今の時期、イスラエル全域で、夜明けはほぼ6時半頃。これから、毎朝6時起床です。
早起きして、目いっぱい時間を有効に使うことにします。
今日の予定は、パレスチナ自治区のベツレヘムへ行くこと。しかしその前に、キリスト教の聖地聖墳墓教会を見てきます。
早朝のスークの散歩
これは、誰もいないホテルの玄関前です。
おお、太陽が昇り始めてます
日中は暑かったのが、早朝ともなると20℃前後でしょうか。空気が涼しく気持ちいいです。
標高800mを感じさせますね。
誰もいない旧市街の路地、味があります。
でも、治安上、ヤバくもあるので、慎重に・・・
日中、あれだけ盛況だったスークも、まだこの通り。まだ朝の6時半です。
途中で左に折れて、聖墳墓教会に向かいます。
これは、一体なんだ? ヘチマ?
早朝のゴルゴダの丘
ゴルゴダの丘ですか・・・ キリスト教徒でないので、観念の中だけで、感動している自分。
さすがに朝早く誰もいません。
神聖な聖墳墓教会の中の見学
と、思って入ったら、お祈りの声がします。
教会の中をさまよいます。ていうか、勝手に入って大丈夫かな。
すると、イエスの墓のところで、大勢のキリスト教徒が礼拝中でした。
それにしても、イエスの墓とは・・ なんか、話が大きすぎて怖い・・
香油を注がれた石
この大理石板は、十字架から降ろされたイエスに香油を塗った場所。
いつもは巡礼者が、順番待ちしているそうですが、さすがに早朝過ぎて、あまり人がいません。
でも、シスターがお祈りをはじめました。
なんか、すごいところに来た・・ そんな感じです。
私は、とにかく、信者に対して失礼がないように見学。
チャペルがたくさんあるんですが、なにがなんだかわからん・・・
私はキリスト教徒ではありませんが、それでも空気の重みをギンギンに感じます。
礼拝者の一人一人が敬虔だからです。
すさまじいパワーを感じました。
プレッシャーに押し負けるように、外に出ました。
外に出ると、まだ7時前なのに、観光客が集まりはじめていました。観光客というか、巡礼者ですね。
聖墳墓教会をあとにします。
悲しみの道 ヴィア・ドロローサ
聖墳墓教会を出て、ヴィア・ドロローサという、イエスが十字架を背負って歩いた道をたどってみます。
ヴィア・ドロローサとは、悲しみの道という意味だそうです。
イエスは、ヴィア・ドロローサを歩いて、聖墳墓教会まで来たので、先に聖墳墓教会を見学してしまった私は、順番が逆ですね。
当時も今も、繁華街だったそうです。
そして、母マリアが、イエスが連れられて行くのを見守った場所とのこと。
私は、本当にそんなところにいるんでしょうか。
エルサレム旧市街は、ほんとに細かい路地が縦横に入りくんでいます。
でも、各ストリートの名称はしっかりと明記されています。
イエスを処刑したのは、というより、その要因となったのはユダヤ人(とされている)。
その後、キリスト教が世界を席巻するにつれ、ユダヤ人は迫害の的(の要因の一つ)となる。
そのユダヤ人たちが、イエスが処刑された場所で、(地区は別にせよ)一緒に生活している。
どう理解すればいいのでしょう。学生時代に、もっと勉強しておけばよかった(笑)
いずれにせよ、そこから西暦がはじまっているわけだから、この場所は、世界の歴史の時を刻みはじめた場所ともいえます。
十字架の歩み
この場所は、クレネ人のシモンが、イエスの代わりに十字架を背負わされた場所。
イエスの手形に手を重ね合わせる老婆。
この場所は、十字架の重みに耐えかねて、イエスが最初につまづいた場所。
隣にある苦悩の母の教会は、まだ開いてませんでした。
判決の門。この門の上に、イエスの罪状が張り出されました。イエスが2度目に倒れたところでもあります。
アルメニアホスピス。
なんか、ほんとにすごいところですが、ここが鞭打ちの教会の入り口。
教会のてっぺん。
ヴィア・ドロローサを歩いて、学校あるいは勤めに向う人々。
それにしても、美しい通りです。
日曜日なのに、学校かな?
エッケ・ホモ教会
イエスの裁判が行われた、エッケ・ホモ教会の入り口です。
エッケ・ホモアーチ
エッケ・ホモアーチ。西暦135年に建てられたそうです。
建造物のほとんどは、当時のままでしょうか。
十字軍のときなどに破壊され、修復されたものもかなりあるでしょう。
もう一度、聖墳墓教会の前に戻ると、キリスト教徒の人たちが集まりはじめていました。
7時過ぎになって、ホテル前に戻りました。
エルサレムって、ほんとにすごいところなんだ。昨日から、そんな感想ばかり感じてます。