さて、本日のメインイベント「国民の館」ですね。
これは、簡単に言ってしまうと、共産主義時代の独裁者チャウシェスクが、国民が飢餓で苦しむ傍らで、贅の限りを尽くして造らせた巨大な宮殿です。
まあ、歴史というのは当事者でないと真のところはわからないし、近年になって世論調査をすれば、彼を評価する人もいるので、部外者が断定的なストーリーを描くのは危険でしょう。
しかし、「チャウシェスクの落とし子」と称される、人工妊娠中絶や離婚を禁止したり、女性に5人以上の子供を産まないと重税に課したりした一連の政策は事実であり、「飢餓輸出」とされる対外政策でルーマニア国内の電力供給がままならなくなったのも事実。
そして、そんな状態であるにもかかわらず、アメリカのペンタゴン国防総省に次いで2番目に大きいとされる「国民の館」を建設し、当時の日本円にして1500億円もの巨費を投じたのも事実。
民間でも国家でも、プロジェクトを進めるというのは本当に難しい。
外圧がなければ何も決められない日本もどうかとは思いますが、ひとりの権力者がすべてを決めていくというのは、ハマれば凄まじい成果を生み出しますが、裏目に出た場合は恐ろしい結果が待っている。
ルーマニアの共産主義は、ひとつの事例だと思います。
そんな「国民の館」が観光客に開放されています。
今回の、ブルガリア&ルーマニアの旅。
目的はいくつかありましたが、その中でも上位に位置するのが「国民の館」の見学。
満を持して、ホテルをチェックアウトです。
ツアー予約が必要な「国民の館」見学
朝の散歩の後、ホテルの部屋で休憩して午前10時にチェックアウト。
これは、「国民の館」の見学時間が11時からであるため。
「国民の館」は、フラッと訪れて入ることはできず、必ずガイド付きのツアーに参加する必要があります。
もちろん、いきなり訪れて、空きがあれば、その場でツアーに参加することも可能でしょうが、英語ガイドの人気は高く、予約が無難ということで、トリップアドバイザーで予約を完了させました。
言語は、このほかにルーマニア語とフランス語があるようですが、ベルトラなどのオプショナルツアー会社をたずねれば、日本語ガイドなどの設定もあるようです。
英語ガイドといっても、英語に自信があるわけではなく、今回のためにICレコーダーまで新調して用意しましたw
ちなみに、ツアーの料金は日本円で3,200円でした。
統一大通りから眺める「国民の館」
今朝も瞥見した「統一大通り」を西に向かって歩きます。
この大通りは500m以上あるんですが、すでに前方に威圧感を持って立ち塞がる「国民の館」。
目の前までくると、その大きさに圧倒されます。
広角レンズで撮っているのでおさまってますが、標準レンズでは無理。
高さ84mに横の長さが275mです。
東京タワーの高さが333mですから、それが横たわっているようなもの。
延床面積330,000㎡。これは、アメリカ・ペンタゴンに次いで世界で2番目の広さ。
ちなみに、東京ドームの広さは46,755m²ですから、東京ドーム7個分。
※国民の館が延べ床面積なのに、東京ドームがただの広さというのは少々ずるいですがw
そもそも、なぜこんな巨大な建物を造ったのか。
それは、ルーマニアの経済力を世界にアピールするためだから。
ふつうに訪れたら、どこが入り口なのか迷うでしょうね。
建物の周囲を一周するだけで、たぶん1km以上。
入場にパスポート原本が必要な「国民の館」
トリップアドバイザーに指定された交差点の角に行くと、すでに何人かの観光客が。
ここでいいのかな?と、尋ねるまでもなく、ガイドさんらしき人が名簿を見ながら、
ガイド「Excuse me、Mr. ○○?」
私「Yes」
ガイド「Do you have the document?」
パスポートを見せると、
ガイド「ok perfect!」
段取りのよいやり取りが終わって、ツアー客全員で入口に向かいます。
先頭を歩くベレー帽をかぶったお兄さんがガイドさんです。
ルーマニア製の素材を用いて造られた「国民の館」
さて、実際に中に入ると、ガイドさんが交代。
さっきのガイドさんは、次のツアー客のもとへ。
そして、パスポートの確認と厳重なセキュリティチェックを受けたのち、内部へ入れます。
このカードが、セキュリティチェック済みの証のよう。
ちなみに、カメラも持込可で撮影もできます。
最初に案内されたのが、コンスタンティ・アレクサンドル・ロゼッティホール。
この巨大なシャンデリアの下で、現在は国会の議会が開かれているそうです。
そてにしても、素晴らしい大理石の柱。いままでに見たこともない。
ルーマニアの経済力の強さを誇るための建物なので、大理石や木材、絨毯に至るまで、すべてルーマニア製とのこと。
ガイドさんは、次から次へと部屋を案内してくれますが、私の理解度は3分の1ほどw
3,107ある部屋には、実は寝室がひとつもない。
