ヨルダンのビザを取得し「野ばら」という教科書を思い出す

イスラエルへの旅の計画を立てているうちに、ちょこっと隣国に寄れないかなあ、と思いました。

でも、調べてみると、イスラエルの周りは敵だらけ。ちょこっと寄るなんてとんでもない(*_*)

文字通り四面楚歌といった様相のようです。

イスラエルと敵対する国

実際、イスラエルに行くと、行けなくなる国があるそうです。

つまり、パスポートにイスラエル渡航の痕跡があると、入国が許可されない国。例えば、イラク・レバノン・サウジアラビアなど。

ヨルダンが入ってませんね

ヨルダンには何かあるかな、と軽い気持ちで「地球の歩き方」などをめくっていると、中東を代表する遺跡ぺトラがあり、イスラエル側から現地ツアーも出ているようです。

これをみて、イスラエルへの旅のついでに、ヨルダンにも寄ってくるか、という気になりました(笑)

ていうか、イスラエルのエイラットに立ち寄ることになり、どこかへ行けないかな、と想像を張りめぐらせたのがはじまり。

それで、現地ツアーを専門の旅行会社さんにお願いしました。

すると、ヨルダン入国にはビザが必要とのこと。

ヨルダンの駐日大使館に行ってきました

旅行会社さんに取得代行を依頼することもできましたが、何事も経験というわけで、ヨルダンの駐日大使館に行ってきました。

申請も受取りも、平日の10~12時(日本orヨルダンの祝日は休み)の間だけなので、会社を半日休んで都内への出張を利用して出かけてきました。

自力でビザ取得は初めてなので、少し緊張します。

場所は、おそらく各国の駐日大使館が集まってる渋谷の高級住宅街(のような気がしました)。

渋谷駅から、タクシーで数分です。

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門の前には警備員がいるので、真正面から写真を撮る勇気はありません(笑)。

その警備員さんに、厳重な身体検査を受け、持っていたカバンの中身をすべてチェックされ、中に入れてもらえます。

厳重だけど、すごく物腰の丁寧な警備員さんです。

そして、応接間のようなところに通され、申請書に記入します。

本籍地がわからず実家に電話・・

区役所のようなところを想像していた私は、戸惑いながらも、一生懸命、申請書を英語で書きます。

途中、本籍地がわからなくて、実家に電話したり・・・

もちろん、周りには私しかいなくて、すごく不思議な気分

そして、写真を貼って、申請書とパスポートを出すと、「明日の午前中ですね。」と言われて、引換証のようなものをもらい、「一人で行くんですか?」と聞かれて、ハイとうなずくと、地図もくれました。

とても、親切です。

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そして、翌日、受け取ったビザがこちら。手間はかかっているはずですが、無料です。

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なんか、ちょっとした達成感です。

眺めていると、不思議なものです。

このスタンプがあるから、国境を行き来できるんです。

教科書に載った「野ばら」を思い出す

国境に関して、私は小学生の頃、国語の教科書で習った、ある物語に強烈な思い出があります。

  • 隣り合った、ある大きな国と、小さな国の国境には、それぞれ、大きな国は老人が、小さな国は青年が、国境を警備していました。
  • 両国には緊張状態もなく、国境のあたりはのどかで、老人と青年は、将棋などを楽しみながら、互いに打ち解けていました。
  • 両国間で戦争がはじまりました。老人は、言いました。「わしの首を持っていくがよい。出世できるぞ。だから、殺してください。」
  • 青年はあきれて言いました。「どうして、私とあなたが敵同士でしょう。戦争は、ずっと北の方で開かれています。私はそこへ行って戦ってきます。」
  • 国境には、老人だけが残されました。ある日、旅人が通りかかったので、老人は戦争がどうなったのか聞きました。すると、小さな国が負け、小さな国の戦士は皆殺しになって、戦争は終わったと聞かされました。

出典:青空文庫 著 小川未明 野ばら

戦争、国境、敵、味方  そして無力感という概念を、私に植え付けたこの物語。

小学生のとき教科書に載ってました。

ストーリーだけは覚えていて、作者もタイトルも忘れてしまっていましたが、ネットの世界はすごい。

検索したらでてきました。もう、感動ものです。

 

調べてみると、イスラエルとヨルダンは、以前は、ちょこっと隣国へ、なんて言ってられない敵国同士。

1994年に和平協定が結ばれ、両国を往き来できるようになってます。

その後、ヨルダンは政権が代わっても、中東で最も安定した情勢を保っています。

原理主義的な人物もおそらく存在する中で、安定を保つのは至難の業。これからも、平和が続いていくことを切に望みます。