ロシア号の旅 荒涼とした平原 ~ ウラル山脈【シベリア鉄道旅行記 #10】

ロシア号に乗って、6日目の朝です。

明日の夕方には、モスクワに着いてしまいます。

線路際のキロポストをみると、モスクワまで2,200キロを切りました。

ロシア号時刻表 6日目の行程

モスクワまでの距離 到着 出発 時差
3,000km バラビンスク 1:46 2:02 +3
2,376km オムスク 5:31 6:01 +3
2,293km イシム 8:25 8:37 +2
2,104km チュメン 12:02 12:22 +2
1,778km スヴェルドロフスク 16:51 17:31 +2
1,397km ペルミⅡ 23:08 23:31 +2

本日、スヴェルドロフスクとペルミの間で、ウラル山脈を越えます。

停車駅の数が、一気に少なくなり、そのかわり停車時間が長くなります。

今日はなんと、日中はチュメン駅とスヴェルドロフスク(エカチェリンブルク)駅しか止まりません。

残り少なくなった旅の日数を嘆くより、残りの時間、目いっぱい、旅を楽しむとしましょう。

シベリア西部の寂寞とした平原

窓外には、寂寞とした風景が続きます。

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ちょっと車内を散歩。1等寝台がありました。

2人部屋なんですね。あのモニタには、何が映るんだろう?

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昼過ぎ、列車はチュメン駅に到着。

街の北側に油田を構える都市、たしか中学の時、地理で習ったことを懐かしくも思い出します。

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列車の停車中も、鉄道の保守係は大忙し。

車輪やブレーキの点検でしょうか。カンカンカンという金属音が、チュメン駅に響き渡ります。

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雪は降ってませんが、西に進むに連れて、少しづつ寒くなってきました。

さすがに、上半身裸の乗客は、もういません。

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チュメン駅を定刻12:22に発車。

6日も走り続けていれば、いろいろと汚れます。車掌さんも掃除に大忙しです。

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通路で、私と同じように窓外を眺める乗客。

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荒涼とした原野。涙をそそるような寂しい風景です。

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日本で一番寂しい風景がある都道府県は?と聞かれたら、私は、青森県と答えます。

下北半島と、その付け根にあたる小河原湖の辺りの寒々とした風景。

それに似たような風景だと思いますが、景色の奥行きが深いため、いっそう寂しさを感じます。

人跡がまったくないわけではなく、木造の粗末な民家や、ちっぽけな牧場などが、ぽつりぽつりと現れるので、寂しさをより際立たせています。

日露親善酒飲み大会

と、センチメンタルになっていたら、とたんに私の部屋にバレリーがやってきて、酒盛りがはじまりました。

みんな飲む飲む!

日本から持ってきた私のレッドエクストラもあっという間にカラになりました。

おぼつかない言葉で、私の日本での生活を説明すると、みな興味を持って聞きます。

  • 収入は?
  • ローンの金利は? (ロシアのオートローンは20%!だと)
  • 車や家の値段は?
  • 東京はどんな街か?
  • インターネットの回線使用料は? (ブロードバンドはなく、1時間30ルーブル)
  • ロシア人で最も有名人は誰か? (私はシャラポアと答えました)
  • 日本を代表する人物は? (私はイチローと答えました)
  • 日本のミュージックは? (ミスチルのMDを聞かせました)

MDウォークマンは見るのがはじめてらしく、「こんな小さいディスクに80分も収録できるのか!」と驚いています。

治安は?

私は、テロについてたずねました。

すると、3人とも笑い飛ばし、心配してもはじまらないといった表情。

ロシア人にとって、テロは、日常の一部なのでしょうか。いや、そんなことはないでしょう。

3人とも親身になって、テロを恐れるより、「モスクワでの夜の一人歩きには気をつけよ」とか、「悪徳警官やマフィアに気をつけろ」という、有益な情報を私に授けてくれます。

エカチェリンブルク駅の風景

16:51 ウラル山脈の東のふもとの街エカチェリンブルクに到着。

駅の名前はスヴェルドロフスクですが、街の名前はエカチェリンブルク。

久しぶりに長い40分の停車時間です。

なにしろ、昼過ぎのチュメンから5時間近くノンストップで走ってきたので、ほとんどの乗客がホームに降りて体をほぐします。

私たちも、宴会を中断して、ホームを散策します。

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人口125万人の工業都市、色々な人がいます。

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おしゃれなスラブ系女性も。

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列車の往来も多いエカチェリンブルク駅のホーム。

この駅から、カザフスタン方面や、ウラル山脈を北上するセロフ方面への鉄道が伸びる、交通の要衝です。

なので、ホームには多方面からの列車が頻繁に入ってきて、そのたびに迎えに来た家族などが大きな声で叫びながら抱き合ったりと賑やかです。

 

こちらは、バレリーの知り合いの方? ドクターだと紹介してくれました。

長い停車時間を利用して、のんびりとホームを散歩。

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お酒で火照った身体に、ひんやりした空気が気持ちいい、エカチェリンブルク駅でした。

ウラル山脈を越える

ロシア号は、また西に向けて出発。

これからウラル山脈を越えます。

ウラル山脈は、知ってのとおり、アジアとヨーロッパを二分する山脈。

鉄や錫などの鉱物資源に恵まれているそうですが、地形的には特に険しいわけでもなく、のっぺりした山脈で、山を越えているといった雰囲気はありません。

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それでも、まがりなりにもアジアとヨーロッパをへだてる山脈です。

だから、陸路でヨーロッパへ入る実感を味わいたい。

私は、ウラジオストクまでも船で渡ってきたんです。

低い山脈なので、越えた実感はわかなくても、線路際に、オベリスクがたっているという情報を得ていたので、それはしっかり見届けようと、部屋を出ました。

部屋を出たのは、そのオベリスクは線路の南側にあり、私の部屋も南側。

部屋の窓を通してではなく、通路の窓を開けて、写真を撮りたかったからです。

 

となりの5号車が、ちょうど南側が通路にあたる車両でした。

オベリスクは、モスクワからの距離1,777キロのところにあるとのことなので、線路際のキロポストを凝視します。

そして1,778キロを通過して緊張していると、小さいながらもオベリスクを認めることができました。

陸路でのヨーロッパ到達は、一つの達成感です!

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撮った写真を酒盛りしている4人に見せても、意味が通じませんでした(^^)

乗客たちは、列車がウラル山脈を越えようとなんだろうと、あまり関係がない出来事のようです。

深夜のペルミ駅で騒ぐ酔っぱらい?

酒を飲みながらの会話は、あっという間に時が経ち、夜になりました。

時刻は23時過ぎ。ペルミ駅に到着です。

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エカチェリンブルクから、実に5時間半ぶりの停車駅。

1875年までは、シベリア鉄道はここが終点。ここからウラル山脈を越えてシベリアに赴く旅人は馬車に乗り換える、いわば宿場町でした。

120年前まで、旅人が馬車で越えていた峠を、私たちは酒を飲みながら鉄道列車で揺られてきたのです。

天気もいつのまにか回復しているようで、空を見上げれば、満天の星です。

 

私たちは、酔った勢いで、ホームを踊りまわります。

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そして、記念撮影をパチリ。思い出に残った、深夜のペルミ駅でした。

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