突然ですが、みなさんには、「こいつとは絶対に縁を切りたい!」という人はいますか(^^)
私はいますw
それも、すごく近い関係にいるので、正直まいってます(笑)
いくら血がつながっていたって、人に迷惑をかけていいなんて道理はない。
子供のころから、ずっと縁を切りたかった。
こう考えていいのかどうか、いつでも一人悩み、世間一般的にはふつうに仲良くしている光景ばかりクローズアップされるのが、とても不思議だった。
だから、私自身が変人なんだろうな、と常に不安でした。(ある意味、私は変人ですがw)
ところが、年に一度の会社のカウンセリングで、思い切ってその本心を打ち明けたところ、実はそういう人がすごく増えていると聞いて、ほっとした記憶があります。
いまでは、そう考えることに、なんのためらいもありません(笑)
それだけで、すごく自由が広がった気がする。
心の自由って、大事ですね(^^)
ところで、「悪縁」を断ち切れる神社があることをご存じですか?
全国にいくつもあるみたいなんです。
でも、その総本山?というか、その縁切りパワーが強い神社の一つが京都・東山の「安井金毘羅宮」です。
必ず縁切りができる!?「安井金毘羅宮」
この「安井金毘羅宮(やすいこんぴらぐう)」は、京都の祇園、八坂神社からも歩いてすぐのところにあります。
京都週末旅で、石塀小路の宿に泊まり、その翌朝、帰京する際に寄ってみました。
日曜日の朝10時。すでに、すごい賑わいです。
こんなにも「悪縁との縁切り」を願ってる人がいるのか、と早合点してはいけません。
「安井金毘羅宮」は、悪縁を切るだけではなく、 良縁を結ぶ神社なんです。
なので、カップルがよく訪れているようです。
しかし、私は、「悪縁を切りたい・・・永久に切りたい」と、強く願ってお賽銭です。
ところで、「安井金毘羅宮」のルーツは、主祭神として祀られている平安時代の崇徳天皇にあります。
保元の乱で後白河天皇に敗れた崇徳天皇は、四国讃岐に流されましたが、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切ってこもりました。
崇徳天皇の最期は、後白河天皇に対する怒りで「私は日本の魔王となって、皇族を民の座に引きずり下ろし、民を新たな王とさせる」と、自ら舌を噛み切った血で描く、すさまじいもの。
日本三大怨霊のひとつとされてますね。
「安井金毘羅宮」では、主祭神の崇徳天皇が、自分のような悲しい境遇に庶民があわぬように、全ての悪縁をかならず絶切ってくださるということなんです。
人間関係の縁はもちろんのこと、病気、酒、博打など、この世の忌まわしいもの全ての悪縁切りにご利益があるそうです。
「縁切り縁結び碑」をくぐってみた
境内には、「形代(かたしろ)」が大量に貼られた碑があります。
これこそが「縁切り縁結び碑」で、これをくぐることで、悪縁を切ることができ、良縁を結ぶことができるというもの。
しかし、この形代がすごい。
貼られた数もさることながら、書かれている内容が赤裸々なものばかり。
人間関係を断ちたい、会社を辞めたい、○○を〇めたい、なんてのもありました。
京都といえば、嵐山の北のはずれにある「直指庵」という尼寺。
私は、そこにある「思い出草」という日記を思い出しました。
「思い出草」には、人生の悩みや、過去の過ちへの反省などが、あますことなくつづられています。
順番を待って、私もくぐりました。けっこう狭いのでご注意を。
ところで作法としては、表側からくぐることで「悪縁を切り」、裏側から表にくぐることで「良縁を結ぶ」とのことです。
私は、表からくぐっただけでやめましたが、この女性は良縁を望まれているんですね、お幸せに。
くぐりながら私は、「早く、どっかにいっちまえよ!」と、心の中で、つよく叫びました(^^)
それだけで、心が晴れ晴れとしました。
「安井金毘羅宮」のご利益は相当なものらしい。
これを、オカルトと考えるか、非科学的と考えるか。
私はリアリストですが、こういったご利益に心を投じた場合、気持ちの整理がつくというか、考え方がまとまるというか、決心の後押しをしてくれるような存在と思ってます。
「決意が固まる」ことで、それが行動に移り、「ご利益」という解釈にいたるのでしょう。
人間は悩み考える生き物。
実際にご利益があるかどうかはわかりません。
しかし、自分の気持ちを正直に表現すること。精神的にこんな楽なことはない。
それだけでも、この「安井金毘羅宮」を訪れる価値があると思います。