上海といえば、きらびやかな摩天楼と雑踏がまず思い浮かぶ。
けれども、その喧騒からほんの少し離れただけで、まるで時が巻き戻されたかのような静かな水の町が現れる——それが西塘だった。
リーズナブルなホテル西塘賓館
今回の週末旅、そんな水郷古鎮に泊まってみたく、選んだのが「西塘賓館」。
まさに、西塘の老街の入り口に位置する立地が抜群なホテル。
それでいて、1泊3,000円とリーズナブルな値段。
はっきり言って、3,000円でこの部屋なら、まったく文句のつけようがない。
中国での旅は、かつてからフライトに列車、そしてホテルに至るまで、値段が低位安定していて旅人には優しかった。
それが、世界的インフレの今でも、おおむね継続されているのが嬉しい。
物音ひとつしない朝の西塘老街
さて、旧市街の醍醐味は、早朝の散策。
昨夜の喧騒と同じ場所とは思えない、静まり返った西塘の町。
では、古鎮へ歩みましょう。
肩と肩がふれあうどころか擦りつけながら往来していた、古鎮へ通じる小路もひっそり。
私の靴の音だけがひびく夜が明けたばかりの西塘古鎮です。
飯店とか酒店と看板があるから、古民家を宿に改築したホテルもありそうだ。
再訪の際は、そんな宿に泊まってみるのも面白そう。
ただし、夜は、相当な喧騒を覚悟せねばなるまいが。
見事なほどに、物音ひとつしない西塘の路地。
京都の先斗町を思わせるけど、やはりこちらが先駆者でしょう。
日本の懐かしさがこめられつつ、微妙に違う文化の香りが、中国の旅の楽しさだ。
では、水路へ出てみよう。朝の水路はどんな感じだろうか。
気温3度の西塘古鎮を独り占め
夜が明けたばかりの12月の上海は寒い。
気温は3度。少しづつパープルにかわる空が美しい。
そんな、朝靄が立ち上るような西塘古鎮を独り占め。物語の主人公になった気分。
前述のように、私の大陸中国への渡航は上海が最初。
1997年のことで、それは会社の研修旅行。
上海から蘇州にかけての水分に満ちた土地が印象的だった。
だから、このような水辺の風景に懐かしさを感じるのかもしれない。
旅の第一印象は実に強烈なもので、私の記憶には「上海=水郷」という構図が凝り固まっている。
上海には、こんな水郷の街が随所にある。
音のない町から、少しづつ、鳥のさえずりや、人の話し声が生まれてきた。
では、昨夜歩いたのと同じコースを辿ってみようか。
朝の西塘は「言葉にならない美しさ」
世界各国、旧市街の朝は、徐々に人々の生活の営みがはじまっていく様が美しい。
それは空の色とともに際立ってくる。
絵にも描けない美しさ、という言葉を聞いたことがあるが、こちらは「言葉にならない美しさ」だ。
中国のノービザは、2025年末には、いちおう終了してしまう予定。
では、それまでの間、せいぜい美しさを鑑賞させていただこう。
まだ、姿を現さないが、茶屋の奥からは、茶器のぶつかり合う音がかすかに響いてくる。
水を流す音も聞こえてく。毎日の商売のはじまり。
ところで、周荘もそうだったが、水路には屋根のついた回廊が備わっている。
この回廊を、西塘では「煙雨長廊(えんうちょうろう)」と呼ぶらしい。
雨の多い上海ならではのおもてなし。
雨は雨で、また違った美しさを鑑賞できそうだ。
ほんとに羨ましい。こんな美しさがかんたんに手に入る中国国民。
日曜日の朝。この週末旅に出かけなければ、無粋な自室のベッドで目を覚ますころ。
旅に出て、本当に良かったと思う。
人間の記憶が、はたしてどこまで記憶し続けることができるのか知らないが、こうして写真におさめることで、
間違いなく、記憶の補完になる。
写真に撮ると記憶に残らないという人もいるが、それは偏見。
時間がたって、あとで写真や、自分の文字を見返せば、忘れていたことまで思い出す。
旅の記憶とは、そういうものだ。
むしろ、直前のことの方が忘れやすい。
迷子になって、きちんとルートを確認する。
橋の数が限られているので、あてずっぽうに歩いていては、ホテルに帰れなくなる。
さて、そろそろホテルに戻りましょう。
ホテルの隣のコンビニで朝食を仕入れてきました。
あまり甘くないコーヒー牛乳が美味い。
そして、お世話になった西塘賓館をチェックアウト。
チェックアウトする瞬間の、部屋が「もぬけの殻」になる感覚が好きだ。
ロビーには、日が昇った太陽が、柔らかい冬の日差しを照らしてました。
今日は、夜の便で帰国するので、上海中心部に戻ります。
朱家角までいけばメトロで帰れるので、タクシーを呼んでもらいます。
わずか3,000円だった西塘賓館に感謝。
そして忘れてはならない、路頭に迷った私を救ってくれた昨夕のお爺さんにも感謝。
すべてが美しくまとまった西塘訪問になりました(^ ^)