古代から、離島は流刑地としての役割を担ってきました。
佐渡島も例外でなく、順徳天皇や日蓮、世阿弥をはじめ70人ほどが流されています。
そんな流刑地としての歴史観点からミュージアムとしているのが「佐渡歴史伝説館」です。
佐渡一人旅の3日目。
朝から「妙宣寺」「佐渡国分寺」と見学した私は、ふたたびバスに乗って、この伝説館に立ち寄りました。
時刻表通りに来たバスに手を挙げて乗り込むと、
「手を挙げてくれて助かった。」と、運転手さん。
観光客がこのバスに乗るのはまれで、普段通り通過するつもりだったとのこと。
佐渡に配流された偉人たちのミュージアム「佐渡歴史伝説館」
ミュージアムのバス停でバスを降ります。
すぐに小木港行きのバスの時刻を確認。11:32発がある。
現在10:15だから、1時間ちょっとの見学時間があります。
ちなみに、ここに立ち寄ろうと考えたのは、昨夜のこと。
ノーマークでしたが、佐渡と言えば流人の島。
偉大なる流人たちのロボットが当時を模して解説してくれるというので、寄ってみた次第。
900円の入場料を払って入ります。
ここも、私一人の貸し切りかな、と思ったら、女性の2人組の観光客がいました。
順徳天皇や日蓮のロボット
さて、どんな仕掛けなんだろうと期待して待っていると、いきなり部屋が暗くなり、人形が登場します。
解説してくれるのは、なんと、順徳天皇の長女「慶子女王」。
1221年の「承久の乱」。朝廷が企てた鎌倉幕府討幕という大事件。
北条政子の演説もあって、敗れた朝廷側は相次いで島流しに。
後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳天皇は佐渡へ流されました。
順徳上皇が25歳の時でした。
それから21年間、順徳天皇は佐渡で暮らしますが、京都への思いを忘れることはありませんでした。
そして、46歳の時に自ら佐渡で崩御したことなどが語られます。
雷が落ちて処刑を免れた日蓮聖人
誰でも知る「南無妙法蓮華経」日蓮宗の日蓮。
宗派が排他的であったことからも、敵も多く、幕府の怒りまでをかって1271年に佐渡に流されました。
ところが、処刑されようとするその瞬間。
すさまじい光が処刑人の刀に宿り、処刑は中止に。
その光の正体は雷だったそうですが、それを知らなかった私は、シャッターチャンスを逃しました(^^)
その後、「北条家の内乱」や「蒙古の襲来」の予言を的中させ、流人から放免され鎌倉に戻ったそうです。
世阿弥 雨乞いの舞
能楽で名を馳せた世阿弥も佐渡流刑者の一人。
72歳の時、当時の室町幕府将軍・足利義教に疎まれ都から追放。
佐渡島に島流しとされました。
島民を救ったとされる「雨乞いの舞」の演出は見事でした。
流人伝説以外にも、佐渡に伝わる様々な文化伝統が演じられます。
鶴の恩返しの原話が佐渡であったことも、初めて知りました。
12景にわたる演出がはねると、お土産屋さんにつながってました。
軽食屋さんもあります。
コーヒーを一杯いただきます。ていうか、佐渡に来て三日目で初めてのコーヒー。
佐渡の流人伝説がとてもわかりやすい、「佐渡歴史伝説館」でした。
順徳天皇を祀る「真野宮」
「佐渡歴史伝説館」を出ると、「真野御陵」の文字が。
これは順徳天皇の墓で火葬塚。行ってみたかったですが、ここから徒歩20分。
バスの時間を考えるときわどいので断念し、かわりに順徳天皇を祀る「真野宮」を訪れます。
「真野宮」は、「佐渡歴史伝説館」に隣接。
順徳天皇のみならず、菅原道真も祀っているようです。どういう組み合わせだ??
ここは、もともとは真輪寺と呼ばれ、真野御陵御火葬塚の管理をしていましたが、明治の廃仏毀釈を経て、「真野宮」と改称し、今に至ります。
順徳天皇の遺品である短刀や硯、扇子などが保管されているそうです。
真野という地名には、酒蔵にもある由緒ありそうな雰囲気を感じてましたが、かつては佐渡国の国府が置かれていた伝統の地名。
現在の佐渡の中心は両津ですが、都が京都であった時代、本土からの海路は真野のほうが好都合だったのでしょう。
社殿からも貫禄を感じる「真野宮」でした。