【バンドン】アジア・アフリカ会議ゆかりのホテル「サボイ・ホーマン」に泊まってみた【インドネシア旅行記 #11】

世界史を専攻した受験生なら必ず記憶領域に入る「アジア・アフリカ会議」。

第二次対戦後の新興独立国の地位を認め、有色人種29カ国で「平和十原則」などを宣言した都市がインドネシアのバンドン。

私も、バンドン会議という世界史イベントのおかげで、バンドンという地名を認識した人間の一人。

インドネシア初の高速鉄道がジャカルタ~バンドンで開業したというのも縁ある話だと思う。

今回、その高速鉄道でバンドンへ入った私は、アジア・アフリカ会議の各国首脳が泊ったとされる「サボイ・ホーマン」に泊まってみました。

そんな格式高いホテルなんて、1泊いくらするんだと思われるでしょうが、設備の老朽化なども手伝って、ブッキングドットコムで1泊5,500円で泊まれます(^ ^)

場所も、バンドンの繁華街「ブラガ通り」に接しているので立地も抜群です。

動画はこちらです。

迷路のような「サボイ・ホーマン」の間取り

高速鉄道のテガルアール駅から、私をここまで運んできてくれたバスが走り去っていきます。

下車したのは、ちょうど「ブラガ通り」の入り口。

つまりこの場所は、バンドンの繁華街の中心。

斜め向かいには「アジア・アフリカ会議博物館」が貫禄よく横たわっています。

そして、振り返って、こちらも貫禄よく横たわっているのが「サボイ・ホーマン」。

これが、アジア・アフリカ会議の国賓が泊まったホテルですか。

ヨーロッパ風でなければ、アジア風でもない。

ともすれば共産圏のようなのっぺりとしたスタイルが、かえって貫禄をそそります。

ボーイがうやうやしく招き入れてくれます。

ほんと不思議。宿泊費5,500円です。

世界的なインフレは、まだインドネシアにはおよんでないということでしょうか。

でも、そんな値段のホテルなので、さすがにボーイはキャリーを運んではくれません。

さて、目指す117号室はどこかな・・・

これが、なかなかに強敵なんです。

古いホテルによくある(のか知らないけど)、迷路のような通路。

上がったり下がったり。

ほんとに迷子になりました^ ^

方向音痴は私の得意技だけど、まさかホテルの中で迷子になるとはw

おや、中庭は兼レストランですか。

それはそうと117号室は・・・

右へ行ったり、左へ行ったり・・・

ようやく部屋の前の通路へ。

まいった、まいった、やっとたどり着きました・・・笑える^ ^

木目調のシックな部屋に癒される

そんな「サボイ・ホーマン」ですが、部屋に入ってみれば、それはそれは貫禄の木目調。

たしかに古さは否めませんが、アンティークな感じが気持ちを落ち着かせてくれます。

誰が泊まったとか、さすがにそこまでは書いてません。

しかし、これで1泊5,500円は安い、安すぎる。

食事はついていませんが。

でも、この木張りの家具って、ほんとに癒される。

アジア・アフリカ会議が1955年だから、69年前。

もちろん補修してるだろうけど、基本的構造はそのままのはず。

昔に戻った気分で、ほんとに癒されます。

設備としては古かったけど、大理石のバスルームは清潔でした。

時計を見ればお昼過ぎ。

アザーンが聞こえる中、高速鉄道でいただいた車内食でランチがわりにします。

アジア・アフリカ会議博物館を訪れてみた

このホテルは、外に出る時も要注意。迷子になります。

道しるべに、枝でも落としていきたい気分。

ホテル前は、文字通り「アジア・アフリカ通り」。

おしゃれなストリート。

ところで、話が前後しますが、本日は2024年2月23日(金)。

ホテルの斜め向かいにある「アジア・アフリカ会議博物館」の休館日は月水金。

なので、1泊した翌朝、このミュージアムを訪れました。

営業日が少ない上に、営業時間も短い。

これを目当てに来る観光客は要チェックですね。

この街を訪れて、このミュージアムをたずねない法はないでしょう。

ただし、チェックはかなり厳重。

QRコードを読み込んで、本人確認登録が必要です。

日本語のガイドがあって嬉しい。

繰り返すけど、東西冷戦のどちらの陣営にも属さない、有色人種だけで独立と平和をテーマに構成したアジア・アフリカ会議。

「植民主義排す」の文字が光って見えます。

参加国は29か国。

このときまだベトナムは統一されておらず、ガーナはゴールドコーストと呼んでました。

このうち、私が行ったことがあるのが17か国。

自分で言うのもなんだけど、私も西欧諸国よりアジアアフリカの方が好きなのかも。

G7の国なんて、まだ行ったこともないし。

実は日本も参加しています。

しかし、1955年といえば終戦から10年。

10年ひと昔なんていうけど、侵略を行ったアジア諸国の首脳と顔を突き合せた日本代表の高碕達之助氏の心境はいくばくであったろうか。

29カ国を招聘したインドネシアの時のスカルノ大統領は、たいへんに胆力を持った政治家だったことでしょう。

世界史を学んでいる学生さんには、こういうところに来て、臨場感を感じながら世界史をストーリーで体験することをおすすめする。

ここには、各国の国賓でありながら、利害対立や宗教の違いなどをへながらも国同士団結して欧米列強とは距離を置こうという張り巡らされた緊張感があります。

入館して1時間ほど、なにやらざわついたな、と思ったら、それこそ学生さんたちでした。

校外学習ですね。

残念なのは、参加国のなかで、シリア、イエメン、アフガニスタン、スーダンなど、内戦が激化して混乱に陥っている国があること。

経済や政治は、発展するよりも成熟する方が難しいということの現れなのかな。

29カ国に入ってなかった韓国や北朝鮮も。

当時、朝鮮戦争が休戦した直後で、両国ともそんな事情ではなかったということでしょうか。

よくみると朝鮮半島以外にも、多くの国が国旗を連ねている。

ようするに白人以外の国よ集まれ、ということでしょうか。

29カ国は、当時の世界人口の半分(13億人)を占めていました。

私も着席して、国賓の気分になってみました(^ ^)

また時が前後しますが、アジア・アフリカ通りの夕暮れ。

夜のサボイ・ホーマン。

木目調のベッドは、ノスタルジックな感じで、ぐっすりと眠ることができました。

今回のインドネシア5泊6日弾丸ひとり旅の全行程・費用などはこちらです。