まだ越境移動が自粛の段階ですが、ソーシャルディスタンスを考慮しつつ国内の旅行ができる時期もそう遠くはなさそうですね。
こうなると、海外旅行がしばらく解禁とならない今、では国内旅行をしようか、という方もいらっしゃるかと思います。
私は、旅は移動距離ではないと考えているので、地球の裏側であろうと、韓国や台湾であろうと楽しめる人間です。
では、日本国内でも十分楽しめるよね、という気がするんですが、実はそんな簡単な話でもないんです。
日本の旅って嫌いなの?
いやいや、違うんです。
まあ、聞いてください(笑)
外国で感じる孤独感や緊張感は外国でないと味わえない
旅に求める価値観は人により様々ですね。
私が旅に求めるのは、圧倒的な孤独感としびれるような緊張感。
他にも魅力はいっぱいありますが、疎外感と言ってしまえるほどの孤立。
雑踏の中でスマートフォンを取り出すだけでも、心臓の鼓動が高まる緊張感。
とにかく、自分以外に頼れるものなし。
無力感を飛び越えて絶望感と勘違いするほどの「たったひとりぼっち」状態。
私にとっては、これが、たまらなく心をときめかせるんです。
具体的には、アジアや中東の路地裏をさまようときのカオスな雑踏。
海外の旅でなにが楽しいのか?と問われればこれが答えになるほど、現地の人々の生活の匂いに包まれた路地を歩き回るのは楽しい。
耳をつんざくほどの雑踏なのに、言ってることが100%理解できない周囲と隔絶された状況。
そこに、生身の身体をおくことで、「自分は生きてる」「心臓が動いてる」って実感できるんです。
一方で、数年前、広島・尾道を旅したのが最後の国内旅行ですが、まったく胸のときめきがないのに愕然としました。
でも、よく考えれば当たり前なんです。
日本は基本的に単一民族国家。
歩いている人はみな日本人(当たり前だ)
そして見事なまでに平和で、またカオスもない。
歩きスマホだって平気でできる(やらないほうがいい)
外国旅行でしか味わえないカオス的空間を、国内旅行に求めること自体そもそも無理だったんです。
目的をはっきりさせて国内旅行を楽しもう
日本にだって、素晴らしい景色や、歴史のある街など沢山あります。
私も、実のところ9歳の頃から狂ったように国内の一人旅を繰り返し、47都道府県も一応全て足を踏み入れています。
旅した回数だって、海外より国内の方がずっと多い。
でもさすがに海外一人旅を40回も繰り返すと、海外かぶれになってしまったようです。
旅すれば、自然と海外のカオスを求める。
そんなふうになってしまったようなんです。
これは、おおいに反省すべき事実・・・
だから、国内旅行だって「景色を見に行く」「史跡を見学する」「美味しいものを食べる」と目的をはっきりさせれば、絶対楽しいはずなんです。
そういうふうに、定義づけてからでないと旅に出られないなんて大袈裟なような気もします。
でも、その土地を歩いて、本来ないものを勝手に求めて「魅力がない」なんて思ってしまうのは、その土地に対してあまりにも失礼ですよね。
日本的な良さを見つけるんだ。
そう意識しながら、まずは地元から、名所・旧跡などを巡ってみようと思いはじめてます。
まとめ
なにが「まとめ」なんだかわかりませんが、海外旅行と国内旅行はまったく別物であるという当たり前の事実を、再認識しました。
「海外旅行」がダメなら「国内旅行」。
こういう気分で旅立つと、足元をすくわれると思います。
なにをくだらないことをつぶやいているのだ、と言われそうですが、これからしばらくは日本国内を歩いてみようという身には、やはりアタマの整理が必要なんです(#^.^#)
ここんところ、ずっと海外だったですからね。
海外では、国にもよりますが、歩きタバコなんか平気。
私は、日本にいる場合、タバコの煙を嫌悪しますが、外国では、全然気にならない。
日本では、公共の乗り物の中で電話する人なんかいませんが、外国ではけたたましい声で、怒鳴りあっています。
道路を渡るだけでも気を使うし、そこらじゅうで男女が抱き合いキスしている。
そういう異次元空間にエクスタシーを感じる私としては、外国と日本では、そもそもベクトルが違うんだということを言い聞かせて、スイッチを切り替えないと。
久しく、日本の町を歩いておらず、日本の旅の楽しみ方を忘れかけていましたが、子供の頃から幾度となく旅した日本の情景に、少しづつ気持ちが高まりはじめたところです。