はじめて来た神々の島、対馬。
東京から陸路と船路でたどりついた西の果ての島。
実際、ここ比田勝から韓国までは直線距離で70キロほど。対馬の北端からなら50キロしかない。
大陸からの襲撃をなんども受けながらも、よく自治を維持できたな、などと思いながら港から町のほうへ歩き出しました。
まだ眠っていた比田勝の町
3月の対馬。早朝の風は冷たく、コートを着てきて正解でした。
濃緑色にきらめく海の色が、遠くに来たことを実感させます。
港から町へは1キロほど。バスでもあれば利用しようと思ってましたが、日曜日ということもあって、まだ町は眠っているようです。
町に入る「比田勝ベイセブンブリッジ」の上から朝日を拝みます。
比田勝の町に入り、目にとまった鳥居。
対馬は日本遺産の島。
「日本遺産」とは、日本の歴史や文化・伝統を語るストーリーとして、平成27年に文化庁が創設したもの。
ハングル文字が、いよいよ国境のにおいを強くさせます。
ツシマヤマネコは、対馬にだけ生息する絶滅危惧種。
飛び出し注意、どころか手厚く保護されるべき。
橋から見えた鳥居。
ジョギングコースにもなっているみたいです。
眠っている比田勝の町をあてもなく散歩。
韓国資本が続々と入ってきているのは本当のようです。
私は、作家 橘玲の著作「タックスヘイブン」で、裏金を記録に残らない方法で海外送金するべく、この比田勝沖で密貿易される場面を思い出した。
そのシーンでも、主人公は早朝の比田勝の町を歩いている。
しばらく歩くと、小さな墓が目に入る。
宗下 野次郎と読むのかと思ったら、宗 下野次郎(そう しものじろう)である。
宗氏といえば、戦国時代に対馬を支配していた大名である。
実は、戦国時代の前から対馬に君臨し、元寇を迎え撃っていたという事実を知ります。
本日、明日と、対馬を歩く限り、宗氏の遺影はいたるところで目にすることでしょう。
宗氏の墓の横にあった、豊崎神社。
森を背景にした落ち着いた神社だな、と思ったら、
ご祭神は、建御雷之神と豊玉姫。
タケミカヅチとは、先月も鹿島神宮で対面してきたばかり。
刀と雷の神様は、どこにでも出没するようです。
ところで、比田勝での滞在は長くありません。
本日中、というより午前中のバスで、対馬の中心「厳原(いずはら)」に行ってしまうつもりです。
なので、バス停を見つけ、バスの時刻を確認。
最近の旅は、ほんとに便利になり、どんな辺鄙な場所でも、たいていはバスの時刻をwebで確認できます。
厳原行きが8:32と11:22なのは、だいたい予習してきた通り。
時刻は7時半。8:32のバスに乗ってしまいたいところですが、比田勝というより対馬の北辺で一か所だけ行っておきたい場所があります。
それが「韓国展望所」。
この空模様では、韓国は拝めそうにはないですが、せっかく対馬まで来たんですから、国境の海はしかと目に焼き付けておきたいものです。
問題は行き方ですが、「韓国展望所」へ行くバスがあるのかないのか。
色々調べてもわかりませんでした。
しかし、比田勝から厳原へ向かうバスは、途中大浦という集落を通ります。
なので、タクシーで「韓国展望所」へ行き、待っててもらううちに見学。
帰りに大浦のバス停付近でおろしてもらえれば、「韓国展望所」と8:22のバスの両方が手に入ると計算。
そこで、まだ眠っているタクシー会社をたずねますが、本当に眠っている様子。
タクシーで「韓国展望所」へ
ちょうど、このバスターミナルの目の前に「上県タクシー」という営業所があり、今まさにタクシーが一台出動するようでした。
運転手さんに、
「韓国展望所へ行ってから、厳原行きのバスに乗りたいんですけど?」
とたずねると、丸顔の人のよさそうな運転手は少し考えて、「8時10分に予約が入ってるんだけど、大丈夫かな・・」とつぶやいた後、今度はバスターミナルに向かって、
「今日は何時発!?」
バスの運転手は「8時!」とどなり返す。
それを確認すると、「どうぞ、お客さん乗ってください。」とひとこと。
タクシーは、よく舗装された道路を走りだしました。時刻は7時50分ごろ。
8時発とか、私のメモにない時刻が登場したりして、後部座席で戸惑う私に、
- このタクシーは8:10に他の客の予約が入ってるので、行って帰ってくることはできない。
- でも、「韓国展望所」の近くの通りをバスが通る。そのバスは、さっきのバスターミナルを8時ちょうどに出るから、15分くらいの見学時間はあるはずだ。
- そのバスは、比田勝の北を回って、また比田勝に戻る循環バスだ。その循環バスは8:32発の厳原行きに接続するよ。
というふうに説明してくれました。なるほど・・
私の風体をみて、弾丸で行動するやつだと一瞬で見抜いてくれました(^^)
公共交通機関での旅では、ときおり、こんな親切にめぐりあえる。
尾根をこえて反対側の海に出たらしい。
ここは大浦という入り江で、古代はここから新羅などへの遣いが出されていたとのこと。
真新しいトンネルに入るので驚きます。
そして、韓国展望所のふもとでおろしてくれたタクシー。
予約が入っているのに、無理して運んでくれてありがとうございました。
さて、見学時間は15分。急ぎましょう。
「韓国展望所」から眺める朝鮮海峡
早朝で、誰もいない「韓国展望所」。
雲が厚く、大陸の影はあるのかないのか。
しかし、この幻想的な雰囲気は、まぎれもなく「最果て」です。
こちらの方角が釜山であることには違いないんだけど、やっぱり見えない。
夜だと明かりが見えて、すぐにそれとわかるらしい。
こちら側は、鰐浦(わにうら)という漁港。
閑静な漁村ですが、元寇の時には、多数の船が係留された基地となっていました。
この平和な光景からは、とても信じられませんが。
それにしても、あらためて海は神秘なものだと思う。
向こう側から、化け物や人魚でも出てきそうな奇怪なムード。
海の向こう側が異国であることも、そう感じさせるのでしょうが。
元寇の慰霊碑かと思ったら、
海難事故で亡くなった朝鮮通信使を偲んでの慰霊碑でした。
さて、そろそろふもとの道路まで出ないと、バスに乗り遅れます。
韓国は見えなかったけど、「韓国展望所」来てよかったです。