【宗谷本線の旅】特急サロベツ&鈍行列車で味わう「過去旅の回顧録」

宗谷本線は、旭川から日本の最北端都市である稚内まで結ぶ鉄道。

かつては日本の大動脈であったと想像する。

なにしろ、北海道より北にも、樺太という日本の領土があったのだ。

しかも、北緯50度という陸地上でロシアと国境を分けていた。

国境警備と辺境開発の使命で、連絡船に接続する優等列車が堂々と走っていたことだろう。

北海道の鉄道「古き良き時代」

いつごろが、宗谷本線の最盛期だったのだろうか。

たまたま私の手元に1969年の時刻表があったので、宗谷本線のページを掲載する。

この時代、もう宗谷本線の最盛期は過ぎていたと思うが、函館から稚内へ直通する急行列車や、札幌から稚内まで10時間近くかかる夜行列車などが残り、旅人にとってのどかな、のんびりした時代。

いわゆる「古き良き時代」である。

この「古き良き時代」の北海道の路線図はこの通り。

この「古き良き時代」に、私はワイド周遊券を使って、よく北海道を旅した。

ワイド周遊券というのは、函館までの行き帰りのみならず、北海道内の鉄道が20日間も乗り降り自由で、特急や急行も利用可能という、いまでは考えられない夢のような切符である。

降り立った駅で、必要もないのに「途中下車印」を押してもらい、自分の記憶の証とする。

道内の夜行列車を宿代わりにして、有効期間の20日間めいっぱい旅を楽しんだものだった。

なんせ、旅費はこの周遊券にすべて含まれているのだから、かかるお金は食事代くらいなもの。

この旅で困ったことは、20日も旅してると、ほんとに家に帰りたくなくなってしまうことだった。

 

