ダッカ街歩き 〜 ジョンソンロードをブラブラと【バングラデシュ旅行記 #12】

ブリゴンガ川の渡航を終えて、時計を見れば11時。

ホテルへの帰還予定時刻18時まで、あと7時間。

追い立てられる気分で、ショドルガットをあとにします。

とくに行くあてはないけど、リキシャに乗って、ホテルからショドルガットへ来た時の通りがなかなか面白そうだったので、歩いてたどってみることにしました。

Googleマップを見れば、その通りの名は「ジョンソン・ロード」と呼ぶみたいです

ルートはこんな感じ。距離は3km、ちょうどいい散歩道です。

バハードゥル・シャー・パーク(ビクトリアパーク)の学生さん

まずは、船着場から離れようとするんだけど、これがけっこう難しい。

リキシャにクルマにバイクが入り乱れ、人の歩行もままならない。

ようやく落ち着いて、通りを北へ。

なんとなくだけど、港町らしい雰囲気。

でも、電線はいっぱいある。

ダッカの電線を総延長したら、どのくらいの長さになるんだろうね。

と、急に視界が開けました。

広めの通りに出たわけですが、すると、バスに視界を塞がれる忙しい街。

気のせいか、学生さんっぽい、若者が目につくように。

あとで知ったんだけど、ここにはオールドダッカ唯一の公立大学「ジャガンナート大学」があるみたいなんです。

どおりで、若者が増えたわけだ。

さとうきび売ってるのはおじさんだけどw

そして、ここから北へ伸びる通りが「ジョンソン・ロード」。

名前の由来はわからない。

その右手に公園がありました。

入ってみると、学生さんと老人ばかり。

でも、実はここは歴史的に重要な公園。

「バハードゥルシャー・パーク」と呼ばれるこの公園は、かつて「ビクトリア・パーク」と呼ばれていた。

1857年。インド人による反英闘争。いわゆる「セポイの乱」。

その際、とらえられたインド人数百人が公開処刑された公園が、この場所なのです。

「ビクトリア・パーク」の由来は、けっしてインド側の勝利というわけではなく、反乱を鎮圧したイギリスがインド帝国にビクトリア女王を統治においたから。

それから「バハードゥル・シャー・パーク」と名が変わるまで、約100年要しました。

バハードゥル・シャーとは、ムガル帝国の皇帝の名です。

歩道橋から見下ろすダッカの人の流れ

セポイの反乱か・・・

中学校で世界史の時間に習って以来でてきたワードに、若干とまどい・・・

と、思ったら、警察がいる。わけもなく焦ります。

歩道橋があったので、登ってみます。

上から見下ろすと、やっぱりすごいな・・・

人口1.7億人のバングラデシュですね。

目の前の光景もすごいけど、騒音もすごい。

親切にも歩道橋には屋根が。これなら雨露をしのげそう。

真上から眺める街が、これまた壮観だ。

たとえは悪いけど、血栓が詰まっているかのよう・・・

完全にバスが行手を塞いでしまっている。

このジョンソン・ロードを横切るには歩道橋が必要な理由がわかります。

しかし、誰も使ってない^ ^

再び三度カレーのランチ

ちょうど、昼どき。ランチにしましょう。

ノービーフな店。

なぜ、この店にしたかというと、ただよってきたカレーの香りが、とても香ばしかったから。

再び三度、カレーの食事ですが、今回はライスにしてみました。

このチキンカレーが、スパイスたっぷりきいてます。

奥にあるキュウリみたいので、中和しろってことかな。

ライスには、ゆで卵がのっかってました。

とり肉は骨付きだったけど、柔らかく煮つけてあってとても美味しい。

ライスもなかなかのものです。ナンにはおよばないかな^ ^

とにかく辛い・・・コーラを追加。

全部で180タカ(234円)だったと思う。美味しいランチでした。

商店やマーケットが並ぶジョンソン・ロード

腹ごしらえもすんで、ふたたびジョンソンロードを北へ歩きます。

なんだか、昭和の時代、秋葉原の電気街にあったような店が並んでるんだよな・・・

オールドダッカはオールドダッカでも、東寄りの地区は、店の並びに特徴があります。

雰囲気がまるで違うから面白い。違う街のよう。

道も広めだしね。

東京でいえば、秋葉原や御徒町、上野あたりを彷彿とさせる通り。

でかいマーケットもありました。

マーケットの中は、衣料品であふれてました。

シャツの1枚くらい買ってみたい。

では、ロンドンバスの走るバンガバンドゥ・アベニューに出て、いったんホテルに帰りましょう。

水分補給など、体制を整えて、午後はふたたびオールドダッカ西側を攻めてみたいと思います^ ^

今回のバングラデシュ2泊4日ひとり旅の全行程・費用などはこちらです。