2025年8月6日(水)ちょうど旅に出て半分。
本日は、丸一日サマルカンドの観光。
ホテルの朝食をたらふく食べて体力をつけた私は、炎天下になる前の午前中、タシケント通りを北に歩いて行きました。
すると、目の前に立ちはだかるのが「ハズラティ・ヒズル・モスク」。
実は、サマルカンドでは最古のイスラム聖地のひとつとされています。
それもそのはずで、「ハズラティ」とは、アラビア語で「尊師・聖なる方」。
そして、「ヒズル」は、イスラム世界で伝説的な存在とされる聖人の名です。
ゾロアスター教までさかのぼるハズラティ・ヒズル・モスク
目の前に立ちはだかるとは言っても、地図で見ると、大きなバス通りを横切ることになってるんだけど・・・
なるほど、陸橋で跨いでました。
これだけ大勢の観光客に、横断歩道で渡られたら、渋滞必至ですよね。
そして、その陸橋を渡り終えたところにあるのが「ハズラティ・ヒズル・モスク」。
モスクから、さらに道が丘の上に伸びています。
ここが聖なる場所であるもうひとつの理由は、この丘の上が、モンゴル軍に滅ぼされる前の、かつてのサマルカンドだからです。
という予備知識をアタマで唱えながら、階段を登ると、
いきなり、背の高いモスクというか廟が出迎えてくれました。
そのなかに祀ってあるのは、それこそ聖人ヒズルの棺かと思えば・・・
初代ウズベキスタンの大統領イスラム・カリモフ氏のお墓でした。
お亡くなりになったのは2016年と最近のことで、欧米諸国からは独裁者と名指しされたこともある人物。
だけど、タシケント空港の正式名称が「イスラム・カリモフ・タシケント国際空港」であるし、イスラム神話にも登場する聖人ゆかりのモスクに納められているので、ウズベキスタンでは英雄とされる人物なのでしょう。
そして、プーチン氏も弔問に訪れました。要するに共産主義的な方だったのですね。
それも興味あるけど、私にとってに興味は、聖人ヒズルの方。
聖人ヒズル、と聞いてもピンとこないかもしれない。
私自身も、旅立ち前に生成AIに相談して、この「ハズラティ・ヒズル・モスク」の生い立ちを知りました。
ところで、支柱のモザイクが細かくデザインされていて美しいね。
ヒズルについては、コーランの第18章に、こんな描写があるそうです。
旅に出たモーセは、神に「私より知恵ある者はいるのか」と尋ねたところ、「神から直接知識を授けられたしもべ(=ヒズル)」がいると教えられる。
モーセはヒズルに会い、弟子入りを志願しヒズルに帯同するが、船の底に穴をあけたり、少年を殺したりする、実に不思議な男だった、という話。
それぞれの行為には、すべて意味がこめられているそうですが、コーランの原書を読んだことのない私には理解できません。
でも、モーセは誰でも知ってますよね。
そのモーセが弟子入りを志願するのだから、聖人ヒズルは、やはりとてつもない神通力を持った聖者だったということなのでしょう。
アフラシャブの丘から眺めるサマルカンド
モスクの南側は展望台のようになってました。
真南に見えるのは「ビビハニム・モスク」。
ホテルから、ここに来るまでの通り道でしたが、先ほどは団体観光客でいっぱいだったので、尋ねる順番を変えることにしました。
こちらはビビハニム廟。
そして、いま私が立っている場所が、いわゆるアフラシャブの丘の南のはしです。
つまり、モンゴル帝国に滅ぼされる前の、かつてのサマルカンドの街のあった場所から、いまを栄えるティムール帝国以降のサマルカンドを眺めているということです。
街の位置が変わるわけですから、それほどまでにモンゴルの来襲は壊滅的だったということ。
オリジナルのサマルカンドは、イスラム教の前はゾロアスター教が信仰されていました。
そのころから「ハズラティ・ヒズル・モスク」は、この場所で君臨していたとのこと。
すると、火の霊が宿るといわれるゾロアスター教の名残が、聖人ヒズルを祀らせたのかもしれないですね。
サマルカンドの街を眺めながら思いついた、私の勝手な想像ですが(^ ^)
では、霊感の宿るハズラティ・ヒズル・モスクをあとにして、お隣のシャーヒ・ズィンダ廟群を尋ねてみましょう。