年賀状を出さなくなって久しい。
職場や親類はおろか、昨今では生活圏のスーパーや、カーディラー、不動産屋からも来なくなったので、本当に1枚も来なくなった。
そんな折、2023年の年明け、バンコクの旅から帰ってみると、2通の年賀状が届いていた。
両方とも、旧年中に泊まった旅館からだった。
うち1通は手書きだった。
京都 先斗町で泊まった「京のお宿 三福」である。
次の瞬間には、サクラの時期に合わせて、「三福」を予約していた。
旅というのはタイミングではじまる場合があるのかもしれない。
1年ぶりの「京のお宿 三福」
年明けから海外ばかり旅していたが、日本の旅もいいものである。
世界中の新幹線で、景色を競うコンテストがあったら、東海道新幹線は、間違いなく上位入賞するだろう。
京都に来ると、それだけでテンションが上がる。4月上旬の京都はかなり暖かかった。
終わってるかな、と危惧していた鴨川のサクラは、まだ持ちこたえていてくれた。
そして、先斗町の「京のお宿 三福」である。
昨年の6月、京都らしい旅館に泊まりたくて、いろいろ探して先斗町で見つけた「三福」。
正直、掛け値なしに、こんなに心のこもった旅館があるのかと驚いた。
「三福」には、泊まり部屋が3つあり、鴨川に面した「鴨の間」「千鳥の間」。
そして、鴨川には面していない「扇の間」の3つ。
直前に予約した私は、今回は鴨川の見えない「扇の間」だった。
でも、6畳と4畳半の落ち着いたふた部屋を占領できる。
「ようこそ、おいでやす〜」昨年と同じように、女将さんが出迎えてくれた。
ほぼ毎日満員御礼なのに、私のことを覚えてくれているのは何故だろう?
まだ部屋に客が入っていないということで、鴨川の見える「千鳥の間」に案内してくれた。
今年に入ってから、外国人観光客でごった返していると、女将さん。
中国人はまだだが、欧米からはコロナ前と同じように京都を訪れ、木屋町通りなどを賑わしているという。
「せっかちな外国人さんが多くてねえ、おもてなしするひまもありまへんわ。」
とのこと。
先斗町のバー「オードビー」
ところで、「三福」は片泊まり。つまり、食事は朝食のみ。
そこで、女将さんが電話で予約してくれたのが、先斗町のバー「オードビー」である。
ご夫婦でやってるお店で、シェフはヨーロッパで本格的に勉強なさった方らしい。
京都には、無数に飲み屋があり、どこに入っても雰囲気はあるものだが、1人で歓迎されるかというとそうでもないのが難しいところ。
「オードビー」は、カウンター席で、ゆっくりとお酒を楽しむことができるバーだ。
これは、本日のおすすめということで「フグ」である。「フグ」なんて、もう何年も口にしてない。
フグでお酒がすすみ、梅酒の次はシンガポールスリング。
鴨川は見えないけど、次第に薄暮がかってくる空の色が美しい。
ワインが飲みたくなった。幸せな4月上旬の週末。
ルーマニアでは、ワインを飲み明かしたな、なんてことを思い出す。
赤ワインを飲むと肉が食べたくなるのか、それとも肉を食べるから赤ワインを飲みたくなるのか、どちらが先でも、こんなにフィットする食べ物と飲み物の組み合わせもないだろう。
オーダーしたのが、子羊のカツレツ。重厚なワインにピッタリだった。
シェフはキッチンで忙しく振る舞ってたが、奥様はいろいろと話しかけてくれる。
「三福」とも長いおつきあいらしい。
「オードビー」とは、フランス語で「命の水」。
そして「命の水」とは、フランスでは「酒」を意味する。
「酒」は、日常という放射線から身と心を守ってくれる、まさに「命の水」だと思う。
木屋町通りの夜ザクラに感動して酔いが覚める
さて、飲み残したワインをポケットに入れて、木屋町通りに出向いてみると、夜桜が出迎えてくれた。
この演出は素晴らしい。
女将さんが言うように、道ゆく人が、ほとんど外国人というのも国際観光都市という演出か。
じっと見てると、風がひと吹きするたびに、花びらが高瀬川の川面に舞い落ちていく。