ところで、北海道の鉄道は、国鉄が民営化された1980年台の後半あたりから少しづつ整理され、2020年にはここまで削減されてしまった。

人口に対して、路線が多すぎ、大赤字だったのだからやむをえないだろう。

宗谷本線はかろうじて生き残っているが、旭川⇔名寄の1日の平均乗車人員(輸送密度)は845人、名寄⇔稚内にいたっては174人というありさまだ(令和3年)。

したがって、100円を稼ぐのにいくら費用がかかるかという営業系数は、旭川⇔名寄で911。名寄⇔稚内は1,242。大変な赤字である。

収入の10倍もの費用がかかってしまっては、JR北海道だけの企業努力ではどうにもならず、地元の有力者や資産家が私財を投げうたない限り存続はままならないだろう。

宗谷本線はいずれ廃止されてしまうのではないか。

今回の旅は、離島4島に重きを置いているが、稚内までの道のりを宗谷本線にしたのは、なくなってしまう前に「もう一度乗ってやろう」そう思ったからである。

前述の通り、ワイド周遊券を使った旅では、夜行列車が宿代わり。

すなわち、宗谷本線は、私にとって「宿泊施設」だったのだ。

そんな宗谷本線に、19年ぶりに乗車。完全に回顧録のような旅になる。

「特急サロベツ1号」旭川→名寄の旅

乗るべき列車は「サロベツ1号」稚内行き。

しかし、乗るのは名寄まで。名寄から先は鈍行列車の旅を楽しみたい。

なんか、すごくカッコいい車両である。

最近の鉄道事情に疎いので、〇系とか知らないのであるが、スタイルといい色といい、テンションが上がる。

しかし、ヘッドマーク周辺は、虫の死骸がちらほら。

大自然の中を走り抜けているのだから、仕方がない。

駅のホームで駅弁を売ってる風景は、最近とみに見かけなくなってしまった。

なら買えよ、と言われそうだが、さっき旭川ラーメンを食べたばかり

指定席の乗車率は50%程度。

特急列車らしく、快適な車両である。騒音もしなければ、シートもゆったり。

北に向けて宗谷本線を快走。

途中、観光振興の方がパンフレットを配っていった。

しばらくは、田園風景が続くが、

列車は登坂にかかる。塩狩峠。トンネルのない峠である。

塩狩駅を通過。

塩狩峠を越えると次は和寒。

震えあがりそうな地名。

もちろんアイヌ語からきている。「ニレの木の傍ら」という意味。

実は、40年も前に、この駅に列車の待ち合わせで降りたことがある。

8月だったのに、地名通りに寒く、ジャージを着こんだのが懐かしい。

列車は、平坦な名寄盆地に入って、士別駅に停車。

そして名寄駅に到着。旭川から54分の旅。表定速度84.6㎞は一級品の速さ。

稚内を目指して発車していく「特急サロベツ」。

1両のディーゼルカーで味わう宗谷本線回顧録

さて、ここからは、各駅に停まる鈍行列車で稚内を目指すことになる。

あのまま特急に乗っていれば、約3時間後の17:23には稚内に着ける。

鈍行の場合は、約5時間、稚内到着は19:49になってしまう。

それでも、鈍行を選ぶのは、宗谷本線の駅という駅にあいさつをしたいから。

特急では、小さな駅は風のように通過。それでは面白くない。

名寄駅の跨線橋にあがって、旭川方面を眺めてみる。

かつて、名寄駅は鉄道の要衝で、東へ深名線、西へ名寄本線が分岐していた。

これは、40年前の名寄駅0番線ホームに停車する深名線のディーゼルカー。

いまでは、名寄は宗谷本線だけが通じる街となり、運転本数もごらんの通り。

それでも、たった1両ではあるが、ディーゼルカーが稚内まで客を運んでくれる。

乗り込むと、たった1両の車両に乗客は私だけ。

窓が開く車両に嬉しく思う。

北海道の爽やかな風を感じながら、写真も撮りやすい。

名寄駅を定刻に発車。7月上旬の気持ちの良い風。

しかし、窓が二重になっているのは厳冬期対策。冬の厳しさを物語っている。

北へ伸びる線路。

鈍行列車の旅が楽しいのは、一つ一つの駅にていねいに停まってくれるから。

駅の待合室は、貨車か客車の使い古し。

秘境駅という表現がされるが、静寂駅、あるいは寂寞駅といった感じのほうが私にはしっくりくる。

智北駅のホームは、地域の需要にこたえるために、後付けで設けられた様子。

1日の平均利用者数はたった2人だそう。

少し町らしい町、美深に停車。

「美深」。なんと美しい地名であることか。アイヌ語の「ピウカ」からきている。

美深駅で、特急列車待ち合わせで数分間の停車。

かつての美深駅は、ここから「美幸線」という日本一の赤字線が分岐していた。

これは、約40年前の美幸線終点の仁宇布駅。

乗客は、私のようなワイド周遊券保持者だけ。

しかし、国鉄であるので、国家予算を地方へ分配するパイプであったという見方もできる。

乗客のいない路線だけを見つめていては、地方の開発は難しいだろう。

回想にふけっていると、特急列車が姿を現した。

さきほどの「サロベツ」とは違って、ブルーの車体。これもカッコいい。

ディーゼルカーは美深駅を発車し、ふたたび各駅に停車していく。

宗谷本線に沿う天塩川。沿っているのは線路のほうではあるが。

天塩川温泉駅に停車。

温泉と名のつく駅で、駅のまわりにこれほど何もないのは珍しい。

どこに温泉があるのだろうか。

名寄からここまで、乗車しているのは私だけ。駅を利用する人も、一人も見かけない。

すなわち、私がいなかったら、乗客はゼロ。

特急は走っているとはいえ、残り少ない寿命を感じる。

音威子府駅の長時間停車

ディーゼルカーは音威子府駅に停車。列車は、ここで57分間の停車。

日常的に利用する乗り物で、57分間の停車時間はありえないだろう。

音威子府は、かつてから、列車が長時間停車する駅だった。

理由はわからないが、ひとつ言えるのは、国鉄当局、あるいはJR化後も、乗客がこの駅をまたいで乗り通すことを想定していない、ということ。

音威子府とは、ほんとに北海道らしい地名であるが、アイヌ語で「濁った川」という意味とのこと。

閑散とした駅前広場。

実は、40年ほど前、乗り継ぎに失敗し、この町で泊まったことがある。

「岐阜屋」という名前だったと思うが、素泊まりで1泊1,000円だった。

1,000円なら、当時小学生の私でもなんとか払えたが、宿の女将さんに「1,000円にしてやるよ。」と言われた記憶がある。

本当の値段はいくらだったのだろうか。懐かしい記憶である。

 

