さて、関門海峡の下関側。
ここは、まさしく壇ノ浦です。
壇ノ浦に立って「壇ノ浦の戦い」を偲ぶ
832年前の源平最後の合戦の両雄。
壇ノ浦を背に、源義経と平知盛が対峙する姿は、迫力ものです。
当時8歳だった安徳天皇が、平時子とともに入水した場所がここ。
すごい覚悟だな、と、思います。常在戦場の心構えでないと、とてもできないでしょう。
それにしても、源義経って、ほんとにこんなにかっこよかったんでしょうか。
この海の下をくぐってきたんだね。
壇ノ浦で戦った武将たちが聞いたら驚くだろうな。
振り返ると、火の山公園が見えます。
せっかくここまで来たんです。登ってみますか。
下関のことを馬関と呼んでいたらしい。
下関の旧称が、赤馬関だったことに由来するとのこと。
明治維新以来、国際港として、おおいに栄えたんでしょう。
下関事件の砲台跡。
それにしても、長州藩は、イギリス・フランス・オランダ・アメリカをたった一藩で攻撃するなんて勇敢すぎます。
たった150年ほど前の話というのが、ちょっと信じられません。
火の山公園から眺める関門海峡
火の山公園にはロープウエイで行きます。
乗り場までは徒歩10分です。
ここから登っていくらしい。
午前中から、ずっと歩きっぱなし。さすがに疲れてきました(笑)
ここが乗り場ですね。さすがに平日なので、観光客はほとんどいません。
火の山ロープウエイ
チケットを買おうとすると、往復ですか?と聞かれました。
歩いて降りる人もいるのかな?
ふもとの駅は壇の浦駅。
かわいいロープウエイです。
発車近くなると、車掌さんが乗ってきて、壇ノ浦や火の山のルーツを観光案内してくれます。
それによると、「火の山」の由来は、外敵が来たことを知らせる狼煙をあげる場所だったから、とのことです。
頂上に着きました。
秋の雲とともに、関門海峡や日本海が広がります。
あの海の向こうが、これから向かう韓国・釜山です。
こりゃ、来てよかったな(^^)v
こうしてみると、海峡はいかにも狭い。
この狭い海峡を、多い日は1日1000隻の船が通過するらしい。
本州と九州が分断され、海峡ができたのは約6000年前のこと。
頂上の公園を歩いてみます。
さて、そろそろ、フェリー乗り場に向かいましょう。
今夜の出航は19:45。遅くとも18:30までにはチェックインを済ませるように言われてます。
頂上駅の名前は火の山駅。
帰りも、しっかりとした観光アナウンスがありました。
ふもとに着きました。
これから、ぶらぶらと下関駅に向かいます。
この坂の間から海が見える風景。数年前に旅した尾道の街を思い出しました。
しかし、いい街ですね。
門司港は、ほんとに目と鼻の先。
下関方面に向かって歩きます。
夕暮れの赤間神宮
あれは赤間神宮。
安徳天皇が奉られています。
朱の門は海底の竜宮城のイメージらしい。
「波の下にも都はございます」ですね。
中国人らしい団体と遭遇。
中国にとっては、下関など怨念の地のようにみえるのかな。
なにしろ、日清戦争の講和条約を結んだ地です。
さて、そろそろほんとに港に向かいましょう。
下関条約を結んだ日清講和記念館も近くにあるんですね。
下関条約から122年。
その間に、2度の世界大戦、冷戦の始まりと終結、数度の世界恐慌、IT革命を経て、現代があります。
人間の創る歴史とは、重く深いもの。ふと、そう思います。
だって、たった122年の間に、あれだけの出来事ですから。
下関とイスタンブール、あるいは中国・青島が姉妹都市とは、知りませんでした。
姉妹都市ひろばをぼんやり眺めます。
ここからは、バスで下関駅方面に向かうとしましょう。
ぼんやり眺めていたら、バスが行ってしまいました。
が、心配ありません。バスは頻繁に来ます。
下関駅に着きました。
何年かぶりの日本国内の一人歩きが終わりました。
久しぶりに歩いてみると、日本も捨てたもんじゃないですね。
さて、気持ちを切り替えて、今度は韓国・釜山への旅立ちです。