人生、生きながらえていると、何が起こるかわからないものです。
ほんとに、何が起こるかわからない。
私の趣味人生で言えば、
旅では、現役世代のうちにアルゼンチンにまで足を伸ばせるなんて、夢にも思わなかったし・・・
投資家の立場からは、リーマンショックは、この世の終わりかとも思ったし・・・
F1では、アイルトン・セナがタンブレロでコースアウトする瞬間を生で見たときは、時を止められない無力さに、足が震えました。
しかしそれらをひっくるめて、
広島カープがセリーグを連覇するなんて、それこそ幽体離脱するほどの奇跡。
はっきりいって、信じられない・・・
これは、ほんとに現実のことなのか、と頬をつねりたくなります。
私は、一応、ミスター赤ヘルが現役だったころから、20年以上のカープファン。
ゼロ年代の広島カープの暗黒ぶりからすると、同じチームかと見まがうほど、自信に満ちた顔つきでマツダスタジアムのグランドを躍動する選手たち。
そんな光景を、遠くを見るように見つめてしまう自分がいます。
ゼロ年代のカープの凋落は、それはひどかった・・
江藤、金本、シーツ、新井など、嫌味かってくらい同一リーグへ。
世の中、なんだかんだ言っても、弱い者いじめが好きな大衆がいっぱいいるということを、あらためて思い知らされたゼロ年代。
これは、やられた者にしかわからない。
ある日突然、自分の恋人が、ライバルの恋人に鞍替えされたような、やり場のない屈辱感と絶望感。
だって、ついこの間まで、チームの4番だった選手が、向こうの4番として登場し、こっちを痛めつけるんですよ。
正直言って、阪神戦と巨人戦は、現地観戦はおろか、スポーツニュースでさえも、とても正視できなかった。
FAは選手の権利だ、とか、そういうことじゃないんです。
そんな暗黒カープを支えたのが、前田智徳選手だった。
まさに孤軍奮闘。野手陣は、彼一人でチームを支えているといっても過言でなかったと思う。
ケガする前の前田智徳は、それは凄まじかったが、シーズン本塁打数の最高成績は、ケガ後のシーズンであったこともうれしい。
そんな、暗黒時代の功労者前田智徳は、私にとって忘れられない選手。
カープの暗黒時代は、自分の人生にとっても波乱万丈で右往左往していた時期なので、ひときわ前田智徳に対する思いは強いです。
あのバッティングフォーム、特に打席でのたたずまいは、それは芸術だった。
これほど、背番号1が似合う選手はいなかろう・・
あのインローの球を、誰が打ってもファールになるコースを、いとも簡単にライト線にはじき返す技術。
2000本目の安打も、前田らしい打球だった。
ちなみに、2000本の安打を放ち、かつ通算打率が3割を超えているのは、長いプロ野球の歴史でも前田智徳を含め12人しかいない。(4000打数以上&2017年現在)
それだけ、前田智徳が記憶にも記録にも残る偉大な打者だった証だと思う。
そんな前田智徳が2013年に引退。こりゃ、いよいよカープはどうなる?
引退した2013年は、カープは負け越しながらAクラス。
台頭してきた丸や菊池に、次代を託せると感じたものがあったんでしょう。
そんな前田智徳に、2度目の優勝を味あわせてあげられなかったことだけが、心残り。
丸選手に、前田智徳のフォームを重ねてしまってる自分がいる。
前田智徳の、どんなときでも変えない表情。自身の裏づけそのものの表情。それが、また見たい。
丸選手の優しそうな笑顔には、相手投手をにらむような表情はちょっと期待できないかな(笑)
それにしても、いまのカープ。逆転のカープ、スゴイと思う。
選手一人一人の能力もさることながら、ここ一番の集中力。
緒方監督の「あきらめないんですよ、ウチの選手は。・・・ 頼もしいヤツ等だ、ほんとに!」
この言葉が、すべてを言いえている。
ほんとに、世の中何が起こるかわからない・・・
あの暗黒以下の広島カープが2年連続でセリーグの覇者になるなんて、この感慨、一言では言い表せません。
M1でのマツダスタジアム。
私は、インドネシア ジョグジャで、スマホの中継で応援してましたが、惜しくも本拠地での胴上げはおあずけ。
でも、そんなの小さいこと(広島市民の方には大きいことですが・・)
2年連続で勝ち取ったという事実は事実。大いに胸を張ってください。
ゲームの終盤で劣勢に立たされていても、決して勝負をあきらめていない、物事に真剣に取り組む姿勢には、正直、私も精神的に、何度も救われました。
理不尽なことの多い野蛮な現代ですが、まだまだ世の中捨てたもんじゃないですね(^^)
※ひさびさに、旅以外のハナシでした。