ワルシャワ・セントラル駅のコインロッカー&社会主義の遺物と無名戦士の墓

さて、ポーランドの首都ワルシャワにやって来ました。

帰国フライトの22:50まで12時間あります。

ワルシャワ空港へのアプローチとか、フライト前にシャワーを浴びたりする、そういう時間を計算しても7時間くらいはワルシャワの街を歩き回れるでしょう。

ペンドリーノ号の中で居眠りをしたので体調はすこぶる万全。

甲高い金属音を残して、ペンドリーノ号は発車していきました。

ワルシャワ・セントラル駅のコインロッカー

さて、歩き回るためには、なにをおいてもキャリーをどこかに預けなくてはならない。

しかし、ワルシャワ・セントラル駅は、日本で言えば東京駅みたいなもの。

コインロッカーぐらいあるでしょ、とタカをくくっていたら、ふつうにありました。

計算外だったのが、クレカが使えなかったこと。

ていうか故障ですか??

どんなことやってもクレカが反応しなかったので、記念に持ち帰ろうとしていた20ズウォティ紙幣を使う羽目に。

20ズウォティ紙幣と5ズウォティ硬貨を使って、なんとかキャリーをロッカーに押し込みました。

コインの両替機があったのは助かった。

記念に持ち帰ろうとしていた20ズウォティ紙幣は消え、10ズウォティ紙幣のみになってしまった。

キャッシュレス社会とはいっても、異国の紙幣って、思い出に残りますよね。

私はいつも、数枚持ち帰ることにしています。

そして、鍵を確認・・・これまた年代物のカギだ。

では、駅の外に出ましょう。

ワルシャワ・セントラル駅から旧市街へ

首都ワルシャワの中央駅。大きくはり出した屋根が貫禄あります。

世界遺産となっている旧市街までは約3km。

バスやトラムでも行けますが、せっかくのポーランド・ワルシャワなんです。

歩いていきましょう。

しばらくは、Googleマップも見ないでワルシャワの街を確かめるように歩きます。

クラクフとはトラムの形が違う。

流線型だったクラクフのトラムに比べ、こちらはなんとなくレトロっぽい。

さぞかしドイツ車が多いのかなと思っていたら、日本車もそれなりに走ってました。

この辺まで歩いてきて、道を間違えていたことに気づく^ ^

完全に反対方向へ歩いてました。

なにかワルシャワに思い入れでもあるかのように歩いてますが、もちろん来るのは初めて。

だけど、旧社会主義国ということで、子供の頃から、実はソ連などとともにポーランドを不思議な目で見てきました。

本記事のタイトルに脈絡がないのは、それが理由です。

私は学生時代に「レンタイ」とか言われて、なんのことだかわからず丸暗記した世代。

でも、この「レンタイ」をめぐって、ソ連と激しい応酬があったのはテレビの映像を通じて知っています。

だから、ソ連や東欧には「不思議な国」という感想の不思議な思い出があります。

道を間違えたおかげで、目にすることになった、あの隙間から見える尖った建物。

あれこそが、1955年に完成した文化科学宮殿。スターリンからの贈り物です。

第二次世界大戦後、実質的にソ連の支配下に入ったポーランドに対し、スターリンが「ソ連国民からの贈り物」として建設させたといういわく付きの建物。

「ソ連とポーランドの友好の証」と表面上は称えられましたが、市民にとっては「ソ連による支配の象徴」そのもの。

だからワルシャワ市民からは、長く忌み嫌われてきました。

「ワルシャワで一番景色が良い場所はどこ?  答えは文化科学宮殿の展望台さ。なぜって、ワルシャワの街で唯一、あの醜い建物を見なくて済む場所だからね。」

という有名なブラックジョークがあるほどに。

さっき見た写真の左側に、現代的なガラス張りの超高層ビルが歪むように建っていたけど、共産主義時代の象徴を隠すかのように、建てられたようにも見えなくもない。

学のない頃は、ソ連とポーランドをひとまとめに語ってしまってたけど、ポーランドの人々の得体の知れない過去と決別しようとするエネルギーを感じさせます。

サスキ庭園&無名戦士の墓

旧市街へ向かって歩くうち、出会ったのが「サスキ庭園」。

ポーランドでは最も古いと言われている公園。

花が咲き乱れる庭園を東へ進んでいくと、見えてくるのが無名戦士の墓。

もともと「サスキ庭園」は、ここに「サスキ宮殿」が立っていたことから引き継がれている名前。

そしてあの前方に見えるアーチこそが、ナチス・ドイツによって破壊された宮殿の残骸。

奇跡的に崩れずに残った、宮殿の中央アーチの一部です。

そういった予備知識をもって見れば、アーチはどこか不自然に切り取られたように佇んでいる。

そして、アーチの底では、祖国のために命を捧げた名もなき兵士たちを悼む「永遠の炎」が静かに揺らめき、微動だにしない衛兵がそれを見守っていました。

かつて宮殿の壁が遮っていたはずのその場所には、いまはただ、遮るもののないワルシャワの青空が虚空のように広がっています。

揺れる国旗の下では、先生が引率して学校の生徒たちが多数見学に来ていました。

街がどれほど過酷に破壊し尽くされたのか、その生々しい余韻を、引き継いでいかなくてはならない。

それも、ポーランドの皆さんのエネルギーでしょう。

美しく咲き誇る花々が、一介の旅人に静かに語りかけてくる。そんな感じがしました。