長い停車時間とはいっても、時間感覚というのは相対的なもの。

回想にふけり悟りの境地に入ってしまえば、1時間なんてあっというまだ。

かつての音威子府駅。

長い停車時間を利用して、スタンプを押したり、記念に入場券を買ったり。懐かしい思い出である。

天塩川に沿って走るディーゼルカー

音威子府駅を発車したディーゼルカーは、天塩川に近づいていく。

客車再利用の待合室に、スロープも砂利だけ。経費を掛けられない企業努力。

悠々と流れる、日本で4番目に長い天塩川。

シベリア鉄道の車窓からも、同じような風景を見た気がする。

天塩中川駅の駅舎は、当時のまま使用している感じ。

問寒別駅。和寒同様、寒そうな地名。アイヌ語で「土をかぶった川」という意味。

警察官が立ち寄る必要あるのだろうか。

ふたたび、後付けのような駅。

糠南駅。

相変わらず天塩川に沿って走り続けていくディーゼルカー。

霧の中に消えていく天塩川。これは、利尻富士は拝めそうもないかな・・

北海道の川は、河原がないことも特徴。これが大陸の雰囲気を醸し出しているのだと思う。

これはまた難読な駅名。

読みは「おのっぷない」。アイヌ語で「原野と川」という意味。

冬には大忙しになるであろうラッセル車。

久しぶりに町が現れ、

幌延駅に到着。

サロベツ原野をいくディーゼルカー

すでに18時半を過ぎているが、まだ明るい幌延駅。

それもそのはず、幌延は北緯45度に位置している。夏至のいまの時期、日没は19時半頃。

上り特急列車待ち合わせで10分ほど停車。

夕暮れの駅。向こうから蒸気機関車でも現れそうな雰囲気。

前回、つまり19年前に宗谷本線に乗った時も、同じ時間帯の鈍行で、やはり幌延駅で特急列車と交換していた。

タイフォンが聞こえ、特急が姿を現します。

地方での鉄道使命は終えたと言われるが、鉄道ほど哀愁を感じる乗り物はない。

消えゆく運命を感じとりながらも、愚直に責務を果たそうとする姿が凛々しく映るからだろうか。

幌延を出ると、窓外に広がるサロベツ原野。

このあたりから、利尻島が望めることもあるが本日は無理。

19年前に乗車したときは、とらえることができた美しい島。

原野の中の駅。

そろそろ明日の天気も気になるころ。

この霧で、礼文島行きのフェリーは出航するだろうか・・

石油発掘の際に温泉がわいて出たという豊富。

刈った牧草をロールのように固めた牧草ロールが目につくようになる。

駅の裏手に沼がある兜沼駅。

このあたりは湿原でもある。

車窓が「果て」を感じさせるものに近づいてきた。

このあたりの駅名は、大自然を感じさせる雄大なものばかり。

抜海なんて、いい名前である。しかし、廃駅候補にあがっているらしい。

抜海駅が廃止されると、勇知と南稚内の20㎞の間、駅が一つもないことになる。

抜海駅を出た列車が急停車。

何事か、と思ったら「線路に鹿が入ってました」とのアナウンス。

乗客は私のほかに二人ほど。

運転手さんが現れて、「いまの急ブレーキでお怪我をされた方いませんか?」と問いかける。

あらためて発車すると、車窓に日本海が出現。

旅路も終点に近い宗谷本線のハイライト。本来なら、この地点から利尻富士が見えるのであるが。

しかし、本日は深い霧。利尻富士のアタマもすそ野も認めることができず。

19年前は天候に恵まれた旅だった。豊富付近だけでなく、この抜海からも、海中から突き出た利尻富士の雄姿を眺めることができた。

そして列車は最北端の町に入り、南稚内駅停車。

そして、終点稚内に到着。

停車した駅の数は24。名寄から4時間50分の旅。

19年前に稚内駅に来た時とは、ホームの構造や駅舎が変わっていて、少々戸惑う。

稚内駅新築10年とある。ならば、当分の間、JR北海道が宗谷本線を廃止することはないでしょう。

立派な新装の稚内駅

すっかり夕闇に包まれた稚内駅。

樺太が日本の領土だったころ、このレールはさらに北へ伸びていた。

一両のディーゼルカーが、私一人だけを乗せて、誰も乗り降りしない各駅に停まっていくという異次元体験が終わった。

いままで、宗谷本線は幾度も乗ったが、今回はまた不思議な体験だった。

日本社会が経済合理性で動くのであれば、宗谷本線の特急列車は残っても、途中の駅は、いつ廃止されてもおかしくなさそうだ。

過疎化、超高齢化は構造的な問題。歯止めがかかることはないだろう。

旅人は、その旅愁を感じとれる間に、楽しめることを急いだほうがいいのかもしれない。

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