色とりどりのトラムが映える あてのないプラハ旧市街街歩き

プラハ城への入場をあきらめ、呆然とした放心状態と、街歩きに徹するという目的が定まった妙な安心感がないまぜになった不思議な気持ち。

まさか、プラハまで来てプラハ城に入れないことになるなんて、想像もしてみなかったけど、これはTDLに来て、ビッグサンダーマウンテンに乗れなかった、と悔やむのと同質のような気がする。

つまり、プラハという街は、狭いながらも観光客がとても多い、いわばテーマパークのような街。

いわゆるアトラクションには、きちんと目を付け、押さえるべきところをちゃんと押さえる。

たった1日の滞在ならば、そのくらい予習しておくべきでした・・・

 

ボケっとした私の目の前を、色とりどりのトラムが走り抜けていきます。

色とりどりのトラムを眺めて自分をなぐさめる

眺めていると、トラムという乗り物は実に面白い。

4両くらい連なったのもあれば、単行運転の可愛いのもいる。

カラーだけでなく、ボディも新旧様々。石畳との調和も抜群だ。

見てて何が楽しいかって、

ポイントとか、誰が切り替えてるんだろうな、って思うくらい絶妙のタイミングで、トラム同士がすれ違っていくんです。

こんな美しい古都を走るトラムなら、運転手をやってみたい。

トラムは、行き先は別として、頻繁にやってきます。

だから、遠慮せずに乗れる乗り物。

ただし、チケットを車内では買えない。

私がプラハの空港で購入したように、90分券とか1日券とかあって、それを乗車時に刻印してから、その有効時間分だけ乗ることができます。

だから、あのとき、90分でなく、1日券を買っておくべきだったんだよな・・・

なにもかもチグハグで、自分が情けなくなる(^ ^)

ま、旅してりゃ、こんなこともあるさ、再訪の機会が待ち遠しくなったということにしましょ。

おや?飲めるんですかい?

気温は20度くらいだけど、日差しが強く、日向は汗ばむような陽気です。

プラハの街をあてもなく歩く

プラハの街を悠々と流れるブルタバ川。

旧市街橋塔や博物館の姿も美しいけど、旅人の私は、この水がどこに流れていくのも気になる。

この水はバルト海ではなく北海に注ぎ込む。

河口の街はハンブルグ、つまりドイツの街。

ヨーロッパの旅は、国境が入り乱れ、そこに宗教や利権のかかった戦争が無数に介在する。

そんな歴史観を思い浮かべながら、アートな建物に重ね合わせるのが好きな旅人です。

プラハの街は狭いので、Googleマップを見ずに、あてもなくてくてく歩けるところが、なんとなく波長が合う。

路地という路地には店が併設され、テラスが張り出している。

これを、そっくりそのまま純和風にしたら、まさに京都。

京都とプラハが姉妹都市であるのもうなずける。

プラハ側から手を伸ばしたというけど、どんな背景があったのだろうか。

ふと、人並みが途切れる路地もある。

デンジャラスさを感じさせる落書きも。

そういえば、ここにくる前、プラハの紀行文を探したんだけど、佐藤優氏の「15の夏」しか見つからなかった。

佐藤優氏の「15の夏」は、1975年、氏が高校生の時、ソ連や東欧の共産圏諸国を40日間かけて旅した旅文学だ。

だから時代背景が、今とは月とスッポンほど違う。

当時のプラハは、プラハの春の7年後。

氏は、当時はチェコスロバキアと呼ばれた国に、シャフハウゼンから列車でプラハに入ってきた。

ホテルの手配に外国人専用の手配所をたずね、3時間並んだ挙句に1泊分しか予約できない。

そして、そのホテルへ行き、レストランに座ったら、1時間経っても注文した料理が運ばれてこない。

翌日になり、ワルシャワ行きの列車チケット確保に半日も並ばされ、結局プラハの街を歩かずに、プラハを後にしている。

しかし、ホテル代も食事代も列車代も、バウチャーに全て含まれていた。

なるほど、こういうのが社会主義というシステムかと、高校生の氏もとまどっていたようだった。

私はさっき、月とスッポンと言ったけど、プラハ市民は、どっちが月で、どっちをスッポンと思っているのかな。

社会主義時代は、いろいろ面倒なことも多いけど、生活には基本困らず、民主化の後、社会主義時代を懐かしむ声も少なくないとも聞いている。

実際、本日のプラハのホテル代は、5万円を下回ることは稀であったし、社会主義も資本主義もバランスよく舵を取るのは難しいということなのだろう。

ここは、ハヴェル市場。

スーベニアだけでなく、地元の人が買うような惣菜や果物なんかも売っているらしい。

ひたすら歩き続け、すでに時刻は19時。それでも、まだこんなに明るい。

それもそのはず。5月初旬のプラハの日没は20時半。

明るいけど、なんとなく日が傾いてきたことを実感。

ユダヤ人地区の方へ行ってみようと思いました。

旧市街の北東側。路地のサインだけで、がんばってたどり着いてみよう。

レストランも混み始めたようです。

プラハのユダヤ人地区

旧市街広場の観光客の渦から、解放されるようにある一角に入ると、人通りがふと少なくなり、雰囲気が明らかに変わる。

ここが、プラハに残されているユダヤ人地区で、まさに中世からユダヤ人共同体が暮らしてきたヨゼフォフ。

古いシナゴーグや墓地が点在し、華やかなプラハとは少し違う、静かで落ち着いた空気が流れているように感じる。

第二次世界大戦では多くの住民がホロコーストの犠牲となったが、この街並みは彼らの歴史と記憶を今も静かに語り続けている場所と言えそうだった。

夕暮れ時に、ユダヤ人地区を歩くことにしたのは、チグハグだらけのプラハ散策において、唯一うまく調和した瞬間だったと思う。

では、夜のプラハに備えて、夕食をいただきに参りますか。