しい。

ふと、前を行くガイドさんが路地に入った。

そして、この家の前に案内する。

友達の家だそうだ。

手細工で作り上げた小物をスーベニアとして売っている。

家の中は、すべてエルパライソを象徴するものばかり。

記念に買わずにいられない。

ゴンドラを形どったキーホルダーをいただきました。

霧に霞むアンデス山脈とボゴタの街

店を出ると、小雨がぱらついてきた。

傘を借りると、ガイドさんと友達は民族衣装のようなものを雨除けにする。

すごく遠いところに来たような気分になる光景。

ほんとに旅の終盤に、良い思い出になったと思う。

最後に案内してくれるのは、小高い展望台だそうだ。

なるほど、私が参加したツアーは私だけだったが、他にもいくつか組まれているらしい。

月並みな表現だけど、見下ろす光景は、まさに圧巻だった。

眼下には、急斜面にへばりつくように建てられたカラフルな家々が広がっていた。

赤、青、黄色、緑と、決して整然とはしていないが、その雑然とした色彩の混ざり合いが、街全体に生命力を与えているように感じられる。

遠くには、ボゴタの街並みが広がる。

その先には霞がかったアンデスの山々がそびえている。

レンズを望遠にすると、ワインディングロードのような道と、ケーブルカーの途中駅がみてとれる。

この街の家々は、もともと貧しい人々が住処を求めて建てたもの。

でも、その荒々しい地形の中で、たくましく生き抜こうとする人々の力が、この風景に独特の美しさを与えていると思う。

住民がどのくらいケーブルカーを利用しているかわからないけど、文明の利器が街に活気を与えているのはたしかだろう。

さらに目を凝らせば、つましい家々も目に入る。

実は近年、このスラム街にさらなる変化をもたらしているのが、隣国ベネズエラからの難民たちだ。

2010年代後半から、ベネズエラは深刻な経済危機に見舞われ、数百万人もの人々が祖国を離れてコロンビアをはじめとする周辺国に逃れてきた。

希望を求めて国境を越えた彼らも、仕事を得ることは容易ではなく、行き着く先は、ボゴタ郊外のスラム街であることが少なくない。

エルパライソにもベネズエラから来た家族が暮らし、日雇い労働や物売りをして生計を立てている。

ガイドさんが、そんな説明を私にしてくれる際、表情は暗くない。

ケーブルカーの開通が、この場所に来ることを容易にしてくれた。

観光収入が、持続的にこの街をさらに活気づけると期待したい。

ぽつりぽつりだけど、ツアー客も姿を見せる。

私も記念に撮ってもらった。また来ることがあるだろうか。

エルパライソの街から下山

ツアーも終了。ボゴタの街に帰ります。

グラフィックアート作成の現場も見ることができた。

ケーブルカーの駅前通り。

スナックで、軽いランチ。

なんという食べ物か聞き取れなかったけど、ジャガイモを主体にしたボリュームのある食感。

さて、下りましょう。

ちょっと、名残惜しくなって、ケーブルカー駅の脇から、もう少し下界を見学。

ほぼ赤道直下のコロンビアには、さすがに雪は降らないだろうけど、これが雪景色になったら日本のスキー場そのもの。

親近感が湧くのはそのせいかもしれない。

では、今度はほんとに下山。

エルパライソの街に別れを告げます。

ニュース映像などでは決して見えてこない生活の営み。

わずかな時間だけど、リアルな日常に触れることができて本当に感無量だ。

遠ざかっていくエルパライソの街。

そして、終点が近づきました。日本円で約1万円だったプライベートツアーも終わりです。

ガイドさんにはチップを奮発しました。

エルパライソという街の生い立ちなど、歴史的観点を丁寧にわかりやすい英語で説明してもらい本当に感謝したい。

ボゴタの滞在はあと半日。

トランスミレニオで街に戻って、また旧市街を歩くとしましょう。