アフガニスタンのホテル襲撃で思うこと

アフガニスタンという文字を新聞などで見かけると、「今度は何が起きたんだ?」と、私は暗澹たる思いで記事を追いかけます。

今回は、なんと高級ホテルが武装集団に襲撃され、外国人14人を含む18人が亡くなったとのこと。

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アフガニスタンの首都カブールの高級ホテルで20日夜に起きた襲撃事件では、死者が18人に上り、その大半が外国人だった。銃撃犯らは、ノルウェー部隊の支援を受けたアフガン治安部隊との12時間にわたる銃撃戦の末殺害されたが、その間おびえ切った宿泊客らは必死の思いで脱出を試みていた。

(出典:【1月22日 AFP】)

アフガニスタンは、沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読んだときから、私のバケットリストに書き込まれた、とっても興味のある国。

ところが、1979年。ソ連が、隣国アフガンを自国よりの政権にしたいなどの理由で侵攻。

そこへ、パキスタン経由でアメリカが加わるなどして、「タリバン」が生まれ、そして「アルカイダ」が生まれ、かなり、文字間をふっ飛ばしてはいますが、そういう歴史上の流れの中で、アフガニスタンは、それこそ命を懸けないと旅することができない国になってしまいました。

 

ところで、今回の記事で私が感じたのは、実は、ある金融雑誌のコラム欄で、某地方銀行の取締役のコメントを見たから。

この、コラムは、実体験として、大体次のように述べられていました。

市場・国際部門担当の役員として視察に訪れたインド・ムンバイのホテルで、部屋に戻った直後にテロに遭遇した。階下から銃声や爆発音が響くなか、いったんは部屋にとどまったが、火災に伴う煙がしだいに部屋の中にも立ち込めてきた。
テロリストの所在もわからないままに部屋を出るのは本当に怖いものだったが、「このままではいずれ」と思い、意を決して脱出を開始した。
状況を冷静に分析し、生き残る可能性の高い道と信じて、煤で全身真っ黒になりながらも手探りで非常階段を伝ってなんとか脱出に成功した。
その後、テロリストは人質を取って籠城したため、軍隊や警察がホテルに突入し激しい撃合いとなった。あのときの決断が遅れていたらと思うと今でも背筋が凍る思いがする。

(出典:「金融財政事情」2018.1.15)

この方は、今は、当銀行の頭取に就任なさって、ご活躍されています。

 

アルカイダやイスラム国など、グローバルなテロ組織が横行し、そもそも、そういう組織が潜伏しているエリアなどには、行くことができない。

だから、私などの一般的な旅行者は、外務省の「海外安全ホームページ」で海外情勢を確認したうえで、旅をする。

でも、上記のコラムなどは、インド・ムンバイという、外務省でも警戒レベル1のエリアで発生した出来事だ。

 

これらの記事や事件を見て、私が感じたことは、月並みだけど、ホテルに泊まるときは、非常階段などの動線を確認しておくこと。

思い返せば、エジプトなどで泊まった各ホテル。一回も確認しなかったように思う。

 

コラムの方は、卓越した判断力を持ち合わせていたので、危機を脱し、会社を経営しておられる。

私だったらどうだったか?

簡単なことだけど、こうして、様々なことから、へりくだり、おのれを見直すことが、あらゆる事故から身を守ることなんだと、痛感しました。

 

ps この記事を書いている間にも、アフガニスタンでは、救急車を使った自爆テロが発生。100人近くが犠牲になっています。お悔やみ申し上げます。