4位 ANAビジネスクラス搭乗記(成田 ⇒ デリー)
飛行機好きの方なら、誰しも体験したいビジネスクラス。
庶民の私でも、こんな夢空間に手が届くのは、もちろんマイレージのなせる業。
ほんとうにいい時代になったんだなと思います。
ちなみに、北欧をぐるりとまわる旅なのに、行き先がデリーなのは、当初はマダガスカルへ行く予定であったから。
成田 ⇒ デリーの特典ビジネスをとりあえず押さえて、それからケニア航空の予約をしておいたんですが、相次ぐ欠航の連絡で、旅の予定が不透明になり、最終的に北欧一周に落ち着いた次第。
ビジネス体験は、この搭乗記が2回目でしたが、乗り心地はもちろん食事やお酒も素晴らしく、ANAさんに感謝です。
成田 ⇒ デリーのビジネス搭乗記はこちらです。
この搭乗記のあと北欧一周を綴ったまとめ記事はこちら。あわせてご覧くださいませ。
3位 フルサイズ一眼【CANON 6D】を中古で買いました
旅が好きで、その記録も好きとなると、カメラに興味がわくのは必然。
子供の頃から、一眼レフには慣れ親しんできました。
とはいうものの、フルサイズ一眼ともなると、高嶺の花で、とても手が出ません。
そこで、長らく愛機として旅のお供だった「CANON 70D」から乗り換えたのが、中古で手に入れた「CANON 6D」。
「6D MarkⅡ」はさらに高いので、私としては使い倒すつもりでボディを5万円で手に入れたのがこの記事です。
これだけアクセスが多いのは、やはり同じように考える方が多い証なのかな・・
ところで、この「CANON 6D」、素晴らしい機種ですが、やはり欠点は大きく、そして重いこと。
そのほかにも、周辺減光など、使いはじめてから欠点などに気づいたこともありますので、参考になれば幸いです。
中古「CANON 6D」購入の記事はこちら。
1年使用経過後のレポートもどうぞ。
2位 エチオピア航空搭乗記 成田 ⇒ アディスアベバ ソウルのトランジット
第7位の南アフリカ航空搭乗記が、南アフリカ弾丸一人旅の帰途ならば、こちらは往き。
成田を20:40に出る、ソウル経由アディスアベバ行きエチオピア航空の搭乗記です。
「エチオピア航空 搭乗記」で検索すると、長らく1位に表示されているのも、アクセスが多い理由でしょうか。
このフライトは少し変わっていて、ソウルで「トランジット」するんです。
つまり、目的地はアディスアベバなのに、ソウルを経由着陸し、乗客を入れ替えて再び離陸。
すなわち途中寄航のことで、通しで乗る乗客も、ソウル(仁川)でいったん降ろされるんです。
深夜の仁川空港の雰囲気を味わえたり、通しで乗る乗客は2度の機内食にあずかれたり、なかなか楽しい体験ではありました。
成田発なのに、機内に日本人客があまり乗っていなかったのも、出発後すぐに異国の雰囲気に浸れてよかったですね。
記事はこちらですが、長いので2つに分けてあります。
後半のソウル ⇒ アディスアベバもぜひどうぞ。
1位 ANAビジネスクラス搭乗記(成田 ⇒ メキシコシティ)788機の超空間!
生まれて初めてのビジネスクラス体験。
これが、わがブログの人気第一位の記事でした。
もちろん、公式に買ったチケットではなく特典ビジネスですが、そんなことをまったく気にさせないANAのCAの方々のプロの接客振りにも感心。
さすが、就活ナンバーワン(2018年当時)企業だなと感じたのを覚えています。
成田 ⇒ メキシコシティだと、搭乗時間は13時間半という長丁場ですが、疲れなんて微塵もなく、ずっと乗っていたかった(笑)
コロナ禍において、各航空会社は未曾有の経営危機に瀕しています。
私の数々の弾丸一人旅を支えていただいたのは、紛れもなく航空会社。
一刻も早く、この忌まわしい感染症が消えてなくなり、ふたたび地球上を飛び回ってくれることを願ってやみません。
幸か不幸か、ただいまマイルがひたすらたまっています。
旅行再開のあかつきには、ぜひANAさんのビジネスクラスで、と今から胸を膨らましています。
成田 ⇒ メキシコシティ ビジネス搭乗記はこちらです。
帰りのビジネスクラスもどうぞ。
番外編 カーシャーンまで寝過ごしたバス ~ 棚ぼたのイランのバス旅
以上、私のブログで、よく読まれている記事上位10記事を紹介させていただきました。
最後に、番外編として、私がもっとも読んでいただきたい記事をここに示します。
読んでいただきたい記事は、そのときの心境などでしょっちゅう変わるんですが、今もっとも読んでいただきたいのは「イラン」の記事。
皆さんは、イランという国に対して、どんな印象をお持ちですか。
私は、米国のプロバカンダが極端に負の方向へ走った例の一つととらえています。
イランは、1978年のイラン革命において「アメリカ大使館人質事件」なども引き起こし、以来アメリカから敵視され続けています。
ブッシュ大統領からは、イラクや北朝鮮と並んで「悪の枢軸」とまで呼ばれました。
しかし、私はイランを旅してよかった。
一介の旅人の数日間の体験で何がわかる?と言われそうですが、少なくとも、イラン国民のみなさんは、私を温かく迎えてくれました。
上記の写真は、シラーズからイスファハーンへ向かう夜行バスを寝過ごし、運転手がハイウェイの料金所でわざわざイスファハーンへ戻るバスをさがしてくれ、便乗できたあとの風景。
運転手が、ゲートのスタッフみんなに「この日本人をイスファハーンへ連れて行ってくれ」と声をかけてくれたのにも感激しましたが、弾丸旅行で本来目にすることはなかったはずのイランの大地を楽しむことができて、「深夜特急」のワンシーンに身を置いたような、貴重な体験を得ることができました。
そして、無事にイスファハーンの街に着いたあとのイマーム広場の写真がこちら。
イランでは、いたるところで話しかけられ、写真を撮ってくれといわれたのにも驚き。
こちらのおばさんは、私が日本人と知ると、いろんなことを伝えようとしてくれました。
お互いの言語能力が乏しく、想像するしかありませんでしたが、その表情からは、とてもいい思い出だったことは想像に難くありません。
何が正しくて、何が正しくないかは、見る観点によってさまざま。
ただ一つ言えることは、国家や政府、それとそれを構成している国民は、けっして同化されたものではなく、紛れもなく、地球上を司る人類の一人一人であるということ。
その理解を深めるには、世界史や現代史、さらには宗教といったことも学ばなくてはなりませんが、少なくとも私たち旅人は、異国で生活を営む人々にリスペクトの念をいだくことが必要であることは忘れてはならないと感じています。
イラン一人旅まとめ記事はこちら。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これからも、読み切れないほどの旅の情熱を、このブログにささげてまいりますので、楽しみにお待ちいただければ幸いです。