ようやく手に入った交通カード「ブスプルス」をポケットに大事に仕舞って、また通勤の風景を眺めます。
ベオグラード朝の通勤風景
異国の人々の日常生活って、見てると、なにか心休まります。
レミオロメンの「太陽の下」。
「地平線の向こうでも人は営んでる」というフレーズが、ふと頭をよぎります。
地球上どこでも、人々は生活をするために、朝から活動しているんだ・・・
たしか、そんなフレーズ・・・
私は、現役世代の旅行者。風来坊な旅人ではありません。
3日か4日後には、目の前と同じ、激動の日常が再開される。
そんな思いで、目の前の光景を見てるので、共感を抱けるからだと思う。
しかし、同じ通勤ラッシュでも、やっぱりスラブ人、センスある。
日本では、ふつう、通勤途中でサングラスなんかかけないでしょ(笑)
素直に、カッコいい、と思います。
聖サヴァ教会
通勤風景を眺めていたバス停の背後にあったのが、聖サヴァ教会。
東方正教会のなかでは、世界最大規模とのことで、御見それしました。
まわりの舗道は整備中。
建設が始まったのが、実は最近の1935年。内部はまだ未完成とのこと。
イスタンブールのモスクにも似てる気がする。
正面に回ってみました。早朝のこの時間は逆光になります。
東方正教は、偶像崇拝禁止のはずですが、立体ではなく、絵だったらいいのでしょうか?
教会の前の公園では、朝からお父さんが子供と遊んであげてる平和な光景。
ベオグラードのトラムに乗る
では、次は、聖サヴァ教会から、旧ベオグラード駅に向う途中にある、NATOによる空爆跡を見学しに行きましょう。
歩いても500mたらずですが、せっかく手に入れた交通カード「ブスプルス」を使ってみたい。
朝の8時を回っても、まだ、このような通勤ラッシュです。
ベオグラードのラッシュアワー。
驚いたのは、この状況の中、検札が乗り込んできて、乗客1人1人から、パスのようなものを確認しはじめたこと。
さっきは、結果的に無賃乗車になっちゃったけど、今は、ブスプルスを持っています。
差し出すと、端末に当てて、有効期限内かどうか確認しています。
けっこう厳格だなあ・・・
どこで降りればいいのかな、などと考えているうちに、トラムは、坂をぐんぐん下り、旧ベオグラード駅の前まで来てしまいました。
とりあえず、ここで降ります。
私をここまで運んでくれた、最新型トラムが、身をくねらせて発車していきます。
反対側に向うトラムに再度乗車します。
ちなみにこれが、自動改札機。ここに、カードをあてると、ピッと音がして処理が完了します。
天気予報とか、いろんなニュースが流れてました。
今度は、maps meを立ち上げて、NATO空爆跡のビル付近で、トラムを降りました。
新旧のトラムがすれ違う風景。
NATO空爆ビル
トラムの駅から、少し坂を下ると見えました。NATO空爆ビルです。
NATOとは、ご存知北大西洋条約機構。アメリカやヨーロッパで構成された軍事同盟です。
その軍事同盟が、なぜセルビアを空爆したのかというと、セルビアからコソボが独立を図ろうとしたコソボ紛争に端を発しています。
1997年ごろからはじまった紛争は、両者間ではもはや解決の糸口が見出せない泥沼の様相を見せてきました。
そこで、NATOが乗り出したのですが、セルビアはもともと旧ユーゴスラビアで東よりの国。
コソボはアルバニア人で西側の国。
NATOはコソボ側についたため、ベオグラードは空爆によって、甚大な被害を受けたわけです。
空爆の期間は、1999年3月24日から6月10日までの78日間。
公的機関や、病院、学校などが徹底的に破壊されたらしい。
亡くなった方は2500人。
今でも残る空爆による建物の前には、軍隊の広告のようなものが掲載されています。
自衛という考え方は重要だ、というメッセージなのでしょうか。
なぜ、正面に行って、堂々と撮らないのかというと、警察がいっぱいいるから。
セルビア人にとって、空爆ビルは、恨みの象徴でしょう。
そんなものを、軽々しく撮りにいけば、何をされるかわかりません。自重したほうがよさそうです。
これは、その警官がいっぱいいる交差点。政府系の建物で囲まれています。
これも、空爆後に新しく建てたのでしょう。
コソボ紛争のことを、いろいろ調べてから来たつもりですが、実際に空爆跡を見ると、正直身震いします。
起きたのが1999年。大昔の話ではないんです。
色んな方のブログを拝見すると、コソボでバスに乗っていたらセルビア人に投石されたとかいう話を見かけたりします。
セルビア人のコソボに対する憎悪は、まだまだ根が深いのかもしれません。
当たり前ですが、セルビアは、コソボという国を承認していません。
だから、コソボからセルビアへは、国境を通過できません。
ちなみに、国連加盟国中、コソボを承認しているのは111カ国。85カ国は未承認。
日本は、承認している111カ国の中に入っています・・・気をつけないと。
空爆ビルから東に向って坂を登ります。
おいしそうなお弁当屋さん?
20年前に空爆を受けた街だなんて信じられない。
そして、あの建物が政府庁舎。
政府庁舎の前には、空爆による2500人の被害者の顔を掲げた横断幕があると聞いていましたが、それらしい雰囲気はありません。
でも、空爆がはじまったのが1999年の3月24日。
今日は2019年の3月21日。20年目の日まで、あと3日・・・
セルビア人の思いを知ることはできませんが、平和そうな街並みには、ほっとするものを感じます。
朝のラッシュも、だいぶ落ち着いてきました。