去年の暮れから、ソウル、バンコク、その他諸外国に足を伸ばしたが、美しさでは京都は負けてない。
木屋町通りには200本以上のソメイヨシノが並んでいるという。
運河掘削で名を馳せた角倉了以も、舞い散るサクラを眺めていたのだろうか。
角倉了以が開拓した高瀬川の両岸には、所狭しと、全国チェーンの店が軒を連ねる。
花見には最適だろう。京都に住んでいる人がうらやましい。
歩き回っているうちに、オードビーでいただいた酒の酔いが覚めてしまった。
異国もいいが、日本もまたよい。旅人冥利に尽きる景観。
鴨川に足を運ぶと、こちらはこちらで賑わっていた。
春の京都の夜は長くなるようだった。
先斗町に戻ると、さすがに閑散・・・
いや、そうでもない。
3年前の緊急事態宣言明け直後。
私が先斗町を訪れた時は、シャッター通りになっていた。
だから、観光客が復活して、賑わいが戻ってきたことについては、喜ぶべきことだろう。
木屋町通りも先斗町もこれから、という時間だけど、私は「三福」に戻ってきた。
外の喧騒がウソのように静まり返っている「三福」。
すでに、布団を敷いておいてくれる、親切な「三福」。
宿に帰ってきたからといって、夜は終わりじゃない。
布団に寝っ転がって楽しむ一献もおつなもの。
朝の光りの木屋町通り&鴨川のサクラで目が覚める
早く寝たので、早く目が覚める。
音を立てないように「三福」の引き戸を開けて、早朝の木屋町通りへ。
木屋町通りは、昨夜とは違った顔を見せてくれていた。
昨夜は、ライトアップされた夜の顔。
この起きたての、着飾ってないすっぴんの顔が、京都の真の実力である。
京都を歩いて異国を感じるのは、日本の京都であり、世界の京都でもあるからだろう。
京大生だろうか。高瀬川につまってしまうサクラを取り除いている姿も美しい。
鴨川に出向くと、まぶしいばかりにふりそそぐ日の光で、すっかり目が覚めてしまう。
鴨川も四条から五条にかけてが、もっともサクラが植えられているそうだ。
大原の稜線も美しい。
まだ眠っている先斗町。
各国の旧市街の朝と、自然と比較してしまうが、タイにしろルーマニアにしろ、空き缶は転がり、ビンは割れて散乱しひどいものだった。
おそらく、地域の方々が、朝一番で清掃活動しているのだろう。
「三福」の前には、チリひとつ落ちてなかった。
全身が目覚める「三福」のおばんざい
帳場の脇の小部屋に並んでた京都の書籍を読んでいるうち、朝食の時間になる。
「三福」じまんの「おばんざい」だ。
これ以上ないほど素朴で素敵な京都の「おばんざい」。
昨年6月にいただいた朝食がオーバーラップする。
箸をつければ、全身の血のめぐりが良くなる気がする和食。
時というのは、物質の姿を変えていくもの。それにあらがって、変わらずにいるというのは、実はとても大変なことではないのだろうか。
京都の「おばんざい」は、まさにそれにあたる。
給仕しながら、「お隣さんとワインの飲み比べされたらよろしかろ」と微笑む女将さん。
なんのことかと思ったら、隣室の宿泊客はフランス人。
私と同じように、部屋でワインを2本ほど飲み明かしていたらしい。
さて、今日はなんの予定もない、丸オフの日曜日。
てきとうに新幹線に乗って東京に帰るだけだ。
部屋でくつろいでると、すでにチェックアウトされた鴨の間に招き入れてくれた。
鴨の間は、昨年も泊まった鴨川沿いの部屋。
カプチーノを淹れてくれるサービス。ありがとうございます。
鴨川を眺めていて異国を感じるのは、ガードレールや柵のような安全設備がいっさい排除されているからかもしれない。
そのことを女将さんに言うと、
「今度は7月や8月がよろしかろ。水量の増した鴨川をご覧になれまっしゃろ。」
では、今度は、真夏におじゃましましょうか。
カオスな異国もいいけど、しっとりとした情緒を味わえるのは日本をおいてほかにないだろう。
楽しくも、気分転換のできたプチ週末旅だった。