したがって、住むための館ではなく、共産党員をすべて押し込み、監視するための建物だった。
という説明がありました。
だから、「チャウシェスクが贅を尽くした」というのは、自分たちのためではなく、ルーマニア国家のため、という解釈になるのだろうか。
途中で、別のツアーグループとすれ違いました。
回る順番も、たぶんそれによって異なるんでしょう。
続いて入ったこの部屋。左側にいる方がガイドさんです。
流暢な英語で説明してくれますが、流暢すぎて私はついていけないw
「国民の館」建築プロジェクトのリーダーは、アンカというルーマニア人女性。
弱冠25歳で、700人の建築家を擁するプロジェクトの責任者になったらしい。
投入された労働者は2万人以上。3つの組に分けられ、24時間稼働で建築されていったとのこと。
この建物の中に、シャンデリアは3000以上もあるそう。
もみの木を細工して造った扉。
これ、国会としては過分な設備。
ルーマニアの議員さんはいいよな^ ^
このカーペット1枚の大きさがすごいです。
階段に使われている大理石の量は、相当なものでしょう。
その大理石に施されたモザイクも素晴らしい。色は5種類あるような説明だったけど。
どのシャンデリアかは、忘れてしまいましたが、ルーマニア最大と言っていたような気がします。
いくつかあるホールにおいて、最大のユニオン・ホール。
このホールだけで、総面積2,200㎡。収容人数は2,000人。(聞き間違いかもしれません・・)
体操のコマネチ選手の結婚式が行われたという説明がありました。
そして、この部屋だけが、天井がガラス張りになっています。
当初は、可動式の天井を計画していたとのこと。
建築に関する知識などなにもないですが、この広さを中間柱なしで支えるのは、相当技術的に苦労したんじゃないかな、そう思います。
この国会議事堂には、会議室が45室、レストランが4ヶ所。
そして映画館が2ヶ所、屋内プールもあると説明するガイドさん。
いい職場環境だな・・・うらやましいw
大理石の階段を上がって、2階へ。
踊り場に吊られていた、このカーテンがすごい。
長さ18m、重さ250kg。だから両方で500kg!
洗濯が大変だ、と言って、ツアー客を笑わせてました。ユーモアもあるガイドさん。
それにしても、こんな丁寧な作りの大理石階段なんて、生涯見たことない。
2階に上がって振り返ります。
最後に案内された部屋。
これも、最も大きい部屋のひとつで、コンサートホールなどに使用されている。
当時は、この席全て共産党員が埋めて、議会を行なっていたとのこと。
めずらしくシャンデリアがありませんが、そのかわり太陽光が降り注ぐように、あかり窓が設えています。
そして、そのあかり窓のデザインがすごすぎる・・
ツアーは終了です。
ガイドさん、1時間半もの間、丁寧な説明ありがとうございました。
ツアー客もみな満足していました。
「国民の館」完成を見ずに処刑されたチャウシェスク
外に出ると、どこか、もう少し内部にとどまっていたかった気分。なんでかな。
この建物を造るきっかけになった独裁者チャウシェスクが、たった33年前に処刑されたのがなんだか信じられないからかもしれない。
実際に、建物内部を歩き、ガイドさんの説明を聞いていると、政策の成否はともかく、ルーマニアという国のことを考えていたんだな、という気がしないでもない。
だからこそ、独裁はよくないということですね。
政策が間違っていた場合、それを止めるものが誰もいないわけだから。
1989年のルーマニア革命のとき、「国民の館」の完成度は7割だった。
建設が完了したのは1997年のことである。
1989年12月25日の映像を、私はまだ覚えている。
とてもショックだった。
一国の大統領夫妻が、裁判にかけられ死刑判決。
その場で、後ろ手に縛られ、連行され、そのわずか数分後には銃殺されたのだから。
しかも、それがテレビで流されている。
判決が出て、数分後に処刑なんて、これは裁判ではなくテロだろう。
ルーマニア革命により、ルーマニアは民主国家になった。
国民は自由に発言できるようになり、セクリターテ(秘密警察)もいなくなった。
だからよくなったのか、というとそう単純ではないのが世の中。
民主主義は民主主義で、完全ではない。
市場競争とグローバル化の流れは、確実に貧富の差を生み出した。
貧富の差は、治安の悪化や犯罪増加を呼び起こす。
革命後20年を経て行われた世論調査では、生活について4割以上のルーマニア国民が「1989年以前よりも悪くなっている」と回答したという結果もある。
だけど、それでもやっぱり、独裁がよいということにはならないだろう。
私は、人生に勝ち負けはあっても、自由でいたい。
生意気を言うようだけど、自由でいられる日本人であることに感謝したいし、こうして旅を自由にできる境遇にも感謝したい。
人間は、コロナで生活行動を制限されるだけでもストレスを溜める、当たり前のように自由を欲する生き物なんだから。