早朝から「哲学の道」「真如堂」「金戒光明寺」とサクラを鑑賞。
まさに、サクラ、サクラ、サクラと来たわけですが、次のターゲットは、桜にはあまり縁のない「永観堂」。
「永観堂」といえば、京都を少しでもご存知の方ならすぐに「紅葉」を思い浮かべますよね。
そんな「永観堂」に新緑のこの季節に訪れてみようという試み。
さきほどまで拝観していた「金戒光明寺(くろ谷さん)」から徒歩10分ほどというのも寄ってみる気になった理由です。
京都随一の紅葉名所とも言われる「永観堂」とは
正式名称を「禅林寺」と呼ぶ、浄土宗西山禅林寺派の総本山。
平安時代の初期、853年(仁寿3年)に、弘法大師の弟子である真紹僧都により創建されています。
創建当時からその紅葉の美しさは文化人の胸をうち、「モミジの永観堂」として古今和歌集にも詠まれています。
創建当初は密教道場であったが、永観が浄土念仏を唱えて念仏の道場となり、「永観堂」と呼ばれるようになったとのこと。
室町時代の書院造「釈迦堂」をさまよう
では、新緑には少し早い3月下旬ですが、ひょっとしたら桜も拝めるかな、と期待して「永観堂」の総門をくぐります。
感染対策への呼びかけ。
「釈迦堂」に入る「大玄関」。
今回の旅で、寺院の中に足を踏み入れるのは最初。
やっぱり、京都の寺院はいい。
回廊を静かに歩いていくと、心が洗われるかのようです。
この静けさ、たまりませんね。
紅葉の季節は、そりゃ見事なんでしょうけど、そのぶん「雑音」もハンパないはず。
私は、誰もいない書院造を、たったひとり徘徊するほうが好きです。
床も冷たくないし(^_^)
こういう純和室を独占できちゃうんだからすごい。
修行の道場だったようですね。
一週間くらいこもって、本でも読みたい、そう思わせる静かな部屋。
大玄関の隣にあるのが「唐門」。
天皇の使いが出入りするときに使われた勅使門です。
門の前に盛られた見事な砂は、勅使がこの砂を踏んで身を清めるためのもの。
釈迦堂から阿弥陀堂へ向かう途中の庭。
新緑の季節でも、十分すぎるほど見事です。
誰もいない回廊を歩く楽しさ
それにしても、本当に誰もいない。
外国人がいないのは当然としても、新緑の季節の「永観堂」とは、こんなにも落ち着いたたたずまいを味わえるのでしょうか。
御影堂の中からは、お経を読む声がひびきます。
阿弥陀堂は、小高い丘の上にあります。遺跡のような石段ですね。
見事な苔です。
ここだけ切り取って「アンコールワット」だよと言って信じてもらえるかなw
しかし、阿弥陀堂へは、その石段を登らず、回廊が拝観順路になっています。
迷路のような回廊を独り占め。時が止まっているかのような感覚です。
右が「阿弥陀堂」。左が有名な「臥龍廊」。
阿弥陀堂を一回りしてきましょう。
この阿弥陀堂には、ご本尊「みかえり阿弥陀」がまつられています。
しかし、撮影禁止。
私は、回廊を散策するだけで楽しいな。
「臥龍廊」から眺める京都の町
「臥龍廊」とは、山の斜面に沿って諸堂をつなぐ階段になった長い廊下。
屋根の反りが龍の背中に似ていることから、「臥龍廊」の名が付けられました。
この先に「多宝塔」があって、そこからの眺めが絶景らしんですが、「臥龍廊」からは行けません。
木々のすき間から、京都の町を臨みます。
「臥龍廊」を折り返します。階段は急なので、気をつけます。
その階段に舞い落ちる桜の花びら。
見えないけど、どこかに1本くらい咲いてるのかな。
「釈迦堂」まで下りてきました。
「多宝塔」の入り口。
ここまで下ってきて、もういちど、「臥龍廊」までクライムする気にはなれません(笑)
「多宝塔」には申し訳ないけど、割愛します。
秋ならば絶景となる「放生池」。
紅葉はなく、また新緑ともいえない中途半端な季節。
でも、誰もいないという、最大のメリットを享受できます。
おや、数本サクラが咲いてますね。
「永観堂」を独り占めなんて、なんたる贅沢。
時が止まったかのような、「永観堂」でした。