北朝鮮軍事境界線からわずか7キロの臨津閣(イムジンガク)。
バスの中では修学旅行ムードだった日本人のツアー参加陣。
離散家族のお墓や哀愁漂う歌声を聴いて、すっかり神妙な面持ちに。
そしてガイドさんに案内されて、「自由の橋」の見学に向かいます。
京義線のレールの傍らにたたずむ慰安婦像
おっと、こんなところにも慰安婦像が・・・
まあ、これに関しては、あえて何も言いません。
ガイドさんも特に説明せず、我々も質問しなかったのですが、欧米観光客が指差しながら何やら会話していたのが気になってしまった。
弾痕だらけの機関車
さて、ここから先は、まだ一般人が入れる場所。
ところで、さっきのレールは、当時のものなのかな。
ガイドさんが、「これから自由の橋を見に行きます。」と説明。
この機関車、戦争中に脱線し、半世紀以上も放置されていたが、教育資料のために展示されるようになったと、説明書き。
これは生々しい・・・
銃弾で穴だらけになっています。
文明の利器を作るのも破壊するのも人間ということですか。
臨津閣(イムジンガク)。駅もあったのかな。
南へ行けばソウル。北へ行けばケソン(開城)。バリケードが物々しい。
開城って聞くと、漫画「あしたのジョー」に登場する「韓国ボクサー金竜飛」を思い出してしまう。
彼もまた、朝鮮戦争で孤児になった1人。
まだ5歳だった彼は、飢えながらの逃走中、倒れていた兵士を殴り殺して食糧を奪った。
ところが、その殺した兵士は、金竜飛の父親であったという、すさまじいめぐり合わせ。
それ以来、彼は満腹することができなくなった、というストーリー。
民間人統制区域から眺める「自由の橋」
では、一般人が自由に入れる、もっとも軍事境界線に近い場所に行きましょう。
料金は2,000ウオン(211円)。
厳かな雰囲気。
では、参りましょう。
あれを抜けると、自由の橋を眺められる展望所。
前を行くのがガイドさん。
これは何かな・・・と思ったら、列車をイメージしているようだ。
実は、この路線、つまり京義線は、日本と大陸を結ぶ大日本帝国時代の大動脈でした。
蛇足だけれども、タイムマシンがあったら、乗ってみたい列車というのがある。
私の場合、この戦前の時刻表に出ている「急行ひかり」。
「急行ひかり」は、東京駅を前日15時に発車する「特別急行富士」と、下関からの関釜連絡船に接続していて、東京から京城(ソウル)、満州の首都である新京(いまの長春)、そしてシベリア鉄道に連絡して、ヨーロッパへ最も早く着けるルートを担ってました。
時刻表によると、ソウルに早暁4:03に到着した「ひかり」は、7分停車したのち平壌に向けて出発する。
開城は通過するみたいだけど、この臨津江の橋を何時ごろ通過していたのだろうか。
旅好きからすると、ゾクゾクするような列車である。
列車トンネルを抜けると、この風景。
撮影禁止のマークがあるけど、大丈夫ですよ、とガイドさん。
なんのガラス張りかと思ったらレール。
これやっぱり、当時のままなのかな・・・
ベルリンまで11,065kmって、「急行ひかり」に乗りたくなってしまうではないか(^ ^)
金網から、無理やり外をのぞけばゴンドラが宙を動いてます。
あれに乗ると、米軍キャンプ施設などがあるエリアへ行けるそう。
あそこだね。
後で行きましょうと、ガイドさんが提案。
当時の写真。
凄まじいな・・まだ、ほんの70年前の話。生きてる人がいたって不思議じゃない。
弾痕があるし、やっぱり、この橋脚は当時のもの。じゃレールもそうか。
おお・・・
自由の橋とは、休戦となった後、捕虜となった韓国民が帰って来れるように作った木造の橋。
12773人の捕虜が「自由万歳」と叫びながら帰ることができた橋。というガイドさんの説明。
ここは、ほんとにすごい場所だ。
日本人一同、シーンと黙り込んでしまってます。
ちなみに、鉄道橋は上り線と下り線があって、左側の上り線は修復していまも使っているらしい。
それこそ、開城(ケソン)工業地帯までつなげるためで、臨津江を渡る列車を眺めることもできた。
ところが、北朝鮮融和派だった文政権時代に、金正恩の実妹が開城の南北連絡事務所を爆破。
これにより、開城との行き来が遮断されたので、当然列車も運行されていない。
2020年6月のこと。
北朝鮮を非難するビラ配りが原因らしいが、文政権の努力がすべて台無しになった。
文在寅(ムンジェイン)韓国前大統領の対北融和への反対派も多数いたそうだから、その一派の仕業だろうか。
2018年の南北首脳会談は、文在寅と金正恩が握手をする、非常に珍しい歴史イベントであったのだが。
一応断っておきますが、私はこれらの人物が好きなのではなく、歴史の動きに興味があるだけです^ ^
それにしても、パッと見は、平和な光景が広がってます。
この絵だけ見せられたら、ここが南北軍事境界線からわずか7kmという世界有数の緊張地帯とはわからないでしょう。
この川を、ふつうに越えられる日は来るのでしょうか。
DMZのラインと説明書きがありました。
さて、戻ります。というか、ゴンドラに乗りましょう。
帰り道で、再び出会う慰安婦像。
観光客も増えてきたようです。